斐伊神社 [島根県]
2017/09/10
島根県雲南市にある斐伊神社(ひいじんじゃ)です。
『出雲国風土記』の「樋社」に比定される古社であり、祭神に須佐之男尊・稲田比売命・伊都之尾羽張命を祀っています。
また、付近には"スサノオがヤマタノオロチを倒して頭を埋めた場所"と伝えられる「八本杉」があります。
神社概要
由緒
由緒書によれば、創建年代は不明であるものの、創祀は古く、古史伝に「孝昭天皇5年(BC.471年?)に分霊を氷川神社(埼玉県大宮市)に移した」という記録があるとされます(孝昭天皇3年とされる場合もある)。
また、当社は天平5年(733年)編纂の『出雲国風土記』に二つの記載がある「樋社(ひのやしろ)」の一つに比定され、もう一つの「樋社」は近くの八本杉 辺りにあったとされる「斐波夜比古神社(ひはやひこじんじゃ)」に比定されています。
なお、斐波夜比古神社は後に当社と併合したとされ、延長5年(927年)編纂の『延喜式神名帳』には「斐伊神社 同社座 樋速夜比古神社」と記されています(奈良前期~平安中期までに合殿されたと考えられている)。
また、「樋社」を「斐伊神社」と改称したのは、好字令(全国の地名を漢字二字の好字に変更する勅令)によって神亀3年(726年)に民部省の口宣が行われ、郷名の「樋」を「斐伊」と改めたことによるものとされます。
中世以降は所在地の小字から「宮崎大明神」と称えられ、地方九ヶ村の篤い崇敬を集めて、明治初年(1868年)まで その総氏神として崇められたとされ、明治4年(1871年)には郷社に列し、明治40年(1907年)に日宮八幡宮・稲荷神社を本社境内に移転して境内末社とし、昭和56年(1981年)に島根県神社庁特別神社に指定されて現在に至るとされています。
なお、由緒書による説明は以下の通りです。
【斐伊神社 略記】
本社の創立は はなはだ古く、孝昭天皇5年に御分霊を元官幣大社氷川神社に移したと古史伝に記載されている。
出雲風土記の「樋社」で、延喜式に「斐伊神社 同社座 樋速夜比古神社」とある。天平時代に二社あったのを一社に併合したのであろう。他の一社は今の八本杉にあったと考えられる。
「樋社」を斐伊神社と改称したのは、この郷の名が「樋」といったのを神亀3年 民部省の口宣により「斐伊」と改めたことによる。延喜の制 国幣小社に列せられ、清和天皇 貞観13年11月10日 神位従五位上を授けられた。
本社は中世より宮崎大明神と称えられ、地方九ヶ村の崇敬篤く、明治初年までその総氏神としてあがめられた。明治4年5月郷社に列せられた。明治16年、馬場替えをし、同40年5月 日宮八幡宮・稲荷神社を本社境内に移転し、境内末社とした。
昭和56年9月1日、島根県神社庁特別神社に指定された。昭和63年8月25日社務所を改築した。
本社の創立は はなはだ古く、孝昭天皇5年に御分霊を元官幣大社氷川神社に移したと古史伝に記載されている。
出雲風土記の「樋社」で、延喜式に「斐伊神社 同社座 樋速夜比古神社」とある。天平時代に二社あったのを一社に併合したのであろう。他の一社は今の八本杉にあったと考えられる。
「樋社」を斐伊神社と改称したのは、この郷の名が「樋」といったのを神亀3年 民部省の口宣により「斐伊」と改めたことによる。延喜の制 国幣小社に列せられ、清和天皇 貞観13年11月10日 神位従五位上を授けられた。
本社は中世より宮崎大明神と称えられ、地方九ヶ村の崇敬篤く、明治初年までその総氏神としてあがめられた。明治4年5月郷社に列せられた。明治16年、馬場替えをし、同40年5月 日宮八幡宮・稲荷神社を本社境内に移転し、境内末社とした。
昭和56年9月1日、島根県神社庁特別神社に指定された。昭和63年8月25日社務所を改築した。
【斐伊神社 由緒】
『出雲国風土記』には2つの樋社(ひのやしろ)が記されるが、その1つが斐伊神社に比定される。もう1社の樋社(同社坐 斐波夜比古神社)は八本杉のあたりにあったと考えられているが、平安時代中期頃には斐伊神社に合殿されている。
主祭神は素戔嗚尊(スサノオ)、稲田姫命(イナダヒメ)、伊都之尾張命(イツノオワリ)で、合殿された斐波夜比古神社 (ひはやひこじんじゃ)の祭神は樋速比古命のほか二神となっている。
斐伊神社は江戸時代には所在地の小字をとって「宮崎(埼)大明神」と呼ばれていた。
『出雲国風土記』には2つの樋社(ひのやしろ)が記されるが、その1つが斐伊神社に比定される。もう1社の樋社(同社坐 斐波夜比古神社)は八本杉のあたりにあったと考えられているが、平安時代中期頃には斐伊神社に合殿されている。
主祭神は素戔嗚尊(スサノオ)、稲田姫命(イナダヒメ)、伊都之尾張命(イツノオワリ)で、合殿された斐波夜比古神社 (ひはやひこじんじゃ)の祭神は樋速比古命のほか二神となっている。
斐伊神社は江戸時代には所在地の小字をとって「宮崎(埼)大明神」と呼ばれていた。
祭神
スサノオとクシナダヒメ |
斐伊神社の祭神は以下の通りです。
【主祭神】
・須佐之男尊(スサノオ):三貴子の一柱で出雲の祖神(天照大神の弟神に当たる)
→ 当地付近にある八本杉は、スサノオが八岐大蛇を退治した古戦場とされている
・稲田比売命(イナダヒメ):スサノオの后
→ 櫛名田比売命(クシナダヒメ)、奇稲田姫(クシイナダヒメ)などの別名もある
・伊都之尾羽張命(イツノオハバリ):『古事記』でタケミカヅチの親神とされる(文献によって異なる)
【合殿(斐伊波夜比古神社)】
・樋速夜比古命(ヒハヤヒコ):イザナギに斬られたカグツチの血から生まれた神の一柱(文献によって異なる)
・甕速日命(ミカハヤヒ):イザナギに斬られたカグツチの血から生まれた神の一柱(文献によって異なる)
・火炫毘古命(ヒカガビコ):カグツチの別名とされる
→ 迦具土神(カグツチ):イザナギ・イザナミの産んだ火の神で、主に防火の神として祀られる(愛宕権現とも)
・須佐之男尊(スサノオ):三貴子の一柱で出雲の祖神(天照大神の弟神に当たる)
→ 当地付近にある八本杉は、スサノオが八岐大蛇を退治した古戦場とされている
・稲田比売命(イナダヒメ):スサノオの后
→ 櫛名田比売命(クシナダヒメ)、奇稲田姫(クシイナダヒメ)などの別名もある
・伊都之尾羽張命(イツノオハバリ):『古事記』でタケミカヅチの親神とされる(文献によって異なる)
【合殿(斐伊波夜比古神社)】
・樋速夜比古命(ヒハヤヒコ):イザナギに斬られたカグツチの血から生まれた神の一柱(文献によって異なる)
・甕速日命(ミカハヤヒ):イザナギに斬られたカグツチの血から生まれた神の一柱(文献によって異なる)
・火炫毘古命(ヒカガビコ):カグツチの別名とされる
→ 迦具土神(カグツチ):イザナギ・イザナミの産んだ火の神で、主に防火の神として祀られる(愛宕権現とも)
境内社
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斐伊神社の境内社は以下の通りです。
・稲荷神社:宇迦御魂神(稲荷神)・他三柱を祀る
→ 合殿・廿原神社:古那比売命を祀る
・日宮八幡宮:誉田別尊(応神天皇)・息長足姫命(神功皇后)を祀る
・火守神社:迦具土命を祀る
・稲荷神社
→ 合殿・廿原神社:古那比売命を祀る
・日宮八幡宮:誉田別尊(応神天皇)・息長足姫命(神功皇后)を祀る
・火守神社:迦具土命を祀る
・稲荷神社
関連知識
八本杉
八本杉 |
斐伊神社から線路を挟んで西に2分程度歩いた所に「八本杉」があります。
案内板によれば、当地は「日本神話」における「スサノオのヤマタノオロチ退治」の古戦場であるとされます。
スサノオは この戦いで、頭が八つ・尾が八つの大蛇であるヤマタノオロチを倒して、オロチが再び甦らないように その八つの頭を当地に埋め、その上に八本の杉を植えたことから「八本杉」の名が起こったとされています。
この際、スサノオは「我たのむ 人を恵みの 杉植えて 八重垣かこみ 守る末の代」という和歌を詠んだそうです。
「スサノオのヤマタノオロチ退治」についてはこちら:【古事記版】【日本書紀版】【先代旧事本紀版】
境内の見どころ
鳥居
斐伊神社の鳥居です。
拝殿
斐伊神社の拝殿です。
本殿
斐伊神社の本殿です。
社日
斐伊神社にある社日碑(社日塔)です。
社日とは中国から伝わった風習で、土地・部族の守護神である社(土地の守護神・土の神)を祀る信仰とされます。
この信仰が伝わって以来、地神や田の神の信仰と習合して全国的に広まったとされ、当地方には碑や塔が多く見られます。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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