多気神社(多氣神社) [島根県]
2017/09/15
島根県松江市にある多気神社(たけじんじゃ)です。
『出雲国風土記』の「多気社」に比定される古社であり、祭神に武甕槌命・経津主命を祀っています。
神社概要
由緒
由緒書によれば、当社は奈良時代の『出雲国風土記』の「多気社」、平安時代の『延喜式神名帳』の「多気神社」に比定される古社であり、天文年間(1532~1554年)には竹宮神社と称していたとされます(多気と竹をかけた社名)。
竹宮神社は元は上宇部尾村の女嵩の山麓に鎮座しており、同村に鎮座する津森神社と上下社の関係であったとされますが、上社(竹宮神社)が参拝に不便であったため、明治39年(1906年)に下社(津森神社)と併合することになり、明治41年(1908年)に津森神社跡に竹宮神社を鎮祭したとされ、大正5年(1916年)に社名を「多氣神社(多気神社)」と改めて現在に至るとされています。
なお、由緒書による説明は以下の通りです。
【由緒・沿革】
当社は出雲国風土記に多氣の社と出ており、延喜式神名帳にも掲載されている式内社である。
従来 この神社は竹宮神社と津森神社とあり、竹宮神社と称していた天文年間(1532~1554年)には、多氣を竹の字にかけ竹宮と称していた。
元の神社は女嵩の山麓にあって参拝に不便のため、明治39年に協議の結果、津森神社と竹宮神社に合併の上、更に津森神社跡に竹宮神社を鎮祭した。明治41年5月2日のことである。
社名を村社 多氣神社と復旧(大正5年)し、現在に至っている。
なお、出雲国風土記の国引き神話に出てくる闇見の国に この地域も含まれている。闇見の国の闇見は暗く深い谷間を意味し、この上宇部尾町には椋見谷(くらみたに)の地名が残っている。
当社は出雲国風土記に多氣の社と出ており、延喜式神名帳にも掲載されている式内社である。
従来 この神社は竹宮神社と津森神社とあり、竹宮神社と称していた天文年間(1532~1554年)には、多氣を竹の字にかけ竹宮と称していた。
元の神社は女嵩の山麓にあって参拝に不便のため、明治39年に協議の結果、津森神社と竹宮神社に合併の上、更に津森神社跡に竹宮神社を鎮祭した。明治41年5月2日のことである。
社名を村社 多氣神社と復旧(大正5年)し、現在に至っている。
なお、出雲国風土記の国引き神話に出てくる闇見の国に この地域も含まれている。闇見の国の闇見は暗く深い谷間を意味し、この上宇部尾町には椋見谷(くらみたに)の地名が残っている。
祭神
多気神社の祭神は以下の通りです。
【主祭神】
・武甕槌命(タケミカヅチ):「国譲り神話」において出雲の大国主と交渉し、国譲りを成した神(鹿島神宮の主祭神)
→ 藤原氏の守護神とされ、鹿島神(かしまのかみ)とも呼ばれている
・経津主命(フツヌシ):「国譲り神話」においてタケミカヅチと共に国譲り交渉した神(香取神宮の主祭神)
→ 藤原氏の守護神とされ、斎主神(いわいぬしのかみ)、伊波比主神(いわいぬしのかみ)とも呼ばれている
【各文献の祭神】
・出雲神社巡拝記:オホナモチ(大己貴命)
・特撰神名牒:火酢芹命(ホスセリ)
・武甕槌命(タケミカヅチ):「国譲り神話」において出雲の大国主と交渉し、国譲りを成した神(鹿島神宮の主祭神)
→ 藤原氏の守護神とされ、鹿島神(かしまのかみ)とも呼ばれている
・経津主命(フツヌシ):「国譲り神話」においてタケミカヅチと共に国譲り交渉した神(香取神宮の主祭神)
→ 藤原氏の守護神とされ、斎主神(いわいぬしのかみ)、伊波比主神(いわいぬしのかみ)とも呼ばれている
【各文献の祭神】
・出雲神社巡拝記:オホナモチ(大己貴命)
・特撰神名牒:火酢芹命(ホスセリ)
境内社
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多気神社の境内社は以下の通りです。
・天満宮:菅原道真公を祀る
・日御碕神社
・歳徳神社:歳徳神を祀る
・荒神社
・日御碕神社
・歳徳神社:歳徳神を祀る
・荒神社
境内の見どころ
鳥居
多気神社の鳥居です。
拝殿
多気神社の拝殿です。
本殿
多気神社の本殿です。
神木
多気神社の神木です。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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