佐太神社(神在の社) [島根県]
2017/09/29
島根県松江市にある佐太神社(さだじんじゃ)です。
『出雲国風土記』に「佐太大神社」と記載される古社であり、主祭神に佐太大神(佐太御子大神)を祀っています。
出雲国二ノ宮、出雲國神仏霊場の第四番であり、神在の社(かみありのやしろ)とも呼ばれています。
また、正中殿・北殿・南殿の三つに分かれた本殿は、非常に珍しい形であるとされています。
神社概要
由緒
由緒書等によれば、『出雲國風土記』に「カンナビヤマの麓に座す」「佐太大神社(さだおおかみのやしろ)」「佐太御子社(さだみこのやしろ)」、『延喜式神名帳』には「佐陀大社」と名を載せる古社であり、出雲国三大社の一つとして杵築大社(出雲大社)・熊野大社と共に「佐陀大社」と称えられた神社とされます。
また、中世には伊弉冉尊(イザナミ)の陵墓である比婆山の神陵を遷し祀ったことから伊弉冉社(いざなみのやしろ)と伝えられ、毎年の旧暦10月には神を偲んで八百万神が当社に集まるといわれることから「神在の社(かみありのやしろ)」とも呼ばれているそうです(該当月には神在祭が催行される)。
また、毎年9月に行われる「御座替祭(ござがえさい)」は古来より佐陀の秘儀・重儀と云われ、この祭で行われる七座神事・式三番・神能の三つの神事舞は「佐陀神能(さだしんのう)」と呼ばれて、出雲流神楽の源流であるとも言われているとされ、現在では国の重要無形民俗文化財 および ユネスコ無形文化遺産に指定されています。
なお、由緒書による説明は以下の通りです。
佐太神社 沿革
当社は出雲国風土記に「佐太大神社」あるいは「佐太御子社」とあり、三笠山を背に広壮な大社造の本殿が相並んで御鎮座になっているので、佐太三社とも称され、延喜式には佐陀大社と記され、出雲二宮と仰がれて来た御社である。
主祭神・佐太大神(猿田毘古大神)は、日本海に面する加賀の潜戸(かがのくけど)に御誕生になり、出雲四大神の一柱として崇められ、古くから導きの神・道開きの神・福の神・長寿の神・陸海交通守護神・鎮守の神として信仰されてきた。
御本殿は三殿並立で、中央が正中殿、向かって右が北殿、左が南殿、いずれも大社造りで、この様な豪壮な三殿構えは平安時代末期に成立したようであり、他に類例を見ないもので、神社建築史の上で特筆すべきものである。
現在の御社殿は文化4年の造営であるが、その様式は古く、元亀年間の造営を踏襲してきたようである。国の重要有形文化財に指定されている。
祭神
佐太神社の祭神は以下の通りです(諸説あり)。
正中殿
・佐太大神(サダノオオカミ):『出雲国風土記』に登場する神(当社ではサルタヒコと同神とされる)
→ 当社では、島根半島一円の祖神であり、出雲国における最も尊い四大神の内の一柱であると説明される
⇒ 佐太御子大神(サダミコノオオカミ)とも
→ 『出雲国風土記』では、加賀郷の暗い岩穴で誕生したとされる(麻須羅神とも)
→ 猿田毘古大神(サルタヒコ):天孫・瓊々杵尊が降臨した際に道案内した神
⇒ 明治維新時に祭神を猿田彦命とするように指示された際、一旦拒んだとも
→ 『ホツマツタヱ』では、オオナムチのこととされる
・伊弉諾尊(イザナギ):『記紀』において国産み・神産みの男神とされる
・伊弉冉尊(イザナミ):『記紀』において国産み・神産みの女神とされる
・事解男命(コトサカノヲ):『日本書紀』異伝で、イザナギが吐いた唾を掃き払った際に生まれた神とされる
・速玉男命(ハヤタマノヲ):『日本書紀』異伝で、イザナミに絶縁されたイザナギが吐いた唾から生まれた神とされる
北殿
・天照大神(アマテラス):太陽を神格化した皇祖神であり、伊勢内宮の主祭神として有名
・瓊々杵尊(ニニギ):天照大神の孫神であり、皇室の祖神とされる
南殿
・素盞鳴尊(スサノオ):三貴子の一柱で出雲の祖神(天照大神の弟神に当たる)
・秘説四座
各文献の祭神
・出雲風土記鈔:[正中殿] 佐太大神、[北殿] 瓊々杵尊・伊弉冉尊・天照大神、[南殿] 熊野大神・大穴持命
・佐陀大明神縁起:[正中殿] 伊弉諾尊・伊弉冉尊、[北殿] 瓊々杵尊・天照大神・天赤女、[南殿] 月神・蛭子尊・素盞鳴尊
関連社
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佐太神社の関連社は以下の通りです。
合祀
・宇多紀神社(式内社):下照姫命を祀る
境内社
・日田神社(式内社):稲田姫命を祀る
・御井神社(式内社論社)
・垂水神社(式内社):罔象女神を祀る
境外摂社
・田中神社(西社):木花咲耶姫命を祀る
・田中神社(東社):磐長姫命を祀る
関連知識
佐太大神について
加賀の潜戸 |
佐太神社の祭神である佐太大神(さだのおおかみ)は『出雲国風土記』に登場する神で、この文献の島根郡条には「加賀郷(かかごう)。佐太大神のお生まれになった所であり、御母である支佐加比売命(ササカヒメ=枳佐加比売命)が"暗い岩穴である"と言って、金の弓を射られた時に光り輝いたので、加加という」とあります。
また、この記述の場所に位置する加賀の潜戸(かかのくけど)は、佐太大神が誕生した場所であると言われており、佐太神社のパンフレットによれば 佐太大神は日本神話に登場する猿田毘古大神(サルタヒコ)と同神であるとされます。この猿田毘古大神とは、神話の天孫降臨の際に天孫・瓊々杵尊(ニニギ)を導いたことで知られ、導きを示す「みちひらきの神」して信仰されています。
ちなみに当社で話を聞いたところ、佐太大神を猿田毘古大神としたのは江戸時代の国学者である本居宣長であり、それ以前は そのような説はなかったそうです。また 元々は佐太大神は『出雲国風土記』の島根郡条の加賀神埼の項に登場する麻須羅神(マスラカミ)であるとしていたとされ、祭神の由来が政治的な影響によって変化するという実態が垣間見えました(神社では色々と話を聞いてみる価値がありそうですね)。
なお、パンフレットによる説明は以下の通りです。
導きの神 佐太大神
主祭神である佐太大神の「サダ」とは伊予国の佐田岬、大隅半島の佐多岬等の地名にみられる岬の意味で、島根半島一円の祖神であり、出雲国における最も尊い四大神の内の一柱であります。
この大神の御誕生秘話は出雲国風土記に見え、当社から約10kmばかり離れた日本海に面する加賀の潜戸(かがのくけど)と呼ばれる神埼の窟に金の弓の矢を射って お生まれになったことが記されています。
佐太大神は世に云う猿田毘古大神(サルタヒコ)であり、除災・招福・長寿・海陸交通守護・地鎮など人々が日々楽しく豊かな生活が送れるよう「おみちびき」いただける神です。
『出雲国風土記』の内容についてはこちら:【島根郡条(海岸地形)】【島根郡条(島根郡の郷)】【佐太大神】
境内の見どころ
鳥居
佐太神社の鳥居です。
境内
佐太神社の境内の様子です。
せんざい屋
佐太神社の参道にはせんざい屋があります。
なお、ぜんざいは出雲発祥とされ、名物にもなっています。
狛犬
佐太神社の狛犬です。
神門(随神門)
佐太神社の神門です。
当社の随神は、向かい合わせに祀られています。
随神
佐太神社の随神です。
拝殿
佐太神社の拝殿です。
本殿
佐太神社の本殿です。
三殿並立で左から南殿・正中殿・北殿となっており、他に類例を見ない珍しいものとされています。
藻汐祓
佐太神社の藻汐祓(もしおばらい)です。
藻汐祓は、家に悪穢があった時に青竹の筒で海の汐を汲み、ジンバ草を採って身を清める風習とされます。
この風習では、身を清めた後に当社に参詣する習わしとなっているそうです。
料金: 無料
住所: 島根県松江市鹿島町佐陀宮内73(マップ)
営業: 9:00~17:00
交通: 松江イングリッシュガーデン前駅(徒歩54分、車9分)
公式サイト: http://sadajinjya.jp/
住所: 島根県松江市鹿島町佐陀宮内73(マップ)
営業: 9:00~17:00
交通: 松江イングリッシュガーデン前駅(徒歩54分、車9分)
公式サイト: http://sadajinjya.jp/
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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