五百立神社(東大寺境内) [奈良県]
2017/07/26
奈良県奈良市にある五百立神社(いおだてじんじゃ※)です。
東大寺の境内に鎮座しており、東大寺大仏殿を創建した五百余人の工匠に関連する神社とされています。
※「いほたちじんじゃ」「いほだてじんじゃ」とも
由緒
創建年代は不詳で、式内社・五百立神社に比定されている古社であり、由緒書によれば 当社は五百余所社や五百立神社などと称され、五百余所社としての社名は天喜4年(1056年)の東大寺文書に その名がみられるとされます。
また、"大仏殿創建に従事した五百余人の工匠が、工事が完成した暁に五百羅漢になって天空に飛び立って姿を消した"という説話が中世の絵巻などに残されているそうです。
なお、由緒書による解説は以下の通りです。
【五百立神社(いおだてじんじゃ)】
当社は五百余所社(ごひゃくよしょしゃ)とか五百立神社と称せられる。五百余所社の社名は天喜4年(1056年)5月の東大寺文書に二十五所社・気比気多社などと共に その名が見える。
中世の絵巻などには、大仏殿創建に従事した五百余人の工匠が、工事が完成すると五百羅漢になって天空高く飛び立ち、姿を消したとの説話がみえる。本来の祭神は定かではない。
大仏殿 江戸期再建の際にも、五百余所社は大工・小工の崇敬を集めたようで、番匠社とも呼ばれ、宝永6年(1709年)3月の大仏殿落慶供養を目前にした正月6日に、大工棟梁堀内筑前守(若狭)が新建寄進している。
当社は五百余所社(ごひゃくよしょしゃ)とか五百立神社と称せられる。五百余所社の社名は天喜4年(1056年)5月の東大寺文書に二十五所社・気比気多社などと共に その名が見える。
中世の絵巻などには、大仏殿創建に従事した五百余人の工匠が、工事が完成すると五百羅漢になって天空高く飛び立ち、姿を消したとの説話がみえる。本来の祭神は定かではない。
大仏殿 江戸期再建の際にも、五百余所社は大工・小工の崇敬を集めたようで、番匠社とも呼ばれ、宝永6年(1709年)3月の大仏殿落慶供養を目前にした正月6日に、大工棟梁堀内筑前守(若狭)が新建寄進している。
祭神
五百立神社の祭神は以下の通りです。
・天富命(アメノトミ):天太玉命(アメノフトダマ)の孫とされる
→ 阿波国の忌部を率いて東国(安房)を開拓したとされる
→ 手置帆負命・彦狭知命の子孫を統率する建築の神とされる
※由緒書では本来の祭神は不詳としている(建五百建命という説や五百余人の工匠を祀るとも)
→ 阿波国の忌部を率いて東国(安房)を開拓したとされる
→ 手置帆負命・彦狭知命の子孫を統率する建築の神とされる
※由緒書では本来の祭神は不詳としている(建五百建命という説や五百余人の工匠を祀るとも)
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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