人文研究見聞録:犬山市の桃太郎伝説(桃太郎神社の由緒)

愛知県犬山市には、独自の「桃太郎伝説」があるとされており、それによれば『古事記』でイザナギを助けた桃の実であるオオカムズミが桃太郎に化身して、当地周辺の人々を救ったとされています。

そして、後に同市の桃太郎神社に祀られることになり、神社自体もこの伝説を由緒としています。大変珍しい伝説だったので、ここにまとめて紹介したいと思います。

桃太郎神社についてはこちらの記事を参照:【桃太郎神社】

※下記は「犬山市の桃太郎伝説」と『古事記』を習合させて書き直したストーリーなので、若干 オリジナルと異なる点があるかもしれません。


イザナギとイザナミ


人文研究見聞録:犬山市の桃太郎伝説(桃太郎神社の由緒)

天地が開けた神代の昔、イザナギイザナミという夫婦の神様が現れました。

その神々は、日本の国土を造り、国を支配する神々を産み出しました。ところが、イザナミが火の神を産んだ時に火傷を負ってしまい、まもなく黄泉(よみ)という死者の国に去ってしまいました。

イザナギは大変悲しみ、イザナミの後を追って黄泉の国まで訪ねて行きました。そして、イザナミの御殿を突き止めて一目会いたいと願いましたが、イザナミは「黄泉の国の神々と相談してみますので、それまで絶対に中に入らないでください」と答えました。

イザナギは最初は素直に待っていましたが、いくら待ってもイザナミが出てこないので、しびれを切らして御殿に入りました。すると、そこで見たイザナミは とても醜い姿に変っていたので、イザナギは恐怖して逃げ出してしまいました。

イザナギに醜い姿を見られたイザナミは、大変怒ってヨモツシコメという黄泉の鬼を集めてイザナギを捕まえるよう命じました。

イザナギを助けた桃の実


人文研究見聞録:犬山市の桃太郎伝説(桃太郎神社の由緒)

イザナギは十拳の剣を抜いて後手に振りつつ、鬼たちを追い払いながら黄泉比良坂(よもつひらさか)まで退きました。

しかし、鬼達は まだ追ってくるので、そこにあった大きな桃の木から桃の実を取って鬼達めがけて投げつけました。すると、どうしたことか鬼達は頭を抱えて一目散に逃げ去ってしまいました。

イザナギは、桃の実のおかげで危機を免れることができたので、大変喜んで桃の実に大神実命(おおかむづみのみこと)という神名を与えて、「これから後の世の人々が、私のように苦しむことがあったら、お前が行って助けてやってくれよ」と頼みました。

粟栖村のお爺さんとお婆さん


人文研究見聞録:犬山市の桃太郎伝説(桃太郎神社の由緒)

昔、木曽川の畔に「粟栖(くりす)」という村があり、その山里にはお爺さんとお婆さんが仲よく住んでおりました。

二人は情深く正直者であったので村人からも慕われていましたが、淋しい事に子供がありませんでした。お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行って、子宝を願いながら日々暮らしていました。

その川上には桃林が沢山あり、上流には「大桃(だいとう)」という所があります。

桃太郎の誕生


人文研究見聞録:犬山市の桃太郎伝説(桃太郎神社の由緒)

ある日のこと、いつものようにお婆さんが洗濯岩の上で洗濯していると、川に大きな桃が流れてきました。お婆さんは、お爺さんが帰ってきたら一緒に食べようと思い、桃を拾って洗濯物と一緒に持ち帰りました。

しばらくしてお爺さんが帰ってくると、お婆さんはさっそく桃を取り出して切ろうとしましたが、突然 桃の中で声がして、ひとりでに割れて、中から丸々と太った男の子が出てきました。

二人はとても驚きましたが、やがて神様が授けてくださったのだと思い、手をとり合って喜びました。そして、その子を桃から生れたので桃太郎と名付けて大事に育てました。

鬼に追われた女たち


人文研究見聞録:犬山市の桃太郎伝説(桃太郎神社の由緒)

お爺さんとお婆さんと暮らしていた桃太郎は、どんどん力をつけて元気に育って行きました。

ある日、お爺さんの柴刈りの手伝いをしながら山奥へ入って行くと、子供を懐に抱いた女達が肩を寄せ合ってシクシク泣いていました。そこで、情け深い桃太郎は その女達に優しく理由を尋ねました。

すると、女達は「私達はこの山向の土田村(どたむら)の百姓です。可児川の中の鬼ヶ島に棲む鬼達が近くを荒しまわり、女、子供をさらって行きますので、こうして子供を連れて逃げているのです。どうか助けてください。」と話しました。

ここは「乳母の懐」と呼ばれ、可児川には「鬼ヶ島」という島があります。

きびだんごを持って鬼退治へ


人文研究見聞録:犬山市の桃太郎伝説(桃太郎神社の由緒)

桃太郎は鬼退治を決心し、それをお爺さんとお婆さんに話しました。二人は桃太郎が強いことを知っていましたので、それに賛成し、早速 土地の名物のきびだんごを兵糧(ひょうろう)として沢山作って渡しました。

桃太郎はきびだんごを網袋に入れて腰にさげ、日本一と書いた小旗を立てて、勇んで鬼ヶ島に向けて出発しました。日本一の旗をひらめかして進む桃太郎の姿は、実に勇ましく見えました。お爺さんとお婆さんは桃太郎の無事を祈って洞窟に籠りました。

桃太郎が進んだ道を「旗がひら」といい、お爺さんとお婆さんが籠った洞窟を「断食の洞窟」といいます。

イヌ・サル・キジをお供にする


人文研究見聞録:犬山市の桃太郎伝説(桃太郎神社の由緒)

桃太郎の出陣すると、日頃から仲良しだったイヌが馳せ参じました。これは良いお供が出来たと桃太郎は喜んで、きびだんごを一つやりました。このイヌが棲んでいた所が「犬山」です。

少し行くと今度は付近の崖から大きなサルがのっそり現われて、仲間にしてくれと頼まれました。桃太郎はイヌと仲良くするように言い付けながら、サルにもきびだんごをやりました。この辺りには「猿洞」や「猿渡り」という所があります。

ここから先はもう道が無いため、木曽川を対岸に渡って川伝いに上流へ進むことにして船に乗り込みました。

いよいよ綱(つな)を切って漕ぎ出しますと、今度は山の天辺からパタパタと羽音も勇ましく一匹のキジが船へ舞い降りてきました。桃太郎はこれにもきびだんごをやりました。このキジの棲んでいた山は「堆ケ棚(きじがたな)」といいます。

こうして桃太郎とイヌ・サル・キジを乗せた船は、向う岸へと無事に辿り着きました。ここは「古渡し」と呼ばれ、ここから8キロほど先に鬼ヶ島があります。

鬼達との前戦


人文研究見聞録:犬山市の桃太郎伝説(桃太郎神社の由緒)

岸からしばらく進むと、イヌが急に激しく吠えたてました。すると、川端の岩陰から四・五体の大きなが飛び出して、桃太郎達に向って来ました。ここは「敵がくれ」と呼ばれています。

両軍はぶつかり合い、たちまち取っくみ合いの戦いが始まりました。この時、傍らの山から沢山の大猿・小猿が滑り降りてきて、桃太郎に加勢し、付近の村人も助太刀に駆けつけました。この辺りには「サルすべり」や「助の山」などという山があります。

思いがけない伏兵に鬼達は散々な目に遭って、とうとう逃げて帰ってしまいました。前戦(まえいくさ)に勝った一行は、山の上に登って勢よく勝関(かちどき)をあげたので、今もその麓の村を「勝山村」といい、取り組み合いをした所を「取組村」と呼んでいます。

桃太郎の鬼ヶ島上陸


人文研究見聞録:犬山市の桃太郎伝説(桃太郎神社の由緒)

桃太郎達は 沼や田を越え 木曽川を渡り、いよいよ敵の本陣の鬼ヶ島へ攻め進みました。ここは古くは「深田」や「太田」と呼ばれていましたが、今は町や村の名になっています。また、可児川の真中には「鬼ヶ島」があります。

まずは、キジが上空から偵察して進路を教えました。しかし、鬼ヶ島は奇岩怪石が重なり合い、毒気の湧く井戸や落し穴が沢山あります。そのうえ雲をつくような大樹が密生していて、どこに鬼が居るのか外からでは全くわかりませんでした。

すると、鬼ヶ島を厳重に見張っていた鬼が桃太郎達を見つけて「桃太郎が川を今渡(いまわた)って、島へ攻め込んだぞ」と仲間に知らせました。ここは「今渡り」と呼ばれ、今は町になっています。

桃太郎の鬼退治


人文研究見聞録:犬山市の桃太郎伝説(桃太郎神社の由緒)

猛然と襲いかかってくる鬼達に対し、桃太郎とイヌ、サル、キジは勇敢に立ち向いました。

そこで、イヌは鬼に投げつけるための石を沢山集めてきました。サルは木から木へと飛び移りながら、鬼を見つけ次第に噛みつきました。キジは高い所から戦場全体に目をくばり、急降下しては攻撃を加えました。この辺りには、「犬石」「推ヶ峰」「猿噛城祉」などの珍らしい地名がいくつも残っています。

桃太郎達の猛攻に流石の鬼達もとうとう降参しました。そして「もう決して悪いことはしません」と改心し、その印に宝物を全て差し出しました。桃太郎達は宝物を車に積んで、めでたく帰路につきました。

その途中の村々では、鬼を退治した桃太郎達を大喜びで迎えて、倉から酒を出して凱旋(がいせん)を祝ったということです。この酒倉のあった所を「酒倉村」、祝った所を「坂祝村」といいます。

イヌ・サル・キジとの別れ


人文研究見聞録:犬山市の桃太郎伝説(桃太郎神社の由緒)

桃太郎達が いよいよ粟栖の対岸まで来ると、一旦この地に宝物を積んで、集った人々に鬼退治の報告をしました。この地を「宝積地村」といいます。後に「大勝山宝積寺」という寺も出来ましたが、今は坂祝村の方に移されています。

こうして立派に目的を果し、沢山の宝物をおみやげに 無事に我が家へ帰った桃太郎は、お供に連れ添ったイヌ・サル・キジにもそれぞれ宝物を分け与え、その忠勤を労いました。

そして、イヌは「犬帰り」という所の岩門をくぐって「犬山」へ、サルは「猿洞」へ、キジは「堆ヶ棚」へと帰って行きました。

神になった桃太郎


人文研究見聞録:犬山市の桃太郎伝説(桃太郎神社の由緒)

その後、村々には平和な日が続きました。また、桃太郎は お爺さんとお婆さんに孝養を尽くしながら暮らしていると、やがて二人とも安らかに天寿を全うしました。

すると、桃太郎は もう私の役目も済んだか というかのように近くの山へ登り、それっきり姿を隠してしまいました。それ以来、村人は桃太郎の姿を二度と見る事が出来なくなりましたが、不思議なことに その山の姿がだんだん桃のような形に見えてきました。

村人は驚いて「桃太郎さんは桃の神様の生まれ変わりだったのだろう。そして、子供の姿でこの地に現れ、人々を苦しめる鬼達を退治してくださったのだ」といい、その山を「桃山」と呼んで崇拝するようになりました。

それから、この山の麓に小さなお社を作って、桃太郎さんをお祀りしました。

現在の桃太郎神社へ


人文研究見聞録:犬山市の桃太郎伝説(桃太郎神社の由緒)

それから何百年かの歳月が流れ、桃山の麓の神様は子供の守り神と崇められました。そして「子供の背丈の御幣を供えると、その子は桃太郎さんの様に丈夫に育つ」と言い伝えられ、村人をはじめ、遠方からもお詣りに来るようになりました。

そして昭和になり、この土地を研究する人達によって古い言い伝えが次々と発見され、次第に世間にも伝っていきました。

そこで、山奥で道も狭いので、もっと参拝に便利な地へお遷ししたいと村人が相談していますと、突然 桃山から一羽のキジが飛び立ち、1キロほど南の山へと降り立ちました。そこは昔から桃太郎さんの古屋敷と呼んでお爺さんお婆さんの屋敷あとが有る所です。

そこで、これは御神意によるものとして、その山にお宮を作り、昭和五年にお遷ししたのが今の桃太郎神社であります。この時、あたかもこれを迎える様に、沢山の猿が山から出て来て、その奇瑞は人々を驚かせたといいます。

参考サイト:桃太郎伝説
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。