売布神社(賣布神社) [島根県]
2017/09/14
島根県松江市にある売布神社(めふじんじゃ)です。
神代に創祀を遡る古社であり、祭神に速秋津比賣神・五十猛命・大屋都比売命・抓津姫命を祀っています。
なお、『出雲国風土記』の「賣布社」、『延喜式』の「賣布神社」に比定される式内社となっています。
神社概要
由緒
由緒書によれば、神代に櫛八玉神(クシヤタマ)が潮の流れの中にあるとされる速秋津比賣神(ハヤアキツヒメ)を生命の祖神として祀ったことに始まり、後に樹種の神とされる五十猛命(イタケル)・大屋津姫命(オオヤツヒメ)・抓津姫命(ツマツヒメ)が合祀されたと伝わっており、社名の「めふ」は「海藻や草木の豊かに生えること」を意味しているそうです。
また、奈良時代の『出雲国風土記』の「賣布社」、平安時代の『延喜式神名帳』の「賣布神社」に比定される古社であり、鎮座地も、かつては意宇の入海(今の宍道湖)の西部湖岸であったとされ、潮の流れや地形の変動に伴って遷座し、岩崎鼻(袖師ガ浦)の鎮座を経て、白潟の地が形成された13世紀頃に現在地に遷座したとされます。
中世には「白潟大明神(しらかたじだいみょうじん)」と呼ばれ、港町「白潟」の宮座の権利として神田や漁業権を保有してきた歴史もあり、祭儀についても摂社の「櫛八玉神」の事蹟と関連して「日本神話」の「国譲りの段」に因む神事が継承されてきたそうです。このほかにも「橋姫大明神(はしひめだいみょうじん)」とも称され、松江の産土神として鎮座してきたとされています。
なお、由緒書による説明は以下の通りです。
【売布神社 由緒】
当社は遠く神代において、摂社の御祭神である櫛八玉神(クシヤタマ)が潮の流れの中にあるとされる速秋津比賣神(ハヤアキツヒメ)を生命の祖神としてお祀りになったことに始まり、後に樹種の神とされる相殿の三神が合わせ祀られたと伝えられています。
このことは、海の潮の働きと地上の樹木の働きが相まって海河山野の幸がもたらされ、人々も生かされていることが示されているのです。
神ながらの道の原点は、大自然の営みに畏敬の念をはらい、自己の生き方を律して、諸々の禍いや過ち、そして気枯れ(穢れ)などあれば これを見直し、人本来の生き方や生命力を甦らせることにあり、それが「祓え・清め」の真の意義でもあります。そのための活力(気)は、「潮の気(水気や塩気)そして、樹木の気に宿る神々によってもたらされる」と、信仰されてきたのです。
当社は、「出雲国風土記」に「賣布社」、「延喜式」には「賣布神社」と記された古社であり、社名の「めふ」とは、海藻や草木の豊かに生えることを意味しています。
当社の元の鎮座地は、古代名の意宇の入海(今の宍道湖)の西部湖岸と考えられ、潮の流れや地形の変動に伴い遷座され、岩崎鼻(袖師ガ浦)に鎮座した時代もあり、潟地が広がって白潟の地が形成されて現在地に遷座されたのが13世紀頃と考えられ、「白潟大明神(しらかたじだいみょうじん)」とか、15世紀には「橋姫大明神(はしひめだいみょうじん)」とも称され、水郷「松江」の産土神として鎮座しました。
また、中世には港町「白潟」の宮座の権利として神田や漁業権を保有してきた歴史があり、祭儀では摂社の「櫛八玉神」の御事蹟と関連して、古代神話の国譲りの段に因む神事が継承されてきました。
当社は遠く神代において、摂社の御祭神である櫛八玉神(クシヤタマ)が潮の流れの中にあるとされる速秋津比賣神(ハヤアキツヒメ)を生命の祖神としてお祀りになったことに始まり、後に樹種の神とされる相殿の三神が合わせ祀られたと伝えられています。
このことは、海の潮の働きと地上の樹木の働きが相まって海河山野の幸がもたらされ、人々も生かされていることが示されているのです。
神ながらの道の原点は、大自然の営みに畏敬の念をはらい、自己の生き方を律して、諸々の禍いや過ち、そして気枯れ(穢れ)などあれば これを見直し、人本来の生き方や生命力を甦らせることにあり、それが「祓え・清め」の真の意義でもあります。そのための活力(気)は、「潮の気(水気や塩気)そして、樹木の気に宿る神々によってもたらされる」と、信仰されてきたのです。
当社は、「出雲国風土記」に「賣布社」、「延喜式」には「賣布神社」と記された古社であり、社名の「めふ」とは、海藻や草木の豊かに生えることを意味しています。
当社の元の鎮座地は、古代名の意宇の入海(今の宍道湖)の西部湖岸と考えられ、潮の流れや地形の変動に伴い遷座され、岩崎鼻(袖師ガ浦)に鎮座した時代もあり、潟地が広がって白潟の地が形成されて現在地に遷座されたのが13世紀頃と考えられ、「白潟大明神(しらかたじだいみょうじん)」とか、15世紀には「橋姫大明神(はしひめだいみょうじん)」とも称され、水郷「松江」の産土神として鎮座しました。
また、中世には港町「白潟」の宮座の権利として神田や漁業権を保有してきた歴史があり、祭儀では摂社の「櫛八玉神」の御事蹟と関連して、古代神話の国譲りの段に因む神事が継承されてきました。
祭神
売布神社の祭神は以下の通りです。
【主祭神】
・速秋津比賣神(ハヤアキツヒメ):『延喜式』の「大祓詞」に速開津比咩と記される祓戸四神の一柱
→ 橋姫とも呼ばれ、水門を守る神として橋の近くで祀られることが多いとされる
→ 『古事記』ではイザナギ・イザナミの神生みで生まれた神の一柱とされる
→ 『日本書紀』の異伝では、水門神などの別名とされる河口の神
→ 『ホツマツタヱ』ではアマテル(天照大御神)の典侍后で、初めて天児を作ったとされる
【合祀神】
・五十猛命(イタケル):スサノオの御子神であり、全国に樹木を種を撒いて廻った木の神とされる
・大屋津姫命(オオヤツヒメ):スサノオの御子神であり、兄・イタケルと共に全国に樹木を種を撒いて廻ったとされる
・抓津姫命(ツマツヒメ):スサノオの御子神であり、兄姉と共に全国に樹木を種を撒いて廻ったとされる
→ イタケル・オオヤツヒメの妹神に当たる
【摂社神】
・櫛八玉神(クシヤタマ):水戸神の孫
→ 『古事記』では、大国主が国譲りの後に神殿(出雲大社)を建てた際、膳夫となって詞章を述べたとされる
・速秋津比賣神(ハヤアキツヒメ):『延喜式』の「大祓詞」に速開津比咩と記される祓戸四神の一柱
→ 橋姫とも呼ばれ、水門を守る神として橋の近くで祀られることが多いとされる
→ 『古事記』ではイザナギ・イザナミの神生みで生まれた神の一柱とされる
→ 『日本書紀』の異伝では、水門神などの別名とされる河口の神
→ 『ホツマツタヱ』ではアマテル(天照大御神)の典侍后で、初めて天児を作ったとされる
【合祀神】
・五十猛命(イタケル):スサノオの御子神であり、全国に樹木を種を撒いて廻った木の神とされる
・大屋津姫命(オオヤツヒメ):スサノオの御子神であり、兄・イタケルと共に全国に樹木を種を撒いて廻ったとされる
・抓津姫命(ツマツヒメ):スサノオの御子神であり、兄姉と共に全国に樹木を種を撒いて廻ったとされる
→ イタケル・オオヤツヒメの妹神に当たる
【摂社神】
・櫛八玉神(クシヤタマ):水戸神の孫
→ 『古事記』では、大国主が国譲りの後に神殿(出雲大社)を建てた際、膳夫となって詞章を述べたとされる
境内社
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売布神社の境内社は以下の通りです。
・和田津見神社:櫛八玉神、豊玉彦神、豊玉姫神を祀る
・金刀比羅神社:大名牟遅命、少彦名命を祀る
・船霊神社:表筒男命、中筒男命、底筒男命を祀る
・恵美須神社:事代主命、大國主命を祀る
・道祖神社:猿田彦命を祀る
・白潟地主荒神:速秋津比古命・素盞嗚尊を祀る
・常光神社:常姫霊位を祀る
・大松荒神:地主荒神を祀る
・金刀比羅神社:大名牟遅命、少彦名命を祀る
・船霊神社:表筒男命、中筒男命、底筒男命を祀る
・恵美須神社:事代主命、大國主命を祀る
・道祖神社:猿田彦命を祀る
・白潟地主荒神:速秋津比古命・素盞嗚尊を祀る
・常光神社:常姫霊位を祀る
・大松荒神:地主荒神を祀る
境内の見どころ
鳥居
売布神社の鳥居です。
神門(随神門)
売布神社の神門です。
随神が向かい合わせに祀られています。
狛犬
売布神社の狛犬です。
拝殿
売布神社の拝殿です。
本殿
売布神社の本殿です。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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