【当サイトについて】

・当ブログは「人文研究見聞録(じんぶんけんきゅうけんぶんろく)」と言います。
・このブログでは、著者が実際に見た・体験した「日本」についての記事を書いています。
・その他にも「日本神話」の独自研究についての記事なども書いています。
・サイト内のコンテンツについては、上部のメニューバーおよびサイト右側に配置したメニューを参照してください

2015年9月26日土曜日

賀茂別雷神社(上賀茂神社) [京都府]

人文研究見聞録:賀茂別雷神社(上賀茂神社) [京都府]

京都市北区にある賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)です。

祭神に賀茂氏の氏神・賀茂別雷大神(カモワケイカヅチ)を祀っており、左京区にある下鴨神社に対応して、一般的には上賀茂神社(かみがもじんじゃ)と呼ばれています。

なお、世界遺産にも登録されている神社であり、自然あふれる境内は 非常に美しい景観となっています。

神社概要

由緒

人文研究見聞録:賀茂別雷神社(上賀茂神社) [京都府]

上賀茂神社の創建については諸説あります。

【社伝による由緒】

社伝によれば、神代の昔に賀茂別雷命(カモワケイカヅチ)が本社の北側にある秀峰神山(こうやま)に降臨し、その神を此の地に祀ったことに始まるとされ、天武天皇の時代(678年)に現在の社殿の基が造営されたと云われています。

また、神武天皇の時代に賀茂山の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したとという伝承もあるようです。

【風土記による由緒】

『山城国風土記』逸文によれば、玉依日売(タマヨリヒメ)が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところで懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命(カモワケイカヅチ)であり、玉依日古(タマヨリヒコ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝えられています。

上賀茂神社は国史にも登場する神社であり、『続日本紀』の「文武天皇2年(698年)3月21日、賀茂祭の日の騎射を禁じた」という記事が初出で、他にも「天平勝宝2年(750年)に御戸代田一町が寄進された」などの記事があることから、古くから朝廷の崇敬を受けてきた神社であるされています。

延暦13年(794年)の平安遷都後は王城鎮護の神社としてより一層の崇敬を受け、大同2年(807年)には最高位である正一位の神階を受けて、賀茂祭(葵祭)は勅祭となったとされています。そして、弘仁元年(810年)以降は伊勢神宮の斎宮にならった斎院が置かれ、皇女が代々 斎王として奉仕しているそうです。

近世においては、明治の近代社格制度でも官幣大社の筆頭とされ、明治16年(1883年)には勅祭社に定められたとされています。そのため、古代より皇室との関係の深い歴史を持つ社格の高い神社であると言えます。

祭神

上賀茂神社の祭神は以下の通りです。

【主祭神】

・賀茂別雷大神(カモワケイカヅチ):賀茂氏の祖神とされる
 → 「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意味であるとされる
 → 『賀茂之本地』において、阿遅鉏高日子根神(アヂスキタカヒコネ)と同神であると説明される
  ⇒ 『古事記』にも阿遅鋤高日子根神(アヂスキタカヒコネ)は別名を「迦毛大御神」と云うとある
 → 松尾大社の社伝において、主祭神の大山咋神(オオヤマクイ)と同神であるという説がある
 → 『ホツマツタヱ』という文献では、ニニキネ(ニニギ)の尊称であるとされる
  ⇒ これは、雷を司るウツロヰを手懐けて雷を火と水に別けて静め、荒地を開拓した功績によるものとされる

賀茂祭(葵祭)

人文研究見聞録:賀茂別雷神社(上賀茂神社) [京都府]

葵祭(あおいまつり)」は賀茂神社の例祭(最も重要な祭)であり、毎年5月15日に賀茂別雷神社(上賀茂神社)賀茂御祖神社(下鴨神社)で行われます。

石清水祭、春日祭とともに三勅祭(天皇の使者が派遣される祭)の一つに数えられ、古くは庶民の祭りである祇園祭に対して、朝廷の行事として貴族たちが見物する貴族の祭となったとされています。

祭儀は、宮中の儀・路頭の儀・社頭の儀の3つから成るとされていますが、現在では宮中の義は行われていないそうです。また、葵祭の見どころは路頭の儀(行列)であり、有料観覧席が設けられるほど人気があるとされています。

なお、前儀として5月3日に下鴨神社の糺の森で行われる流鏑馬神事(やぶさめしんじ)も有名でなんだそうです。

ちなみに、京都北部の丹後地方にある元伊勢籠神社でも、例祭として同名の「葵祭(あおいまつり)」を行うことで知られており、籠神社の創祀が皇室と関わっていることなどから、賀茂神社の葵祭との関連性が指摘されています。

葵祭(賀茂祭)については こちらの記事を参照:【賀茂神社の葵祭(賀茂祭)】

関連社

境内社

上賀茂神社の境内社は以下の通りです。

【摂社】

・片山御子神社:玉依比売命(タマヨリヒメ)
新宮神社:高龗神(タカオカミノカミ)
大田神社:天鈿女命(アメノウズメ)
若宮神社:若宮神
奈良神社:奈良刀自神(ならとじのかみ)
賀茂山口神社:御歳神(ミトシノカミ)
須波神社:阿須波神・波比祇神・生井神・福井神・綱長井神(座摩神

【末社】

棚尾社:櫛石窓神・豊石窓神(天石門別神
川尾社:罔象女神(ミヅハノメ)
橋本社:衣通姫神(そとおりひめ)
岩本社:底筒男神・中筒男神・表筒男神(住吉三神
山尾社:大山津見神(オオヤマツミ)
土師尾社:建玉依比古命(タケタマヨリヒコノミコト)
杉尾社:杉尾神
山森社:素盞嗚神(スサノオ)・稲田姫命(クシナダヒメ)・田心姫命(タキリビメ)
梶田社:瀬織津姫神(セオリツヒメ)
白鬚社:猿田彦神(サルタヒコ)
百大夫社:船玉神(フナダマ)
鎮守社:大国主神(オオクニヌシ)・少彦名神(スクナヒコナ)
福徳社:福徳神(ふくとくじん)
藤木社:瀬織津姫神(セオリツヒメ)
小森社:水分神(ミクマリノカミ)
半木社:天太玉命(フトダマ)

境外摂社・久我神社

人文研究見聞録:賀茂別雷神社(上賀茂神社) [京都府]

上賀茂神社の摂社・久我神社(くがじんじゃ)です。

上賀茂神社の大分南側に位置しており、祭神に八咫烏こと賀茂建角身命(カモタケツヌミ)を祀っています。

久我神社についてはこちらの記事を参照:【久我神社】


関連知識

祭神について

人文研究見聞録:賀茂別雷神社(上賀茂神社) [京都府]

上賀茂神社の祭神は、賀茂別雷大神(カモワケイカヅチ)とされています。

しかし、この祭神は「日本神話」に具体的に登場しているわけではないので、その出自や正体については諸説あります。

『山城国風土記』によれば、上賀茂神社の起源説話の中に登場し、母・玉依日売(タマヨリヒメ)が丹塗矢の化身した火雷神(ホノイカヅチ)を床の近くに置いていたところ、賀茂別雷命を懐妊して出産したと記されています。ちなみに、上記と類似した説話が『古事記』の大物主の説話(大物主神と勢夜陀多良比売)にもあります。

また、『古事記』の大国主の系譜の中では、大国主と多紀理毘売命(タギリヒメ)の子・阿遅鋤高日子根神(アヂスキタカヒコネ)の別名として「迦毛大御神(かものおおみかみ)」と記されています。これと同様に『賀茂之本地』でも阿遅鋤高日子根神(アヂスキタカヒコネ)と同神であると記されています。

よって、賀茂別雷大神の父母については大国主(別名に大物主)との関連性が示唆されています。

ちなみに「大御神(おおみかみ)」とは最も尊い神(最高の神格)を指す尊称であり、『古事記』において「天照大御神」、「伊邪那岐大御神」、「迦毛大御神」以外に使用されていません。そのため、それなりに神格の高い神であるとも考えられます。

なお、松尾大社の社伝によれば『秦氏本系帳』にある「丹塗矢の神話」と『山城国風土記』の「丹塗矢の神話」が酷似していることから、秦氏の祖神とされる大山咋神(オオヤマクイ)と同神であると伝えています。

また、祖父に当たる賀茂建角身命(カモタケツヌミ)は、神武東征で八咫烏(ヤタガラス)に化身して皇軍を導いたとされる神であり、母・玉依日売(タマヨリヒメ)とともに左京区の下鴨神社で祀られています。

アヂスキタカヒコネについて

『古事記』においてオオクニヌシとタギリヒメ(宗像三女神)の間に生まれた神とされ、別名に「迦毛大御神(かものおおみかみ)」という名が記されている。なお、妹には高比売命(タカヒメ)がおり、別名を下光比売命(シタテルヒメ)という。

「国譲り神話」に登場しており、親友のアメノワカヒコの葬式に参列した際、死者であるアメノワカヒコと間違えられたことに激怒して、喪屋を叩き壊して蹴っ飛ばし、そのまま飛び去ったとされている。

なお、アヂスキタカヒコネが喪屋を叩き壊す際に使った剣は「大量剣(オオハカリノツルギ)」または「神度剣(カムドノツルギ)」と呼ばれ、蹴飛ばした喪屋は美濃国にある「喪山」となったとされる。

賀茂氏とは?

賀茂氏(かもうじ)とは、「賀茂(加茂・鴨・加毛)」を氏の名とする氏族であり、その起源は大きく分けて、天神系(賀茂県主)地祇系(三輪氏族)に分かれるとされています(追求すれば更に細分化される)。

天神系(賀茂県主)


人文研究見聞録:賀茂別雷神社(上賀茂神社) [京都府]
賀茂神社の神紋の一つ

天神系は、八咫烏に化身して神武天皇を導いた賀茂建角身命(カモタケツルヌミ)を始祖としており、子孫は上賀茂・下鴨の両神社の神主となって代々賀茂神社に奉斎したとされています(すなわち、賀茂神社は天神系となる

なお、山城国葛野郡・愛宕郡を支配したとされることから、同じ山城国を本拠とする秦氏との関係が深いとも云われています。

また、『出雲国風土記』には「意宇郡舎人郷 賀茂神戸」とあり、島根県安来市にある賀茂神社の祖神・言代主(一言主の同一神)の活躍地である東部出雲に属することから、ここを本貫とする説もあるそうです。

秦氏についてはこちらの記事を参照:【秦氏とは?】

地祇系(三輪氏族)


人文研究見聞録:賀茂別雷神社(上賀茂神社) [京都府]
高鴨神社の神紋

地祇系は、大物主(三輪明神)の子である大田田根子の孫・大鴨積(おおかもつみ)を始祖としており、大和国葛上郡鴨(現在の奈良県御所市)を本拠地としたとされています。

大鴨積が鴨の地に事代主を祀った神社を建てたことから、賀茂君の姓を賜与され、現在 鴨の地にある高鴨神社の祭神の事代主や、味鋤高彦根神(賀茂大御神)は地祇系の賀茂氏が祀っていた神であると考えられているようです。

なお、平安中期には陰陽博士賀茂忠行(かものただゆき)を輩出し、その弟子である安倍晴明が興した安倍氏と並んで陰陽道の宗家となり、以降 室町時代まで代々陰陽頭を務めたとされています。

境内の見どころ

参道

人文研究見聞録:賀茂別雷神社(上賀茂神社) [京都府]

上賀茂神社の参道です。

一の鳥居から割と長い参道には、「しだれ桜」や「斎王桜」などの多くの桜の木が植えられています。

そのため、毎年春には花見のスポットとしても賑わうんだそうです。

細殿

人文研究見聞録:賀茂別雷神社(上賀茂神社) [京都府]

上賀茂神社の細殿(ほそどの)です。

手前には立砂が祀られています。

立砂

人文研究見聞録:賀茂別雷神社(上賀茂神社) [京都府]

上賀茂神社の立砂(たてずな)です。

神社の御神体である神山(こうやま)を模っており、鬼門に撒く清めの砂の起源とされているそうです。

なお、先端には松葉が差してあります。

しかし、これについては諸説あり、多くの説が唱えられる中、具体的な結論には至っていないとされています。

そのため、上賀茂神社の中で最も謎めいたものであると言われています。

中門

人文研究見聞録:賀茂別雷神社(上賀茂神社) [京都府]

上賀茂神社の中門です

ここから本殿へ参拝するようになっています。

願い石(陰陽石)

人文研究見聞録:賀茂別雷神社(上賀茂神社) [京都府]

上賀茂神社の願い石(ねがいいし)です。陰陽石(おんみょうせき)とも呼ばれ、渉渓園付近にあります。

案内板によれば、古くは龍が棲む池の底より出土したとされ、陰と陽が融合した姿を現しているとされています。

なお、両手で同時に手を触れると力を授かることができるそうです。

関連記事:京都の神社仏閣神社神道とは?

料金: 参拝無料
住所: 京都府京都市北区上賀茂本山339
営業: 楼門内 8:30~17:00、無休
交通: 京都市バス 西賀茂車庫行き 上賀茂神社下車

公式サイト: http://www.kamigamojinja.jp/index.html


スポンサーリンク


記事がお役に立てましたら、シェアお願いします

このエントリーをはてなブックマークに追加


0 件のコメント :

コメントを投稿

記事の容量によってトップページに表示される記事の件数が少なくなる場合があります。
お手数ですが、過去の投稿を見るには 右の「前の投稿」をクリックしてください。