熊野大社 [島根県]
2017/09/17
島根県松江市にある熊野大社(くまのたいしゃ)です。
古くから当地に鎮座する格式の高い神社であり、祭神に神祖熊野大神櫛御気野命(素戔嗚尊)を祀っています。
当社は火の発祥の神社として知られており、「日本火出初之社」とも呼ばれています。
また、出雲大社と共に出雲国一之宮であり、六社参りで知られる意宇六社の一社に数えられています。
神社概要
由緒
由緒書等によれば、具体的な創祀年代は不詳とされていますが、『記紀』に「ヤマタノオロチを退治したスサノオは出雲国の須賀の地に宮殿を立てた」とあり、また『日本書紀』一書(異伝)に「スサノオは子のイタケルらに樹木の種を蒔いて育てるよう命じた後、熊成峯(クマナリノミネ)に居て、やがて根の国に向かった」とあり、『出雲国風土記』には「熊野山(くまのやま)…中略…いわゆる熊野大神の社が鎮座していらっしゃる」とあります。
上記の熊野山(現・天狗山)は「元宮ヶ成」とも称しており、此処には古代祭祀が行われたとされる巨大磐座があり、当社では「熊成峯」「元宮ヶ成」は聖地の尊称で、共にカミが顕現された処を表現していると捉え、この「熊成峯」「元宮ヶ成」に熊野大社の創祀があるとしています。なお、『日本書紀』の斉明天皇条に「斉明天皇5年(659年)、出雲国造に命じて神宮(熊野大社に比定)を修繕させた」とあることから、文献上の創祀年代は斉明天皇5年(659年)とされています。
古代の熊野大社は杵築大社(出雲大社)よりも神階が常に上位にあり、『延喜式神名帳』にも「熊野坐神社 名神大」と記され、僻地に在りながら「大社」の称号を背負うほど、崇敬を集めていたとされます。
しかし、徐々に衰微し、中世には社を上下に分けて祭祀する二社祭祀の形態となり、祭祀と尊崇のあり方も変化したそうです。なお、その当時は、上の宮(上社)には熊野権現(伊弉冉尊・事解男神・速玉男神など)を祀る神社が、下の宮には伊勢宮(天照大神・須戔嗚尊を祭祀)があったとされ、現在でも「上の宮跡」として存在しています(本社より5.5km程 南下した場所に位置)。
近代に入ると、明治4年(1871年)に神社制度が改正されて国幣中社となり、これを契機に現社地を整備して上下社を合祀する造営が進められ、明治41年(1908年)に完成したとされます。その後、大正5年(1916年)に国幣大社となり、大正8年(1919年)に修理・神域拡張が行われ、昭和23年(1948年)及び昭和53年(1978年)に修理造営が行って社頭を一新し、現在に至るとされています。
なお、境内の由緒書による説明は以下の通りです。
【熊野大社 御由緒】
日本書紀(720年)は659年に出雲国造が斉明天皇の勅で厳神の宮を造営したと記し、出雲国風土記(733年)は国内の186社で大社の称号を有する神社として熊野大社と杵築大社(出雲大社)を掲げ、「出雲国一之宮」の崇敬を表しています。特に御祭神が初めて鑚火(さんか)されたので、日本火出初社(ひのもとひでぞめのやしろ)と称します。
古来、出雲国造(出雲大社宮司)の襲職は神聖な鑽火器拝戴の儀式を参向して仕える伝統があり、今も変わることなく行われています。
日本書紀(720年)は659年に出雲国造が斉明天皇の勅で厳神の宮を造営したと記し、出雲国風土記(733年)は国内の186社で大社の称号を有する神社として熊野大社と杵築大社(出雲大社)を掲げ、「出雲国一之宮」の崇敬を表しています。特に御祭神が初めて鑚火(さんか)されたので、日本火出初社(ひのもとひでぞめのやしろ)と称します。
古来、出雲国造(出雲大社宮司)の襲職は神聖な鑽火器拝戴の儀式を参向して仕える伝統があり、今も変わることなく行われています。
【出雲國一之宮 熊野大社】
神祖熊野大神櫛御気野命(カブロギクマノノオオカミクシミケヌノミコト)を主祭神として境内中央正面の御本殿にお祀りしており、この御神名は素戔嗚尊(スサノオノミコト)の御尊称です。
他、境内には右手に御后神の奇稲田姫(クシイナダヒメ)をお祀りしている稲田神社、左手に御母神の伊弉冉尊(イザナミノミコト)をお祀りしている伊邪那美神社、また荒神社や稲田神社があります。他にも随神門、鑚火殿、舞殿、環翠亭(休憩所)等 様々な社殿、建物があります。
特に鑚火殿は当社独自の社殿であります。萱葺きの屋根に四方の壁は檜の皮で覆われ、竹でできた縁がめぐらされており、発火の神器である燧臼(ひきりうす)、燧杵(ひきりぎね)が奉安されています。毎年の鑽火祭や出雲大社宮司(出雲国造)の襲職時の火継式斎行の大切な祭場となる社殿であります。
神祖熊野大神櫛御気野命(カブロギクマノノオオカミクシミケヌノミコト)を主祭神として境内中央正面の御本殿にお祀りしており、この御神名は素戔嗚尊(スサノオノミコト)の御尊称です。
他、境内には右手に御后神の奇稲田姫(クシイナダヒメ)をお祀りしている稲田神社、左手に御母神の伊弉冉尊(イザナミノミコト)をお祀りしている伊邪那美神社、また荒神社や稲田神社があります。他にも随神門、鑚火殿、舞殿、環翠亭(休憩所)等 様々な社殿、建物があります。
特に鑚火殿は当社独自の社殿であります。萱葺きの屋根に四方の壁は檜の皮で覆われ、竹でできた縁がめぐらされており、発火の神器である燧臼(ひきりうす)、燧杵(ひきりぎね)が奉安されています。毎年の鑽火祭や出雲大社宮司(出雲国造)の襲職時の火継式斎行の大切な祭場となる社殿であります。
祭神
熊野大社の祭神は以下の通りです。
・神祖熊野大神櫛御気野命(カブロギクマノノオオカミクシミケヌ):素盞鳴尊(スサノオ)の尊称とされる
→ 素盞鳴尊(スサノオ):三貴子の一柱で出雲の祖神(天照大神の弟神に当たる)
→ 伊射那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命(イザナギマナゴ カブロギクマヌノオオカミ クシミケヌ)とも
⇒ 伊射那伎日真名子とは、イザナギ・イザナミの可愛がられる御子の意
⇒ 加夫呂伎とは、神聖なる祖なる神の意
⇒ 熊野大神櫛御気野命とは、この熊野に坐す尊い神の櫛御気野命の意
→ 櫛御食野命(クシミケヌ)とも
→ 素盞鳴尊(スサノオ):三貴子の一柱で出雲の祖神(天照大神の弟神に当たる)
→ 伊射那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命(イザナギマナゴ カブロギクマヌノオオカミ クシミケヌ)とも
⇒ 伊射那伎日真名子とは、イザナギ・イザナミの可愛がられる御子の意
⇒ 加夫呂伎とは、神聖なる祖なる神の意
⇒ 熊野大神櫛御気野命とは、この熊野に坐す尊い神の櫛御気野命の意
→ 櫛御食野命(クシミケヌ)とも
境内社
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熊野大社の境内社は以下の通りです。
・伊邪那美神社:伊弉冉尊を祀る
→ 他に旧熊野11地区の各神社の祭神を合祀
・荒神社:素盞鳴尊を祀る
・稲荷神社:倉稲魂神を祀る
・稲田神社:奇稲田姫(眞髪觸奇稲田姫)を祀る
→ 他に旧熊野11地区の各神社の祭神を合祀
・荒神社:素盞鳴尊を祀る
・稲荷神社:倉稲魂神を祀る
・稲田神社:奇稲田姫(眞髪觸奇稲田姫)を祀る
境内の見どころ
一の鳥居
熊野大社の一の鳥居です。
さざれ石
熊野大社にあるさざれ石です。
八雲橋
熊野大社の八雲橋です。
二の鳥居
熊野大社の二の鳥居です。
祓所
熊野大社の祓所です。
神門(随神門)
熊野大社の神門です。
軒下に大注連縄が掛けられており、随神が向かい合わせに祀られています。
鑚火殿
熊野大社の鑚火殿(さんかでん)です。
当社独自の特殊な社殿であり、発火の神器である燧臼(ひきりうす)、燧杵(ひきりぎね)が安置されています。
スサノオはこの神器で火を鑽(き)り出す方法を教えたとされ、このため当社は「日本火出初社」とも称えられています。
なお、古くから出雲大社の宮司が交替する際に、当社の鑚火殿でヒツギ(火継・霊継)の儀式を行っているそうです。
境内
熊野大社の境内の様子です。
舞殿
熊野大社の舞殿です。
拝殿
熊野大社の拝殿です。
本殿
熊野大社の本殿です。
池
熊野大社の池です。
池の中には鯉が放流されています。
連理の榊
熊野大社の連理の榊です。
神紋
熊野大社の神紋は「亀甲に大の字」となっています。
絵馬
熊野大社の絵馬です。
三匹の猿が描かれています。
料金: 無料
住所: 島根県松江市八雲町熊野2451(マップ)
営業: 終日開放
交通: 松江駅(車26分)、八雲コミュニティバス「熊野大社」下車
公式サイト: http://www.kumanotaisha.or.jp/
住所: 島根県松江市八雲町熊野2451(マップ)
営業: 終日開放
交通: 松江駅(車26分)、八雲コミュニティバス「熊野大社」下車
公式サイト: http://www.kumanotaisha.or.jp/
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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