四国の狸伝説(まとめ)
2015/11/11
徳島県をはじめとする四国一帯には、数多くのタヌキの伝説があります。
阿波の狸まつりの紹介にちなんで、四国の狸伝説をここにまとめておきたいと思います。
四国の狸伝説
阿波狸合戦(金長狸合戦)
江戸時代末期、日開野(後の小松島市日開野町)の村の子供たちが枯葉を燃やして穴の中にいるタヌキをいぶり出して虐めていると、大和屋という染物屋を営む茂右衛門(もえもん)という男が通りかかり、哀れに思ってそのタヌキを助けてやった。すると間もなく、大和屋は大いに繁盛したという。
やがて大和屋に務める万吉という者にタヌキが憑き、その素性を語り始めた。そのタヌキは「金長(きんちょう)」といい、206歳になる付近の頭株であるという。万吉に憑いた金長は、店を訪れる人々の病気を治したり易を見たりと大活躍し、大評判となった。
その後、まだタヌキとしての位を持たない金長は、津田(後の名東郡斎津村津田浦)にいるタヌキの総大将「六右衛門(ろくえもん)」に弟子入りし、正一位を得るための修行に励んだ。金長は修行で抜群の成績を収め、念願の正一位を得る寸前まで至った。六右衛門は優秀な金長を手放すことを惜しみ、娘の婿養子として手元に留めようとしたが、金長は残虐な性格の六右衛門を嫌ってそれを拒んだ。
これに怒った六右衛門は60匹の家来を引き連れて金長に夜襲をかけた。金長は共に日開野から来ていたタヌキ「藤ノ木寺の鷹」とともに応戦したが、鷹は戦死し、どうにか金長のみが日開野へ逃れた。金長は鷹の仇討ちのため同志を募り、六右衛門討伐の兵を挙げた。この戦いを「阿波狸合戦」という。
この戦いでは金長軍が死闘を制した。金長は六右衛門に一騎打ちを呼びかけ、それに応じた六右衛門と激闘になったが、最後には金長が六右衛門を食い殺して止めを刺したという。しかし、金長自らも致命傷を受けたため、せめて大和屋の茂右衛門に別れを告げようと日開野に帰り、そこで命を落とした。茂右衛門は正一位を得る前に命を落とした金長を憐み、自ら京都の吉田神祇管領所へ出向いて正一位を授り、正一位金長大明神として長く祀ったという。
なお、阿波狸合戦が起こった頃、六右衛門へ攻め込む金長軍が鎮守の森に勢揃いすると、人々の間で噂されていた。そこで、人々が日暮れに森へ見物に押しかけたところ、夜更けになると何かがひしめき合う音が響き、翌朝には無数のタヌキの足跡が残されていたという。そのため、阿波狸合戦の噂も決して虚言ではないと話し合ったそうな。
松山騒動八百八狸物語(隠神刑部の伝説)
四国は狸の民話・伝説が多いが、特に松山の狸は天智天皇の時代に端を発するほどの歴史を持ち、狸が狸を生んだ結果、その数は808匹にもなった。その総帥が「隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)」である。
隠神刑部は久万山の古い岩屋に住み、松山城を守護し続けていたという化け狸であり、808匹の眷属の数から「八百八狸(はっぴゃくやたぬき)」とも呼ばれ、四国最高の神通力を持っていたという。
なお、「刑部」とは松山城の城主の先祖から授かった称号であり、城の家臣たちから信仰され、土地の人々とも深い縁を持っていた。松平(久松)隠岐守の時代にお家騒動が起こると、隠神刑部は謀反側に利用され、子分の狸たちに命じて怪異を起こして謀叛側に助力した。
しかし怪談『稲生物怪録』で知られる藩士・稲生武太夫が、宇佐八幡大菩薩から授かった神杖で隠神刑部を懲らしめた末、隠神刑部は808の眷属もろとも久万山に封じ込められたという。
その洞窟は、山口霊神として今でも松山市久谷中組に残されている。
太三郎狸(屋島の禿)の伝説
その昔、あるタヌキが矢傷で死にかけたところを平重盛に助けられ、恩義から平家の守護を誓った。その子孫が「太三郎狸(たさぶろうたぬき)」と云われている。平家の滅亡後、太三郎狸は屋島に住みつき、屋島に戦乱や凶事が起きそうなときはいち早く屋島寺住職に知らせたとされ、そうした経緯で太三郎狸は屋島寺の守護神となった。
その変化妙技は日本一と称され、やがて四国の狸の総大将の位にまで上り詰めた。大寒になると300匹の眷族が屋島に集まり、太三郎狸はかつて自分が見た源義経の八艘飛びや弓流しといった源平合戦の様子を幻術で見せたという。また屋島寺の住職が代替わりする際にも、寺内の庭園「雪の庭」を舞台とし、合戦の模様を住職の夢枕で再現してきたという。
屋島寺は唐の僧である鑑真による開創と伝えられるが、伝説ではその際に盲目のために難儀する鑑真を、太三郎狸が案内したといわれ、また、空海(弘法大師)が四国八十八箇所の霊場を開創した頃、霧の深い山中で道に迷った空海を、老人に化けた太三郎狸が案内したともいう。鑑真や空海に感銘を受けた太三郎狸は狸の徳を高めるべく、屋島に教育の場を設け、全国から集まった若いタヌキたちに勉学を施していたともいわれている。
後に太三郎狸は猟師に撃たれて命を落とすが、死後の霊は阿波(後の徳島県)に移り棲み、人に憑くようになったとされ、嘉永年間には阿波郡林村(現・阿波市)の髪結いの女性に憑き、吉凶を予言したり、狸憑きを落としていたといわれる。
また、江戸時代末期に起きたというタヌキたちの大戦争・阿波狸合戦の際、日開野村(後の小松島市)のタヌキが人に憑いて語ったところによれば、合戦で金長狸と六右衛門狸が相討ちとなった後、双方の2代目同士によって弔い合戦が行なわれようとしたところ、太三郎狸の仲裁によって事が収まったという。
また、日清戦争・日露戦争では、太三郎狸は多くの子分たちと共に満州へ出征して活躍したといわれ、大量のアズキの粒を兵士に変えて敵陣に向かわせ、日本軍に勝利をもたらしたという。
喜左衛門狸の伝説
愛媛県にある大気味神社の祭神は大気都比売神(オオゲツヒメ)であり、江戸中期(1705年)に起こった飢饉の際、村人が神の守護を願うために創建したとされている。
この大気味神社の境内にある大樹に住んでいたのが、「喜左衛門(きざえもん)」という名の大狸であった。この狸は四国三大狸に数えられており、有名な伝説を残している。
ある時、喜左衛門狸が「金比羅様へ行く」と言って出掛けると、ちょうどそこで屋島の禿狸に出会った。そこで早速化けくらべを始め、禿狸は得意技である源平の壇ノ浦の合戦を再現して見せた。喜左衛門狸の番になると「数ヶ月後に大名行列を見せてやる」と禿狸に約束した。
その当日、禿狸が約束の場所へ行くと、本物そっくりの大名行列が向こうからやってくる。感心した禿狸は近寄って行くと、いきなり護衛の侍に斬られそうになる。這々の体で屋島に帰った禿狸であるが、喜左衛門狸はあらかじめ大名行列がそこを通ることを知っていて、一杯食わせたのであった。
このように喜左衛門は悪戯好きの狸であったが、大気味神社の眷属としての務めもよく果たした。ある時、神社の神殿が荒れ果てているのを見て、人に化けて菊間町の瓦屋に屋根瓦を千枚注文した。ところが、そこでうっかりと狸であることがバレてしまい、窯に入れられて焼き殺されてしまったという。その後、しばしば不審火が起こり、喜左衛門狸の祟りだと言われたとも。
その喜左衛門狸の逸話は明治時代までも続き、日露戦争にも出征したとの伝説が残る。喜左衛門狸は小豆に化けて大陸に渡り、上陸するやいなや豆をまくように全軍に散っていき、赤い服を着て戦ったという。
ロシアの敵将・クロパトキンの手記によると「日本の兵隊の中には赤い服を着た者が時々混じっており、いくら撃っても進んでくる。しかもこの兵隊を撃つと目がくらむ。赤い服には○に喜の字の印がついていた」と記されているという。
軍隊狸伝説
日露戦争の際、讃岐の浄願寺の禿狸とその一族が出征したという。禿狸一族は得意の変化の術で、小豆一粒を兵隊一人に見せかけて戦い、あるいは狸が兵隊に化けて山をつくり、そこに敵兵が登ってきたところで、山をひっくり返したなどの伝説が伝えられている。
また、伊予の梅の木狸などは、一族を引き連れて日清・日露のどちらの戦争にも出征し、赤い軍服を着た一隊として活躍したと云われている。その赤い軍服の兵士には、敵がいくら射撃しても一発も当たらず、逆に赤い軍服の者が撃った弾は百発百中だったという。
そのほか、上記の喜左衛門狸も日露戦争に参戦して赤い軍服を着て戦ったとされており、これらのことはロシアの敵将・クロパトキンの手記などにも記載されているという。
余談だが、日清・日露戦争および太平洋戦争には、狸のほかにも天狗、九尾狐、大男(巨人)、神馬、軍隊猫などの神や妖怪の類が参戦し、日本軍の部隊を助け勝利に導いたという伝説も多数残されている。
四国の化け狸
赤殿中
徳島県板野郡堀江村(現・鳴門市)には赤殿中(あかでんちゅう)と呼ばれる化け狸がおり、夜一人で歩いていると赤い殿中(袖のない半纏)を着た子供に化けて背負ってくれとしつこくねだる。仕方なく背負うと無邪気に喜び、その人の肩を叩いてくるという。
傘差し狸
徳島県三好郡池田町(現・三好市)には傘差し狸(かささしたぬき)と呼ばれる化け狸がおり、雨の降る夕方などに傘をさした人に化けて通行人に手招きをする。その誘いに乗って傘に入れてもらうと、とんでもない所に連れていかれるという。
首吊り狸
徳島県三好郡箸蔵村湯谷(現・三好市)には首吊り狸(くびつりたぬき)と呼ばれる化け狸がおり、人を誘い出して首を吊らせるという。
小僧狸
徳島県麻植郡学島村(現・吉野川市)には小僧狸(こぞうたぬき)と呼ばれる化け狸がおり、小僧に化けて夜道を歩く人を通せんぼし、怒った相手が突き飛ばしたり刀で斬ったりすると、そのたびに数が倍々に増えて一晩中人を化かすという。
坊主狸
徳島県美馬郡半田町(現・つるぎ町)には坊主狸(ぼうずたぬき)と呼ばれる化け狸がおり、坊主橋という橋を人が通ると、気付かぬ間に坊主頭にしてしまうという。
白徳利
徳島県鳴門市撫養町小桑島字日向谷には白徳利(しろどっくり)と呼ばれる化け狸がおり、白徳利に化けて人を騙し、人が拾おうとしてもコロコロ転がって捕まえることができないという。
兎狸
徳島県には兎狸(うさぎたぬき)と呼ばれる化け狸がおり、吉野川沿いの高岡という小さな丘で、ウサギに化けてわざとゆっくりと走り、それを見つけた人は格好の獲物と思って追いかけた挙句、高岡を何度も走り回る羽目になったという。
徳島県の豆狸
徳島県の豆狸は夜になると山頂に火を灯したという。それは次の日に必ず雨が降るという知らせだったそうな。
高知県の豆狸
土佐国の須江村のある家で、女性が便所へ入ったところ、4~5尺の坊主のような者が女性の尻に悪戯をした。この坊主の正体が豆狸だったという。
打綿狸
香川県には打綿狸(うちわただのき)と呼ばれる化け狸がおり、普段は綿のかたまりに姿を変えて路傍に転がっているが、人が拾おうとして手を伸ばすと動き出し、天に上ってしまうという。
狸を祀る四国の神社・祠
金長神社本宮(徳島県小松島市中田町)
中田町にある日峰神社の境内社であり、昭和14年(1939年)に新興キネマ(後の大映)が作製した映画「阿波狸合戦」がヒットとして会社が持ち直したので、金長への感謝より萬野只七の主唱により俳優らの寄進で同年に建立された。芸能上達、商売繁盛に霊験あらたかとされている。
金長神社(徳島県小松島市中田町)
中田町にある阿波狸合戦で落命した金長狸を祀る神社であり、昭和31年の「阿波狸合戦」の再映画化の後に創建された。芸能上達、商売繁盛の神として崇められている。
神子の藪狸大明神(徳島県小松島市神田瀬町)
神田瀬町の小松島小学校付近に祠がある。ここに祀られる神子の藪狸(みこのやぶたぬき)は、子供好きでよく川遊びをしたという。子供を水難事故から守り、入学試験、交通安全に霊験あらたかとされている。
鳳木狸大明神(徳島県小松島市小松島町)
小松島町のジョイフルの向いの川沿いに祠がある。ここに祀られる鳳木大明神(ほうのきだいみょうじん)は、鳳来橋の北詰の鳳木地蔵の付近に住んでいた狸であり、鳳栄町、馬場の本付近の子供達と神田瀬川で小魚を採ったり釣ったりして遊んだという。子供の安全守護、水難除けの神とされている。
榎狸大明神(徳島県小松島市小松島町)
小松島市小松島町の榎神社に鎮座している。ここに祀られる榎狸大明神(えのきだぬきだいみょうじん)は、大きな榎の下に住んでおり、子供が浜辺で遊んでいるとき榎の実鉄砲を作ってやったりして遊んでいたと言われている。
大鷹大明神・小鷹大明神・熊鷹大明神(徳島県小松島市日開野町)
日開野町の藤樹寺に鎮座している。ここに祀られる大鷹は六右衛門の夜襲された際に金長の身代わりとなって戦死した狸である。大鷹の子・小鷹は阿波狸合戦で晴れて父の仇を討ち、二代目金長となって小松島浦に善政を施したという。熊鷹も大鷹の子であり父の仇討ちの際に活躍した。農家魚家を守護し、交通安全、厄除けに霊験あらたかとされている。
田左衛門大明神(徳島県小松島市田浦町字岩金)
田浦町の子安保育所付近の田んぼの中にひっそりと建てられてる祠がある。ここに祀られる田左衛門大明神(たざえもんだいみょうじん)は北辰一刀流の皆伝を持っていたとされ、阿波狸合戦の際には金長方の軍師を勤めて勝利に導いたとされる。入学試験、商売繁盛、交通安全などに霊験あらたかとされている。
祐七大明神(徳島県小松島市金磯町)
金磯町の恩山寺の奥の院にある弁天社の隣に鎮座している。ここに祀られる祐七大明神(ゆうひちだいみょうじん)は子供が大好きで、弁天祭では子供に化けて相撲を取ったり、近所の漁師の魚をちょろまかせて喜んだといわれるユーモラスな狸であるとされる。商売繁盛、縁談、勝負事、子供の諸願などに霊験あらたかとされている。
山口霊神社(愛媛県松山市久谷町)
松山市の山口霊神社には、狸の総師であった隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)を封印しているとされている。この隠神刑部は、スタジオジブリの「平成狸合戦ぽんぽこ」の日本三大狸の一匹である伊予の狸のモデルとして選ばれたことでも有名である(同名で登場)。
大気味神社(愛媛県西条市北条)
西条市の大気味神社の境内の大木には、四国三大狸として知られる喜左衛門狸(きざえもんたぬき)が棲んでいたとされ、やがて喜左衛門は怨霊の祟りを鎮めるとともに大気味神社の眷族として祀られることになり、喜野明神と呼ばれるようになったとされる。
フィクション
平成狸合戦ぽんぽこ
『平成狸合戦ぽんぽこ』とは、1994年に公開されたスタジオジブリ制作の劇場アニメ作品であり、開発が進む東京都の多摩市(多摩ニュータウン開発)を舞台に、その一帯の狸が化学(ばけがく)を駆使して人間に対し抵抗を試みる様子を描く作品です。
その作中には四国の伝説の狸である金長(六代目金長)、屋島の禿(太三朗禿狸)、隠神刑部が登場し、伝説にちなんだ神通力の数々を披露して人々を化かす様子が描かれています。設定は実際に残っている伝説を引き継いでおり、それに基づく描写が数多く登場しているため、元ネタを知っていると楽しみが倍増します。
ちなみに『平成狸合戦ぽんぽこ』の舞台となった多摩市では、殺された男性の遺体の検死解剖中にタヌキに変わってしまったという事件や、遺体がキツネに変わってしまったという事件も実在しているため、作中で紹介されるタヌキの設定はあながちフィクションではないのかもしれません。信じるか信じないかはあなた次第です。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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