静間神社 [島根県]
2017/12/06
島根県大田市にある静間神社(しずまじんじゃ)です。
平安時代に創建された古社であり、祭神に大己貴命・少彦名命・他6柱の神を祀っています。
なお、神社付近の海岸には旧鎮座地である静之窟があります。
神社概要
由緒
由緒書によれば、平安時代の仁和2年(886年)2月8日に創建された神社で、当初は静間町魚津の海岸にある静之窟の中に祀られていたとされます。なお、『延喜式神名帳』に載っている式内社・静間神社にも比定されているそうです。
その後、江戸時代の明暦2年(1656年)に魚津滝の前に遷座され、さらに延宝2年(1674年)6月27日に現在地に遷座して今に至るとされています。
なお、由緒書による説明は以下の通りです。
【静間神社 沿革由緒】
静間神社は、第58代 光孝天皇の御代、仁和2年(886年)2月8日に創建されました。
昔は魚津の静ノ窟(しずのいわや)に鎮座していましたが、明暦2年(1656年)に魚津滝の前に鎮座し、さらに延宝2年(1674年)6月27日、現在地に遷し祀られました。
大己貴命・少彦名命の二柱の神は、農民に鋤・鍬を与え、水稲の種子を蒔いて田作りの方法を教えられました。また、人間の病気はもとより、家畜の病気にも当たられた神々として、今の世でも日本各地で、病める人たちの深い信仰を集めています。
静間神社は、第58代 光孝天皇の御代、仁和2年(886年)2月8日に創建されました。
昔は魚津の静ノ窟(しずのいわや)に鎮座していましたが、明暦2年(1656年)に魚津滝の前に鎮座し、さらに延宝2年(1674年)6月27日、現在地に遷し祀られました。
大己貴命・少彦名命の二柱の神は、農民に鋤・鍬を与え、水稲の種子を蒔いて田作りの方法を教えられました。また、人間の病気はもとより、家畜の病気にも当たられた神々として、今の世でも日本各地で、病める人たちの深い信仰を集めています。
祭神
静間神社の祭神は以下の通りです。
【主祭神】
・大己貴命(オオナムチ):オオクニヌシの名で知られる出雲大社の主祭神
・少彦名命(スクナヒコナ):オオナムチと共に国造りを成した神とされる
【配祀神】
・田寸津姫命(タギツヒメ):「日本神話」の誓約で生まれた宗像三女神の一柱
・田心姫命(タゴリヒメ):「日本神話」の誓約で生まれた宗像三女神の一柱(多紀理姫命とも)
・市杵島姫命(イチキシマヒメ):「日本神話」の誓約で生まれた宗像三女神の一柱で、弁財天と習合している
・大年神(オオトシノカミ):スサノオの子神で、『古事記』によればオオヤマクイの父神に当たる
・若年神(ワカトシノカミ):『古事記』によれば、ハヤマトノカミ(大年神の子)とオオゲツヒメの子神とされる
・倉稲魂命(ウカノミタマ):稲荷神であり、スサノオの御子神とされる
・大己貴命(オオナムチ):オオクニヌシの名で知られる出雲大社の主祭神
・少彦名命(スクナヒコナ):オオナムチと共に国造りを成した神とされる
【配祀神】
・田寸津姫命(タギツヒメ):「日本神話」の誓約で生まれた宗像三女神の一柱
・田心姫命(タゴリヒメ):「日本神話」の誓約で生まれた宗像三女神の一柱(多紀理姫命とも)
・市杵島姫命(イチキシマヒメ):「日本神話」の誓約で生まれた宗像三女神の一柱で、弁財天と習合している
・大年神(オオトシノカミ):スサノオの子神で、『古事記』によればオオヤマクイの父神に当たる
・若年神(ワカトシノカミ):『古事記』によれば、ハヤマトノカミ(大年神の子)とオオゲツヒメの子神とされる
・倉稲魂命(ウカノミタマ):稲荷神であり、スサノオの御子神とされる
境内社
静間神社の境内社は以下の通りです。
・垂水八幡宮:息長足姫命(神功皇后)・誉田別命(応神天皇)・玉依姫命を祀る
・宇賀魂神社:倉稲魂命を祀る
・東照宮:徳川家康・岩長姫命・毛利輝元を祀る
・宇賀魂神社:倉稲魂命を祀る
・東照宮:徳川家康・岩長姫命・毛利輝元を祀る
境内の見どころ
鳥居
静間神社の鳥居です。
力石?
静間神社の拝殿前には力石らしき石があります。
拝殿
静間神社の拝殿です。
拝殿内部
静間神社の拝殿内部です。
巨大な扁額のほか、石見神楽の面などが掲げられています。
本殿
静間神社の本殿です。
静之窟
静間神社から海の方に下って行くと、旧鎮座地である静之窟があります。
詳しくはこちらの記事を参照:【静之窟】
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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