智伊神社 [島根県]
2017/09/03
島根県出雲市にある智伊神社(ちいじんじゃ)です。
『出雲国風土記』の「知乃社」に比定される古社であり、祭神に高皇産霊神・埴安姫神を祀っています。
神社概要
由緒
由緒書によれば、創建年代は不詳であるものの、『出雲国風土記』に「知乃社」、『延喜式神名帳』に「智伊神社」とある古社で、当時は出雲大社と深い関係があり、鎮座地も現在の多聞院の南横であったとされています。
当社は上記の史料の他にも『日本三代実録』『雲陽誌』に記録されており、『雲陽誌』には「文禄年間(1592~1595年)に本社が炎上し、縁起や神書などが悉く紛失した」とあるそうです。その後、宝暦5年(1758年)に現在地に移転されて現在に至るとされています。
なお、由緒書では以下のように説明されています。
【智伊神社】
当社の創立年間は不詳であるが、出雲国風土記(733)に知乃社、延喜式神名帳(927)に智伊神社とあり、現在の多聞院南横に鎮座していた。当時、出雲大社と深い関係があり、大社造営の節は旧社の拝字を智伊の社司に賜ったとの記録もある。
また、三代実録(901)には智伊社とあり、清和天皇貞観10年(869)9月21日出雲国正六位・智伊神社授従五位下、同13年11月10日出雲国従五位下・智伊神社授従五位上とある。
雲陽誌には文禄年間(1592~95)本社炎上し、縁起神書ことごとく紛失したとある。宝暦5年(1758)に この地に移転され今に至っている。現在の本殿・随神門は平成4年10月に改装されたものである。
当社の創立年間は不詳であるが、出雲国風土記(733)に知乃社、延喜式神名帳(927)に智伊神社とあり、現在の多聞院南横に鎮座していた。当時、出雲大社と深い関係があり、大社造営の節は旧社の拝字を智伊の社司に賜ったとの記録もある。
また、三代実録(901)には智伊社とあり、清和天皇貞観10年(869)9月21日出雲国正六位・智伊神社授従五位下、同13年11月10日出雲国従五位下・智伊神社授従五位上とある。
雲陽誌には文禄年間(1592~95)本社炎上し、縁起神書ことごとく紛失したとある。宝暦5年(1758)に この地に移転され今に至っている。現在の本殿・随神門は平成4年10月に改装されたものである。
祭神
智伊神社の祭神は以下の通りです。
【主祭神】
・高皇産霊神(タカミムスビ):天地開闢(世界の始まり)に関わった別天津神の一柱
→ 『古事記』では、天地開闢の後に高天原に二番目に出現した神であるとされる
【配祀神】
・埴安姫神(ハニヤスヒメ):「日本神話」に登場する神で、イザナギとイザナミの間に産まれたとされる
→ 地鎮祭で土の神としてに祀られることがある
→ 五角柱の地神塔に名が刻まれる五神の一であり、農業に関わりの深い神とされる
・高皇産霊神(タカミムスビ):天地開闢(世界の始まり)に関わった別天津神の一柱
→ 『古事記』では、天地開闢の後に高天原に二番目に出現した神であるとされる
【配祀神】
・埴安姫神(ハニヤスヒメ):「日本神話」に登場する神で、イザナギとイザナミの間に産まれたとされる
→ 地鎮祭で土の神としてに祀られることがある
→ 五角柱の地神塔に名が刻まれる五神の一であり、農業に関わりの深い神とされる
境内社
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智伊神社の境内社は以下の通りです。
・金刀比羅社・春日社:武甕槌神・経津主命・天兒屋根命・比賣大神を祀り、大物主神・崇徳天皇を合祀する
・大城稲荷社:倉稲魂神を祀る
・大山神社:大己貴神を祀る
・大三輪神社:大物主神を祀る
・招魂社
・比布智神社(式内社):神魂子・角魂神を祀る
・稲荷社
・式内社・同社坐神魂子角魂神社
・大城稲荷社:倉稲魂神を祀る
・大山神社:大己貴神を祀る
・大三輪神社:大物主神を祀る
・招魂社
・比布智神社(式内社):神魂子・角魂神を祀る
・稲荷社
・式内社・同社坐神魂子角魂神社
境内の見どころ
鳥居
智伊神社の鳥居です。
狛犬
智伊神社の狛犬です。
神門
智伊神社の神門です。
石段の上に設けられており、随神が向かい合わせに祀られています。
拝殿
智伊神社の拝殿です。
本殿
智伊神社の本殿です。
神紋
智伊神社の神紋は「二重亀甲に弓文字」となっています。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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