塩竈神社 [和歌山県]
2017/08/25
和歌山県和歌山市にある塩竈神社(しおがまじんじゃ)です。
岩山の洞窟の中に建てられた神社であり、かつては玉津島神社の祓い所であったとされています。
また、現在では安産の守護神として知られており、祭神に塩槌翁尊・祓戸大神四座を祀っています。
神社概要
由緒
公式サイトによれば、和歌の浦の入江の岩穴に鎮座する当社は元は玉津島神社の祓い所だったとされ、天野丹生明神(あまのにうみょうじん)の神輿が玉津島社に渡御する「浜降り神事(はまくだりしんじ)」の際に神輿が奉置される場所だったことから、かつては「輿の窟(こしのいわや)」と呼ばれていたそうです。
その後、大正6年(1917年)に玉津島神社の祓所から塩竈神社となり、現在に至るとされています。
なお、wikipediaによれば、浜降りとは毎年9月16日に高野山の地主神である天野丹生都比売神社の神輿が紀ノ川沿いを玉津島神社まで渡り、翌日に日前宮(日前神宮・國懸神宮)へと御行する神事であり、玉津島神社に渡った神輿が一晩奉置される場所が興ノ窟だったとされます。
この浜降り神事は、起源を古代にまで遡ると考えられる神事とされますが、鎌倉時代に一時中断して文保2年(1318年)に再開された記録に残っているとされ、その後 戦国時代にも途絶え、近世には天野社の鳥居外から玉津島神社を遥拝するという神事になったそうです。
また、この窟に対する信仰は浜降り神事だけではなく、江戸後期には「しおかま」の名で信仰の対象になっており、江戸時代の和歌山では「一に権現(紀州東照宮)、二に玉津島、三に下り松、四に塩竃よ」と歌われたとされ、この「しおかま」という名は塩田の塩を焼く釜から付けられたと云われています。
なお、「しおかま」の信仰は"製塩や安産・子授の神"としての信仰と考えられ、"製塩の神"としての理由は 祭神の鹽槌翁尊(しおづちのおじのみこと)が全国を巡って13ヵ所で製塩の方法を伝えた際、当地が その9ヵ所目であり、大正後期まで製塩が盛んに行われていたことが挙げられ、"安産・子授の神"としての理由は、日本神話の「海幸山幸」にて シオツチノオジが山幸彦を助け、その導きによって竜宮を訪れた山幸彦が豊玉姫と結ばれ、后となった豊玉姫が安産によって御子を授かったという故事が挙げられています。
祭神
塩竈神社の祭神は以下の通りです。
・塩槌翁尊(しおづちのおじのみこと):「日本神話」に登場するシオツチノオジに同じ
→ シオツチノオジ:「日本神話」に登場する神で、山幸彦や神武天皇に助言して導いたとされる
→ 玉津島神社公式サイトによれば「全国を巡って13ヵ所に製塩の方法を教えた」と伝えられている
・祓戸大神四座(はらへどのおおかみよざ):すべての罪汚れを祓い清める4柱の神
→ 瀬織津比売神・速開都比売神・速佐須良比売神・気吹戸主神を指す
→ シオツチノオジ:「日本神話」に登場する神で、山幸彦や神武天皇に助言して導いたとされる
→ 玉津島神社公式サイトによれば「全国を巡って13ヵ所に製塩の方法を教えた」と伝えられている
・祓戸大神四座(はらへどのおおかみよざ):すべての罪汚れを祓い清める4柱の神
→ 瀬織津比売神・速開都比売神・速佐須良比売神・気吹戸主神を指す
周辺の見どころ
鳥居
塩竈神社の鳥居です。
社殿
塩竈神社の社殿です。
当社は結晶片岩の岩山である鏡山の洞窟に造られており、社殿と洞窟が一体化しています。
社殿内部
塩竈神社の社殿内部の様子です。
岩肌は松と岩が組み合わさったような様相であり、奥には祭場が設けられています。
和合の松
外から見た様子
塩竈神社を外から見た様子です。
曝れた木理のような外観の岩肌であることから、伽羅岩と呼ばれているそうです。
石碑
鏡山の上には多種多様な石碑が安置されています。
歌碑群
塩竈神社の近くには小高い丘があり、そこには多くの歌碑が安置されています。
この中には山部赤人の有名な歌碑があるそうです。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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