大祭天石門彦神社(三宮神社) [島根県]
2017/11/25
島根県浜田市にある大祭天石門彦神社(おおまつりあめのいわとひこじんじゃ)です。
応神天皇の御代に創建されたと伝わる古社で、祭神に手力男命・建御名方命を祀っています。
なお、石見国三之宮であることから三宮神社とも呼ばれているそうです。
神社概要
由緒
由緒書によれば、創建年代は不詳であるものの、第15代応神天皇の御代に阿波忌部氏が石見の山守部となった時に勧請したことに始まると伝えられ、平安時代には延喜式に載せられた延喜式内社であるとされています。
なお、配祀の建御名方命(タケミナカタ)は承和2年(835年)12月に信濃国(長野県)の諏訪神社より勧請した神で、文治年間(1185~1189年)に正一位三宮大明神と称することを許されたそうです。
古くから武将による崇敬が篤く、平安時代には藤原純友の乱を平定に際して西下した右近衛少将・小野好古の祈請奉幣を受け、また毛利・吉川氏の祈請奉幣も受けたとされ、庶民信仰が生まれたのは鎌倉時代の12、13世紀の事とされています。
近代には、明治6年(1873年)5月に県社となり、現在は島根県神社庁より特別神社に定められたとされます。また、石見国三之宮であり、古くから山で獲れた獲物を供えて村の平穏繁栄を祈願する贄狩祭という特殊神事が行われており、本殿の傍らには烏帽子岩(えぼしいわ)と呼ばれる巨岩も祀られています。
なお、由緒書による説明は以下の通りです。
【大祭天石門彦神社】
石見の国三宮にして創立年代不詳なるも、阿波忌部族が第15代応神天皇の朝、石見の山守部となった時に勧請と伝えられ、延喜式内社である。建御名方命(タケミナカタ)は仁明天皇の承和2年12月、信濃国諏訪神社より勧請、後鳥羽天皇 文治年間に正一位三宮大明神の称を許されている。
武将の祈願信仰もあり、朱雀天皇の朝、右近衛少将・小野好古卿 西下し、藤原純友の乱を平定に際し、祈請奉幣あり、また毛利・吉川の祈請奉幣あり、社領も36石3斗6升があり、古来より信仰の篤い神社である。
明治6年5月、県社に定められ三の宮として国司の巡拝の信仰から、庶民信仰が生まれたのは鎌倉時代の12、13世紀の出来事である。現在 島根県神社庁より特別神社に定められている。
石見の国三宮にして創立年代不詳なるも、阿波忌部族が第15代応神天皇の朝、石見の山守部となった時に勧請と伝えられ、延喜式内社である。建御名方命(タケミナカタ)は仁明天皇の承和2年12月、信濃国諏訪神社より勧請、後鳥羽天皇 文治年間に正一位三宮大明神の称を許されている。
武将の祈願信仰もあり、朱雀天皇の朝、右近衛少将・小野好古卿 西下し、藤原純友の乱を平定に際し、祈請奉幣あり、また毛利・吉川の祈請奉幣あり、社領も36石3斗6升があり、古来より信仰の篤い神社である。
明治6年5月、県社に定められ三の宮として国司の巡拝の信仰から、庶民信仰が生まれたのは鎌倉時代の12、13世紀の出来事である。現在 島根県神社庁より特別神社に定められている。
【石見の三宮】
三宮で知られている浜田市黒川の大祭天石門彦神社は あめのいわと。主祭神・手力男命、配祀神 建御名方命 二神を祭祀る社で、浜田川の河畔、三つ子山の麓にある神社で、この山には高さ4間 幅6間余りの大きな岩石があって本殿は その前に建っている。また本殿の西側には烏帽子岩がある。
三宮で知られている浜田市黒川の大祭天石門彦神社は あめのいわと。主祭神・手力男命、配祀神 建御名方命 二神を祭祀る社で、浜田川の河畔、三つ子山の麓にある神社で、この山には高さ4間 幅6間余りの大きな岩石があって本殿は その前に建っている。また本殿の西側には烏帽子岩がある。
【特殊神事】
贄狩祭、往古12月1日から翌年1月25日汽一山狩をなし、獲物の鹿を供え、村内を始め近郷40ヶ村の平穏繁栄を祈願した。ちなみに鹿足郡は鹿の足を供え、美濃郡は「みの」を献した習慣から、その地名が生じたと伝えられている。
その後、氏子十ヶ村および原井・浅井・長沢・両黒川・後野・小笹・伊木・七条・細谷・旧浜田 以東の区域で御狩を行っていたと伝えられている。現在は1月25日を祭日とし、サザエの酢物・くわ形餅・あお木の箸・かづらの輪にしたものを新撰に合わせ、猪の肉を供えて祭典を行い、祝詞の次に万才楽を奏上する慣習がある。
贄狩祭、往古12月1日から翌年1月25日汽一山狩をなし、獲物の鹿を供え、村内を始め近郷40ヶ村の平穏繁栄を祈願した。ちなみに鹿足郡は鹿の足を供え、美濃郡は「みの」を献した習慣から、その地名が生じたと伝えられている。
その後、氏子十ヶ村および原井・浅井・長沢・両黒川・後野・小笹・伊木・七条・細谷・旧浜田 以東の区域で御狩を行っていたと伝えられている。現在は1月25日を祭日とし、サザエの酢物・くわ形餅・あお木の箸・かづらの輪にしたものを新撰に合わせ、猪の肉を供えて祭典を行い、祝詞の次に万才楽を奏上する慣習がある。
祭神
大祭天石門彦神社の祭神は以下の通りです。
【主祭神】
・手力男命(タヂカラオ):日本神話に登場する「力の強い神」とされる(天岩戸から天照大神を引っ張り出した)
→ 天石門別命(アメノイワトワケ)とも
【配祀神】
・建御名方神(タケミナカタ):大国主の御子神で、国譲りに反対してタケミカヅチと争った
→ 諏訪大神、諏訪大明神とも呼ばれ、諏訪大社の主祭神として有名
・手力男命(タヂカラオ):日本神話に登場する「力の強い神」とされる(天岩戸から天照大神を引っ張り出した)
→ 天石門別命(アメノイワトワケ)とも
【配祀神】
・建御名方神(タケミナカタ):大国主の御子神で、国譲りに反対してタケミカヅチと争った
→ 諏訪大神、諏訪大明神とも呼ばれ、諏訪大社の主祭神として有名
境内社
大祭天石門彦神社の境内社は以下の通りです。
・足王神社:猿田彦命(サルタヒコ)を祀る
境内の見どころ
鳥居
大祭天石門彦神社の鳥居です。
拝殿
大祭天石門彦神社の拝殿です。
三宮神社御久米
大祭天石門彦神社では、三宮神社御久米という米を授与しています(詳細不明)。
拝殿内部
大祭天石門彦神社の拝殿内部です。
天岩屋神話の絵画が奉納されています。
本殿
大祭天石門彦神社の本殿です。
烏帽子岩
大祭天石門彦神社の烏帽子岩です。
本殿の脇に安置されており、かつては鳥居もあったとされています。
足王神社の社殿
大祭天石門彦神社の境内社・足王神社の社殿です。
旅の神として信仰されるサルタヒコを祀っています。
大わらじ
足王神社の社殿の両脇には、大わらじが奉納されています。
足王神社奉納わらじ
足王神社の社殿には、奉納されたわらじが掛けられています。
三子山城跡
大祭天石門彦神社の傍には三子山城跡があります。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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