遠敷神社(東大寺境内) [奈良県]
2017/07/25
奈良県奈良市にある遠敷神社(おにゅうじんじゃ)です。
東大寺境内に鎮座する二月堂の守護社の一つであり、祭神に彦火火出見命を祀っています。
由緒
東大寺二月堂で行われる「お水取り(修二会)」を守護する3社の一つで、由緒書によれば 平安期には既に若狭彦神社(福井県)より勧請されていたと考えられているとされます。
また、一説に、二月堂を創建した実忠によって勧請されたと伝えられているようです。
なお、由緒書による解説は以下の通りです。
【遠敷神社(おにゅうじんじゃ)】
二月堂の北東にあるが、様式から判断すると19世紀の再建と思われる。
遠敷神社が悶伽水を献じたとの伝承は「東大寺要録」に載っており、平安時代には既に二月堂近辺に勧請されていたことと想像される。
中世の絵画には他の2社と共に描かれている。
二月堂の北東にあるが、様式から判断すると19世紀の再建と思われる。
遠敷神社が悶伽水を献じたとの伝承は「東大寺要録」に載っており、平安時代には既に二月堂近辺に勧請されていたことと想像される。
中世の絵画には他の2社と共に描かれている。
祭神
遠敷神社の祭神は以下の通りです。
・彦火火出見命(ヒコホホデミ):天孫・瓊々杵尊の皇統を受け継いだ御子神であり、神武天皇の祖父に当たる
→ 若狭彦神社(上社)の主祭神
→ 若狭彦神社(上社)の主祭神
関連知識
由緒の参考資料として若狭井の伝承を載せておきます。
【若狭井の伝承】
若狭神宮寺に渡ってきたインド僧・実忠は、東大寺に二月堂を建立し、大仏開眼の2ヶ月前から祈りの行法(修二会)を行い、初日に「新名帳」を読み上げて日本国中の神々を勧進した。
しかし、若狭の遠敷明神だけが漁に夢中になって遅刻し、あと2日で終わるという日に現れた。遠敷明神は詫びとして、二月堂の本尊に供える「閼伽水(清浄聖水)」を献じることを約束して地面を割ると、岩盤から黒・白の2羽の鵜が飛び出して その穴から清水が湧き出した。これは若狭の「鵜の瀬」より地下を潜って水を導かせたのである。
この湧き水を「若狭井(わかさい)」と名付け、以後1250年の長期に渡って守り続けられている若狭井より「閼伽水」を汲み上げて本尊に供える儀式が「東大寺二月堂のお水取り」である。
若狭小浜の神宮寺では、3月2日に「お水送り」の神事が執り行われる。
参考資料:鵜の瀬(うのせ)
若狭神宮寺に渡ってきたインド僧・実忠は、東大寺に二月堂を建立し、大仏開眼の2ヶ月前から祈りの行法(修二会)を行い、初日に「新名帳」を読み上げて日本国中の神々を勧進した。
しかし、若狭の遠敷明神だけが漁に夢中になって遅刻し、あと2日で終わるという日に現れた。遠敷明神は詫びとして、二月堂の本尊に供える「閼伽水(清浄聖水)」を献じることを約束して地面を割ると、岩盤から黒・白の2羽の鵜が飛び出して その穴から清水が湧き出した。これは若狭の「鵜の瀬」より地下を潜って水を導かせたのである。
この湧き水を「若狭井(わかさい)」と名付け、以後1250年の長期に渡って守り続けられている若狭井より「閼伽水」を汲み上げて本尊に供える儀式が「東大寺二月堂のお水取り」である。
若狭小浜の神宮寺では、3月2日に「お水送り」の神事が執り行われる。
参考資料:鵜の瀬(うのせ)
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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