桜山天満宮 [京都府]
2015/09/24
京都府宮津市にある桜山天満宮(さくらやまてんまんぐう)です。
菅原道真公を祀る天満宮であり、境内には宮津藩最後の藩主である本荘宗秀・宗武の墓があります。
神社概要
由緒
由緒書によれば、古くより天満宮もしくは天神社と呼ばれてきたとされ、元は社殿の背後の桜山に鎮座していたとされます。その勧請年代は不詳とされますが、江戸時代の寛永年間に宮津藩主・京極高広(きょうごくたかひろ)が現地に再建したとされています。
また、当社に祀られる菅公神像(菅原道真公の像)は元々 太閤秀吉が身近に守護神として所持していたものであるとされ、それが側室・松の丸によって京極高広に贈られたと伝えられるそうです。なお、松の丸(京極竜子)は高広の父・高知の妹で、当初は若狭守護・武田元明に嫁いだとされますが、元明は秀吉に攻められて自害したことから、松の松は秀吉の側室になったとされています。
祭神
菅原道真 |
桜山天満宮の祭神は以下の通りです。
主祭神
・菅原道真公(すがわらのみちざね、菅公):平安中期の貴族であり、宇多天皇の下で寛平の治を支えた
→ 左大臣・藤原時平の讒訴によって失脚し、大宰府に左遷となって帰京することなく現地で没した
→ 死後、平安京で左遷に関わった者が次々と亡くなったことから、これらは菅公の怨霊とみなされる
→ 菅公の怨霊を鎮めるために北野天満宮が創建され、そこで天満天神(火雷神と習合)として祀られた
・菅原道真公(すがわらのみちざね、菅公):平安中期の貴族であり、宇多天皇の下で寛平の治を支えた
→ 左大臣・藤原時平の讒訴によって失脚し、大宰府に左遷となって帰京することなく現地で没した
→ 死後、平安京で左遷に関わった者が次々と亡くなったことから、これらは菅公の怨霊とみなされる
→ 菅公の怨霊を鎮めるために北野天満宮が創建され、そこで天満天神(火雷神と習合)として祀られた
境内社
稲荷神社
桜山天満宮の境内社である稲荷神社です。
拝殿の右に位置しており、稲荷神を祀っています。
櫻山大黒天
桜山天満宮の境内社である櫻山大黒天(さくらやまだいこくてん)です。
拝殿の左に位置しており、大国主(大黒様)を祀っています。
境内の見どころ
謎の磐座
櫻山大黒天の横には謎の磐座が祀られています。
牛像
天満宮でお馴染みの牛像です。
非常に美しい漆黒の牛像となっています。
本荘宗秀・宗武の墓
桜山天満宮にある本荘宗秀・宗武(ほんじょうむねひで・むねたけ)の墓です。
宮津藩の最後の藩主として、この地に埋葬されています。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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