人文研究見聞録:松原神社 [福井県]

福井県敦賀市にある松原神社(まつばらじんじゃ)です。

気比の松原の付近に位置する神社であり、「天狗党の乱」で処刑された天狗党員の御霊が祀られています。


神社概要

由緒


由緒書によれば、幕末の元治元年(1864年)に起こった「天狗党の乱」において、幕府によって敦賀で処刑された天狗党の首領・武田耕雲斎および天狗党の諸士の御霊を祀る神社であるとされます。

明治7年(1874年)11月に水戸の根本弥七朗が天狗党員の墓地付近に祠を創建して松原神社と称し、大正4年(1915年)11月に現在地に社殿を造営して現在に至るとされています。

なお、由緒書による説明は以下の通りです。

【松原神社 由緒】

徳川幕府の末葉、勤王の大志を抱き 尊攘論を唱えて京都に赴き、素志を貫徹せんと意を決した武田伊賀守 他同士達は、各地に轉戦しつつ、元治元年11月の大雪の中、新保の地にて加賀藩の軍門に降り、敦賀の鰊倉に幽閉され、元治2年2月に斬罪により松原の露と消えた。

大政奉還後、王政維新明治の聖世となり、命等の勤王の大志が天日を見るに至り、慶応3年 敦賀の修験行壽院が神祗伯白川家の許可を得て、院内に諸士の霊を祀り、明治7年11月 水戸の人 根本彌七郎が墓地附近に一小祠殿を創建して、松原神社と称し、大正4年11月 現在地に御造営竣功し、白砂青松の澤域に御霊代を奉還、永く英霊の鎮まり座すこととなった。

関連知識

天狗党・天狗党の乱とは?


人文研究見聞録:松原神社 [福井県]

天狗党(てんぐとう)とは、第9代水戸藩主・徳川斉昭が行った水戸学(尊皇攘夷)を広めようとする藩政改革において、下級藩士を主体に結成された改革派(水戸藩の尊王攘夷派)のことを指します。

この藩政改革は、門閥派を押さえて下士層から広く人材を登用するという方針であり、斉昭の家督相続に関わった藤田東湖・会沢正志斎・武田耕雲斎などの比較的下級の藩士が中心となったことから、反改革派(門閥派)から「鼻を高くして偉ぶっている成り上がり者」という意味合いで「天狗」と蔑まれ、やがて諸生党(門閥派)と天狗党(改革派)の間で対立するようになったそうです。

また、黒船来航以降の外国の脅威が迫っているという背景もあって、勅書返納問題・安政の大獄・桜田門外の変などの事件が起こる中、天狗党も鎮派と激派に分裂していったとされます。

その後、尊王攘夷運動が全国に広がっていた元治元年(1864年)3月、幕府に対して攘夷の実行を要求するため、天狗党の激派・藤田小四郎が筑波山で挙兵したことを皮切りに「天狗党の乱」が始まります。

最初は数十人と少数だった天狗党も、後に1400人という大集団に膨れ上がったことから、この事態を重く見た幕府は追討令を出し、天狗党と追討軍(幕府・諸生党)との間で戦闘が開始されます。こうした戦闘が激化していく中、天狗党は追討軍に追い詰められていき、やがて降伏の選択を迫られます。

この状況で降伏を良しとしない藤田小四郎は、一橋慶喜(後の徳川慶喜)を通じて朝廷に尊皇攘夷の志を訴えることを決意し、武田耕雲斎を首領として京都へ向かいますが、元治元年(1864年)12月に敦賀で追討軍に包囲され、823人が加賀藩に降伏、武田耕雲斎・藤田小四郎以下352人が処刑され、残りの者は流罪・追放・国返しの処分を受けたそうです。こうして、天狗党の乱は終焉を迎えます。

松原神社は、上記の流れの中で最後に敦賀で処刑された人々を祀るために創建された神社ということになります。かなり、掻い摘んだ説明になっているので、詳しく知りたい方はWikipediaやYoutubeを参考にすると良いと思います。

参考:wikipedia(天狗党の乱)天狗党の乱(Youtube検索)

祭神


松原神社の祭神は以下の通りです。


・武田伊賀守以下411柱:天狗党の首領・武田耕雲斎および天狗党員411人の御霊

境内の見どころ

鳥居


人文研究見聞録:松原神社 [福井県]

松原神社の鳥居です。

境内


人文研究見聞録:松原神社 [福井県]

松原神社の境内の様子です。

広めの境内には松の木が生い茂っています。

拝殿


人文研究見聞録:松原神社 [福井県]

松原神社の拝殿です。

本殿


人文研究見聞録:松原神社 [福井県]

松原神社の本殿です。

ニシン蔵


人文研究見聞録:松原神社 [福井県]

松原神社のニシン蔵です。

敦賀で包囲された天狗党員が監禁されていた蔵で、昭和29年(1954年)に移築して水戸烈士記念館となったそうです。

料金: 無料
住所: 福井県敦賀市松原町2(マップ
営業: 終日開放
交通: 敦賀駅(徒歩30分)
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。