人文研究見聞録:韓神新羅神社(大浦神社) [島根県]

島根県大田市にある韓神新羅神社(からかみしらぎじんじゃ)です。

平安時代に創建されたと伝えられる古社であり、主祭神に武進雄尊(素盞鳴尊)を祀っています。

国内で当社だけが「韓神」と称し続けており、古代朝鮮との関係の深い神社として注目を集めているそうです。


神社概要

由緒

『石見風土記』によれば、当社は延長3年(925年)に創建されたと伝えられているそうです。

大田市観光サイトによれば、当社は元々五十猛神社(大田市五十猛町)の境内社であり、大浦で漁師が増えた事から大漁と航海安全祈願のため、明治40年(1907年)から2年かけて本殿を大浦に遷座し、明治43年(1910年)に拝殿が建てられたとされ、当社は地元では「大浦神社」「明神さん」と呼ばれているとされます。

案内板によれば、日本で この神社だけが「韓神」と称し続けており、神社の背後にある山を「韓郷山(からごやま)」、大浦の旧称を「韓浦(かんのうら)」、湾の反対側の突端を「韓崎(からさき)」、他に宅野町には「韓島(からしま)」という地名があるなど、五十猛周辺には異国名の地名が多く残っていることから、当社は古代朝鮮半島との深い関わりがある神社として注目を集めているとされています。

また、当社の祭神は武進雄尊(タケスサノオ=スサノオ)であり、『日本書紀』の異伝と同じく「スサノオは高天原から新羅に天降り、御子のイタケル・オオヤヒメ・ツマツヒメを連れて五十猛町の神島(カミシマ)に上陸し、出雲国でヤマタノオロチを退治した」という神話が五十猛町に伝えられているそうです。

なお、案内板による説明は以下の通りです。

【韓神新羅神社 由緒】

韓神新羅神社(からかみしらぎじんじゃ)は、地元では通称「大浦神社」「明神さん」と呼ばれている。日本で この神社だけが「韓神」と称し続けているということで、日韓関係の深い神社として注目されている。

この神社の祭神は武進雄尊(たけすさのおのみこと、天照大神の弟君)であり、出雲の国で八岐大蛇を退治して、その後、御子・三兄妹(五十猛命・大屋津姫・抓津姫)を連れて韓国に渡り、植林の技術を伝え、また、母神のまします日本に帰って来られ、その時、まずこの地に上陸されたという神話が残っている。

この五十猛周辺には異国名の地名が多くあり、「韓」の付く地名だけでも韓島(からしま、宅野町)・韓郷山(からごやま、五十猛町)があり、この大浦の地も昔「韓浦(からうら)」と呼ばれていた。

スサノヲ神話のあるこの大浦地区には「グロ」という特殊な正月の伝統行事がある。千木(せんぼく)と呼ばれる大竹を立て周りに木や、竹や、むしろで円杉の仮屋をつくり、その中で火に当たり餅などを焼いて食べると病気をせず豊漁になるという言い伝えがあり、今も守り伝えられている。

参考サイト:大田市観光サイト(韓神新羅神社)スサノオのヤマタノオロチ退治(日本書紀異伝)

祭神

韓神新羅神社の祭神は以下の通りです。

【主祭神】

・武進雄尊(タケスサノオ):スサノオの別名
 → 素盞鳴尊(スサノオ):三貴子の一柱で出雲の祖神(天照大神の弟神に当たる)

【配祀神】

・大屋津姫命(オオヤツヒメ):スサノオの御子神であり、兄・イタケルと共に全国に樹木を種を撒いて廻ったとされる
・抓津姫命(ツマツヒメ):スサノオの御子神であり、兄姉と共に全国に樹木を種を撒いて廻ったとされる

境内社

人文研究見聞録:韓神新羅神社(大浦神社) [島根県]

韓神新羅神社の境内社は以下の通りです。

・船玉神社

境内の見どころ

鳥居

人文研究見聞録:韓神新羅神社(大浦神社) [島根県]

韓神新羅神社の鳥居です。

拝殿

人文研究見聞録:韓神新羅神社(大浦神社) [島根県]

韓神新羅神社の拝殿です。

本殿

人文研究見聞録:韓神新羅神社(大浦神社) [島根県]

韓神新羅神社の本殿です。

大浦港

人文研究見聞録:韓神新羅神社(大浦神社) [島根県]

韓神新羅神社付近にある大浦港です。

料金: 無料
住所: 島根県大田市五十猛町(マップ
営業: 不明
交通: 五十猛駅(徒歩15分)
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。