石津太神社 [大阪府]
2017/12/28
大阪府堺市にある石津太神社(いわつたじんじゃ)です。
日本神話に登場する蛭子命が漂着したという伝承があり、紀元前に創建された「我国最古の戎社」と言われています。
また、毎年12月14日には泉州の奇祭「やっさいほっさい」が行われることでも有名です。
神社概要
由緒
由緒書などによれば「船に乗せられて流し捨てられた蛭子命(ヒルコ)が当地に流れ着き、これを助けた漁師が火を焚いて身体を暖めて迎えた」という伝承に基づく神社で、この時に蛭子命が携えていた石が神社の御神体とされています。
その後、第5代孝照天皇7年(BC.469年)8月10日に社殿を構えて蛭子命を祀り、八重事代主命・天穂日命を合祀したとされます。なお、飛鳥時代の白雉3年(653年)には孝徳天皇が、奈良時代の天平勝宝元年(749年)には孝謙天皇が当社に参詣したという記録があるそうです。
また、平安以後も朝廷の崇敬を受けて幾度かの御幸が行われ、『延喜式神名帳』に名を載せる延喜式内社となり、当時は八町四方の広大な社領と甍を並べる壮観な社殿を有していたとされます。
中世には数度の兵火に遭って社殿を焼失したとされますが、後の大阪城築城の際に裏鬼門の鎮守神として豊臣秀吉の崇敬を受け、木村重成より社殿復興のための黄金が寄進されたと伝えられているそうです。
江戸時代には明和6年(1769年)に湯島天神(東京都)と坐摩神社(大阪府)にて出開帳が行われ、明治時代には明治5年(1872年)に村社に列格し、明治41年(1908年)に諏訪神社(浜寺村大字船尾)を合祀して現在に至るとされています。
なお、由緒書による説明は以下の通りです。
【石津太神社 由緒】
当社は延喜式内社で、社伝によると孝昭天皇7年(紀元前469年)に創建され、蛭子命(戎大神)・八重事代主命をはじめとする諸神が祀られています。孝徳天皇が白雉3年(653年)、孝謙天皇も天平勝宝元年(749年)に当社を参拝しました。
毎年12月14日に、当社で行われている火渡神事(やっさいほっさい)は、昔 蛭子命が石津川河口部北岸(現在の御旅所で石津太神社発祥之地)に流れ着いた時、漁師の人々が108束の薪を集め、火を焚いて暖めて迎えたという伝承によるものです。
北本殿・南本殿・拝殿・一の鳥居・二の鳥居は、江戸時代に建築され、堺市指定有形文化財となっています。特に一の鳥居は寛永19年(1642年)の銘文が柱に刻まれている、市内で最も古い鳥居です。
当社は延喜式内社で、社伝によると孝昭天皇7年(紀元前469年)に創建され、蛭子命(戎大神)・八重事代主命をはじめとする諸神が祀られています。孝徳天皇が白雉3年(653年)、孝謙天皇も天平勝宝元年(749年)に当社を参拝しました。
毎年12月14日に、当社で行われている火渡神事(やっさいほっさい)は、昔 蛭子命が石津川河口部北岸(現在の御旅所で石津太神社発祥之地)に流れ着いた時、漁師の人々が108束の薪を集め、火を焚いて暖めて迎えたという伝承によるものです。
北本殿・南本殿・拝殿・一の鳥居・二の鳥居は、江戸時代に建築され、堺市指定有形文化財となっています。特に一の鳥居は寛永19年(1642年)の銘文が柱に刻まれている、市内で最も古い鳥居です。
【石津太神社の碑文】
石津太神社は、蛭子の命(いわゆる恵比須様)を祀ってある神社で、延喜式内帳に名を連ねる我国最古の戎社と称される神社である。
石津太神社は、蛭子の命(いわゆる恵比須様)を祀ってある神社で、延喜式内帳に名を連ねる我国最古の戎社と称される神社である。
祭神
石津太神社の祭神は以下の通りです。
【主祭神】
・蛭子命(ヒルコ):イザナギ・イザナミの最初の子であり、不具であったために流された神(西宮神社の主祭神)
・八重事代主命(ヤエコトシロヌシ):オオナムチ(大国主、大物主)の子であり、恵比須神として信仰される
・天穗日命 (アメノホヒ):天照大神の御子神であり、出雲大社の祭主(出雲国造家)の始祖に当たる
【配祀神】
・天照大神(アマテラス):太陽を神格化した皇祖神(伊勢内宮の主祭神)
【合祀神】
・建御名方富命 (タケミナカタ):大国主の御子神で、国譲りに反対してタケミカヅチと争った(諏訪大社の主祭神)
・蛭子命(ヒルコ):イザナギ・イザナミの最初の子であり、不具であったために流された神(西宮神社の主祭神)
・八重事代主命(ヤエコトシロヌシ):オオナムチ(大国主、大物主)の子であり、恵比須神として信仰される
・天穗日命 (アメノホヒ):天照大神の御子神であり、出雲大社の祭主(出雲国造家)の始祖に当たる
【配祀神】
・天照大神(アマテラス):太陽を神格化した皇祖神(伊勢内宮の主祭神)
【合祀神】
・建御名方富命 (タケミナカタ):大国主の御子神で、国譲りに反対してタケミカヅチと争った(諏訪大社の主祭神)
境内社
|
|
|
石津太神社の境内社は以下の通りです。
・磐山稲荷社
・八幡神社
・白蛇社
・八幡神社
・白蛇社
関連知識
蛭子伝承
「日本神話」には「イザナギ・イザナミはヒルコを産んだが、三歳になっても立たなかったため、天磐樟船に乗せ、風のままに流し捨ててしまった」という説話があり、ヒルコという神は当社の他 多くの神社で恵比須神として祀られています。
当地には この説話に続く伝承が残っており「流された船は波に従って海岸に漂着し、ヒルコは携えてきた"五色の神石"をここに置いた。そのため、この地を"石津"といい、その船が着いた所を"石津の磐山"という」という内容となっています。
この伝承にある「五色の神石」は、神社の鳥居前の交差点にある石の下に埋まっており、石津太神社の御神体であると説明されています。なお、碑文の内容は以下の通りです。
【五色の石の碑文】
この地は、八町四方あったと言われる境内の本殿の跡だったといわれ、蛭子の命が石津の浜に流れ着いた時、天磐樟船に蛭子の命がと一緒に積んであった五色の宝石(神社の御神体)を埋めてある場所と言われている。
この地は、八町四方あったと言われる境内の本殿の跡だったといわれ、蛭子の命が石津の浜に流れ着いた時、天磐樟船に蛭子の命がと一緒に積んであった五色の宝石(神社の御神体)を埋めてある場所と言われている。
やっさいほっさい(泉州の奇祭)
石津太神社では、毎年12月14日に「やっさいほっさい」と呼ばれる火渡神事が行われます。
この やっさいほっさい は、石津太神社の創祀に関わる「昔、蛭子命(ヒルコ)が石津川河口部北岸(現在の御旅所)に漂着した時、助けに向かった漁師の人々が108束の薪を集めて火を焚き、蛭子命の身体を暖めた」という伝承に基いて行われる神事で、白装束の男衆が火の中を走るという特殊な内容から「泉州の奇祭」と呼ばれています。
えびす信仰と修験道が融合した特殊神事といわれており、江戸中期から現在まで行われ続けているそうです。なお、堺市の無形民俗文化財にも指定されており、当日には多くの見物客で賑わいます。
詳しくはこちらの記事を参照:【石津太神社のやっさいほっさい】
境内の見どころ
五色の石
石津太神社の前にある五色の石(石碑)です。
この下に蛭子命が携えてきたと伝わる「五色の石」が埋まっているとされ、当社の御神体となっています。
一の鳥居
石津太神社の一の鳥居です。
江戸時代の寛永19年(1642年)の造立とされ、市内最古の鳥居として堺市の有形文化財に指定されています。
二の鳥居
石津太神社の二の鳥居です。
江戸時代の造立であり、堺市の有形文化財に指定されています。
恵比須像
石津太神社の恵比須像です。
夷神之御腰掛石
石津太神社の夷神之御腰掛石(えびすしんのこしかけいし)です。
当社の祭神である蛭子命が腰をかけたと伝えられている大石となっています。
なお、石津川北岸には蛭子命が漂着したと伝わる御旅所(当社発祥の地)があります。
拝殿
石津太神社の拝殿です。
本殿
石津太神社の本殿です。
江戸時代の建築物であり、主祭神を祀る北本殿と配祀神・合祀神を祀る南本殿があります。
とんど(神木)
石津太神社のとんどです。
やっさいほっさいの開催日に組上げられる神木で、火付神事にて点火されます。
なお、燃え崩れる際に倒れた方向が陸側なら豊作、海側なら豊漁となると言われています。
料金: 無料
住所: 大阪府堺市西区浜寺石津町中4丁12-7(マップ)
営業: 不明
交通: 石津駅(徒歩3分)、石津川駅(徒歩5分)
公式サイト:https://www.city.sakai.lg.jp/
住所: 大阪府堺市西区浜寺石津町中4丁12-7(マップ)
営業: 不明
交通: 石津駅(徒歩3分)、石津川駅(徒歩5分)
公式サイト:https://www.city.sakai.lg.jp/
スポンサーリンク
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
スポンサーリンク
コメント
0 件のコメント :
コメントを投稿