長浜神社(妙見さん・国引きの宮) [島根県]
2017/09/02
島根県出雲市にある長浜神社(ながはまじんじゃ)です。
『出雲国風土記』の「出雲社」に比定される古社であり、主祭神に国引き神話の神である八束水臣津野命を祀っています。
主祭神が「綱引きの祖」とされることから「スポーツ上達」の御利益があるとされます。
また、この他にも「不動産守護」「勝利」「生成化育」の神として信仰を集めているとされています。
神社概要
由緒
由緒書によれば、創建年代は不詳であるものの、和銅3年(710年)以前には創立していたとされ、後に妙見信仰が浸透したことから中世以降は「妙見大社」と呼ばれ、明治以降に「長浜神社」となって現在に至るとされます。
なお、当初は現・主祭神である八束水臣津野命(ヤツカミズオミツヌ)を祀っていたとされますが、和銅3年(710年)に元明天皇の勅命によって妙見信仰の神である廣太照光妙見(こうたいしょうこうみょうけん)を祀ることになったことで、妙見信仰の社となり、明治以降は神仏分離令によって再び八束水臣津野命が祭神となったとされています。
ちなみに、古文書に「和銅3年菊月(9月)8日、帝(元明天皇)より出雲国神門郡 浄山南方 水海西 出雲御社と勅定を受け、(祭神を)廣太照光妙見となし給うた云々」とあるそうです。
また、八束水臣津野命は『出雲国風土記』にある「国引き神話」において当地の国土を生成した神であるとされ、「出雲国」という国号を命名したとされます(『記紀』ではスサノオ)。この八束水臣津野命を祀る当社は『出雲国風土記』において「出雲社(いずものやしろ)」に比定され、当初は「出雲神社(いずもじんじゃ)」などとも呼ばれていたそうです。
また、かつては「日本三大妙見」と称されるほど霊験あらたかとして知られ、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際には百日祈願が行われたとされます。加えて、加藤清正や片桐且元・福島正則などの有名な武将の参拝があり、この頃から「武道・競技上達の神」や「勝負の神」として広く信仰を集めるようになったとされています。
なお、由緒書による解説は以下の通りです。
【長浜神社 由緒】
創立年代 不詳 和銅3年(710年)の年号および それ以前の記述の古文書あり
国引き神話では、土地を引いてきた綱に当たる「薗の長濱(そののながはま)」の地に鎮座し、国引きの神「八束水臣津野命(ヤツカミズオミツヌ)」を主祭神としてお祀りしている。「妙見大社(みょうけんたいしゃ)」などと呼ばれ、明治以降は「長浜神社」となり今に至る。
【妙見信仰】
北極星や北斗七星に祈る信仰で、国家鎮護や武運長久などの御加護で知られる。戦国時代の大内・尼子・毛利の各武将や豊臣秀吉から、当社は社領寄進や安堵を受け、江戸時代の延宝3年(1675年)の火災の復興は松江藩主・松平綱近が藩費を以って造営に当たり、武家の崇敬を集めた。
創立年代 不詳 和銅3年(710年)の年号および それ以前の記述の古文書あり
国引き神話では、土地を引いてきた綱に当たる「薗の長濱(そののながはま)」の地に鎮座し、国引きの神「八束水臣津野命(ヤツカミズオミツヌ)」を主祭神としてお祀りしている。「妙見大社(みょうけんたいしゃ)」などと呼ばれ、明治以降は「長浜神社」となり今に至る。
【妙見信仰】
北極星や北斗七星に祈る信仰で、国家鎮護や武運長久などの御加護で知られる。戦国時代の大内・尼子・毛利の各武将や豊臣秀吉から、当社は社領寄進や安堵を受け、江戸時代の延宝3年(1675年)の火災の復興は松江藩主・松平綱近が藩費を以って造営に当たり、武家の崇敬を集めた。
祭神
八束水臣津野命 |
長浜神社の祭神は以下の通りです。
【主祭神】
・八束水臣津野命(ヤツカミズオミツヌ):『出雲国風土記』の「国引き神話」に登場し、出雲の国土を造ったとされる
→ 『出雲国風土記』においては最も古い神とされ、「出雲」を命名したとされる
→ 『古事記』における淤美豆奴神(オミズヌ)に比定される
⇒ 淤美豆奴神と同神とされるが、当社では国引きの神として祀っているとされる
→ 『出雲国風土記』のほか、志摩などの民話にも登場し、巨人であったとされている
【配祀神】
・布帝耳神(フテミミ):『古事記』に登場する神で、系譜上は大国主神の祖母に当たる
→ 淤美豆奴神の妻に当たる
・淤美豆奴神(オミヅヌ):『古事記』に登場する神で、系譜上は大国主神の祖父に当たる
→ 八束水臣津野命と同神とされる
⇒ 八束水臣津野命と同神とされるが、当社では妙見信仰の神として祀っているとされる
・八束水臣津野命(ヤツカミズオミツヌ):『出雲国風土記』の「国引き神話」に登場し、出雲の国土を造ったとされる
→ 『出雲国風土記』においては最も古い神とされ、「出雲」を命名したとされる
→ 『古事記』における淤美豆奴神(オミズヌ)に比定される
⇒ 淤美豆奴神と同神とされるが、当社では国引きの神として祀っているとされる
→ 『出雲国風土記』のほか、志摩などの民話にも登場し、巨人であったとされている
【配祀神】
・布帝耳神(フテミミ):『古事記』に登場する神で、系譜上は大国主神の祖母に当たる
→ 淤美豆奴神の妻に当たる
・淤美豆奴神(オミヅヌ):『古事記』に登場する神で、系譜上は大国主神の祖父に当たる
→ 八束水臣津野命と同神とされる
⇒ 八束水臣津野命と同神とされるが、当社では妙見信仰の神として祀っているとされる
関連社
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長浜神社の関連社は以下の通りです。
【境内社】
・坂下荒神社
・天神社
・稲荷神社
・春日神社
・岐神社:道祖神を祀る
・納社(荒神社):かつて個人宅で祀られていた荒神社
【関連社】
・金持神社:鳥取県日野町の金持神社は、弘仁元年(810年)に薗妙見宮の次男が神夢により創建した
→ このため、金持神社には当社と同じ祭神が祀られている
・坂下荒神社
・天神社
・稲荷神社
・春日神社
・岐神社:道祖神を祀る
・納社(荒神社):かつて個人宅で祀られていた荒神社
【関連社】
・金持神社:鳥取県日野町の金持神社は、弘仁元年(810年)に薗妙見宮の次男が神夢により創建した
→ このため、金持神社には当社と同じ祭神が祀られている
関連知識
国引き神話
『出雲国風土記』には、当社祭神である八束水臣津野命(ヤツカミズオミツヌ)が、出雲の土地を広げるために朝鮮半島から土地の余った部分を引き寄せて国土生成したという「国引き神話」が記されており、この神話において当社の鎮座する「薗の長濱(そののながはま)」は、「国引きの綱」に当たるとされています。
なお、当社の案内板では以下のように説明されています。
【国引き神話】
八束水臣津野命(ヤツカミズオミツヌ)は「出雲の国は細長い布切れのような国だなあ。最初に国を小さく作りすぎてしまった。だから作り足して大きくしよう。」と言われ、国引きを決意されました。
どこかに継ぎ足して縫い合せられるような土地はないかと眺めてみると「朝鮮半島の新羅(しらぎ)の岬に余った土地があるぞ」と見つけられ、幅広で大きく形の良いスキを用いて、大きな魚のエラを刃物で切り断つごとく、ススキの穂を切り落とすごとく切り取り、三つ搓りに綯った太い縄をしばりつけ、霜で枯れたツヅラをたぐり寄せるように、川船をそろりそろりと引くよつに「国来い、国来い」と引き寄せて来て元の国に縫い合せていかれました。
こうしてできた土地は、島根半島の西端の杵築の岬の一帯です。
この土地をつなぎとめるために立てた杭は、出雲の国と石見の国の境にある佐比売山(三瓶山)です。また、引いた時の綱は、薗の長浜がそれです。
更に、狭田の国・闇見の国・美保の岬を国土生成され、4回にわたる国引きを終えられました。その後、人々は出雲の国の総鎮守として、国引きの神とその后神・御子神を薗の長浜の妙見山に祀りました。
八束水臣津野命(ヤツカミズオミツヌ)は「出雲の国は細長い布切れのような国だなあ。最初に国を小さく作りすぎてしまった。だから作り足して大きくしよう。」と言われ、国引きを決意されました。
どこかに継ぎ足して縫い合せられるような土地はないかと眺めてみると「朝鮮半島の新羅(しらぎ)の岬に余った土地があるぞ」と見つけられ、幅広で大きく形の良いスキを用いて、大きな魚のエラを刃物で切り断つごとく、ススキの穂を切り落とすごとく切り取り、三つ搓りに綯った太い縄をしばりつけ、霜で枯れたツヅラをたぐり寄せるように、川船をそろりそろりと引くよつに「国来い、国来い」と引き寄せて来て元の国に縫い合せていかれました。
こうしてできた土地は、島根半島の西端の杵築の岬の一帯です。
この土地をつなぎとめるために立てた杭は、出雲の国と石見の国の境にある佐比売山(三瓶山)です。また、引いた時の綱は、薗の長浜がそれです。
更に、狭田の国・闇見の国・美保の岬を国土生成され、4回にわたる国引きを終えられました。その後、人々は出雲の国の総鎮守として、国引きの神とその后神・御子神を薗の長浜の妙見山に祀りました。
詳しくはこちらの記事を参照:【国引き神話(出雲国風土記・現代語訳)】
境内の見どころ
石鳥居
長浜神社の石鳥居です。
忠魂碑
長浜神社にある忠魂碑です。
随神門(神門)
長浜神社の随神門です。
当社の随神は、向かい合わせに祀られています。
献火台
長浜神社の献火台です。
弓掛けの松
長浜神社にある弓掛けの松です。
豊臣秀吉の使いで来た片桐且元(かたぎりかつもと)が弓矢を掛けたと云われています。
厳藻かけ
長浜神社にある厳藻かけ(いづもかけ)です。
出雲地方には忌明の後に海で身体を清めた証に、海藻を持って神社に参拝するという風習があるそうです。
なお、この時の海藻は「厳藻(いづも)」と呼ばれ、「出雲」の語源になったとも言われています。
拝殿
長浜神社の拝殿です。
拝殿内
長浜神社の拝殿内の様子です。
祭具や絵画、綱引きの綱などが納められています。
くにびき一文字写詞
長浜神社のくにびき一文字写詞です。
寺でいう写経に当たり、国引きの詞章のうち 一文字を奉納木に書いて納めるというものになっています。
常磐木
長浜神社の常磐木です。
玉串奉奠の際に紙垂(しで)を掛ける掛玉串に使われる木とされています。
本殿(社殿全景)
三社鳥居
長浜神社の三社鳥居(さんじゃとりい)です。
大神神社の三ツ鳥居を模した鳥居とされています(大神神社との関係は無いとされる)。
夫婦石
長浜神社の夫婦石(めおといし)です。
左右の男石(おいし)・女石(めいし)を撫でて祈願すると、夫婦円満・子授け・安産のご利益があるとされています。
「子供が欲しい老夫婦が女石に座って男石を撫でて祈願したところ、子宝に恵まれた」という故事に基づくそうです。
※かつて此処には要石(かなめいし)という土地を鎮めの石が安置されていたとされる
料金: 無料
住所: 島根県出雲市西園町上長浜4258(マップ)
営業: 終日開放
交通: 出雲神西駅(徒歩51分、車10分)、スサノオ観光バス「妙見橋」下車(徒歩10分)
公式サイト: http://www.shinbutsu.jp/50.html
住所: 島根県出雲市西園町上長浜4258(マップ)
営業: 終日開放
交通: 出雲神西駅(徒歩51分、車10分)、スサノオ観光バス「妙見橋」下車(徒歩10分)
公式サイト: http://www.shinbutsu.jp/50.html
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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