人文研究見聞録:紀州東照宮 [和歌山県]

和歌山県和歌山市にある紀州東照宮(きしゅうとうしょうぐう)です。

江戸時代に創建された東照宮であり、祭神に東照大神(徳川家康)・南龍大神(徳川頼宣)を祀っています。

なお、当社は南海道の総鎮護として創建され、関西の日光とも称されているそうです。


神社概要

由緒

和歌山県神社庁によれば、当社は元和7年(1621年)に紀州藩主・徳川頼宣によって創建され、当初は東照大権現・日吉山王権現・摩陀羅神が祀られていたとされます。

なお、この時に藩主が自ら指揮を執り、造営奉行として安藤帯刀直次・彦坂九兵衛を任命し、表坂108段の石組などは士分以上の者に運ばせ、これは源頼朝が鶴岡八幡宮造営をした古例に倣ったものとされています。

また、慈眼大師天海大僧正が自ら導師となり、江戸から衆僧60余人を率いて天台神道による御鎮座の式典を斎行したとされ、勅使として中御門資胤・広橋兼賢が下向したそうです。そして、天海大僧正が初代別当となったとされます。

その後、正保2年(1645年)に宮号の宣下によって東照大権現が東照宮と改められ、近代以降は明治の神仏分離によって本地堂・歴代藩主の位牌堂・三重の塔など寺坊に関する建造物はすべて廃止され、大正6年(1917年)に徳川頼宣が合祀されて現在に至るとされています。

なお、由緒書による解説は以下の通りです。

【東照宮由緒】

南海道の総鎮護として元和7年(1621年)御創建、和歌浦一に名所の権現様とうたわれ当国随一の名勝として伝承されている。

関西日光の名に相応しく、左甚五郎の彫刻や狩野・土佐両派の絵画等に荘厳された極彩色に輝く社殿は桃山時代の豪華な風姿を示す江戸初期の建築物として国の重要文化財に指定されている。

御鎮座式には勅使下向、慈眼大師天海大僧正が初代別当となり、以来約400年の歴史と伝統は「権現様」として親しまれている。東照大権現とは薬師瑠璃光如来の神号で諸願一切成就・治病厄除・開運の信仰深く全国よりの賽者は多い。

祭典としては、御創建以来伝承の「和歌祭」といわれる神輿渡御祭が毎年五月に斎行され、和歌山市全域は祭一色となる。

祭神

紀州東照宮の祭神は以下の通りです。

・東照大神(とうしょうおおかみ):徳川家康(東照大権現)に同じ
 → 徳川家康(とくがわいえやす):江戸幕府の初代征夷大将軍で三英傑の一人
  ⇒ 死後は日光東照宮に祀られ、薬師如来を本地とする東照大権現として神格化された
・南龍大神(なんりゅうおおかみ):紀州藩主・徳川頼宣に同じ
 → 徳川頼宣(とくがわよりのぶ):徳川家康の十男で、紀州徳川家の祖

境内社

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弁財天社

紀州東照宮の境内社は以下の通りです。

・弁財天社:市杵島比売神を祀る
・福森稲荷社
・日出大神
・吉光大神
・祖霊社

境内の見どころ

鳥居

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紀州東照宮の鳥居です。

東照宮会館

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紀州東照宮の東照宮会館です。

権現不動堂

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紀州東照宮の権現不動堂です。

参道鳥居

人文研究見聞録:紀州東照宮 [和歌山県]

紀州東照宮の参道鳥居です。

侍坂

人文研究見聞録:紀州東照宮 [和歌山県]

紀州東照宮の侍坂です。

石段が108段積まれており、石段の上には楼門、石段の下には遥拝所があります。

楼門

人文研究見聞録:紀州東照宮 [和歌山県]

紀州東照宮の楼門です。

重要文化財に指定されており、楼門の朱塗り極彩色は関西唯一といわれています。

唐門(拝殿・本殿)

人文研究見聞録:紀州東照宮 [和歌山県]

紀州東照宮の唐門です。

唐門の向こうに拝殿・本殿があり、いずれも重要文化財に指定されています。

料金: 無料
住所: 和歌山県和歌山市和歌浦西2丁目1-20(マップ
営業: 9:00~17:00
交通: 紀三井寺駅(徒歩34分)

公式サイト: http://www.d2.dion.ne.jp/~hidei/
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。