鎧神社 [東京都]
2015/12/15
東京都新宿区北新宿にある鎧神社(よろいじんじゃ)です。
古くは「鎧大明神」と呼ばれ、「鎧」にまつわる多くの伝説があることから「鎧神社」となったとされています。
なお、平将門公の鎧を埋めたという伝説もあることから、将門公ゆかりの神社としても知られています。
平将門についてはこちらの記事を参照:【平将門とは?】
由緒
平安時代の醍醐天皇の時代(898~929年)、筑波の貞崇僧都が行基作と伝えられる薬師如来像をこの地に祀って円照寺が創建し、その円照寺の鬼門鎮護として、鎧神社が創建されたと伝えられています。
なお、江戸時代の地誌である江戸名所図会には「相伝ふ、藤原秀郷将門を誅戮し凱旋の後、将門の鎧をこの地に埋蔵し、上に禿倉を建てて鎧明神と称すというふ。社前に兜松と称する古松あり。これも兜を埋めたる印と云ふ。」と記されているそうです。
また、明治時代は「将門公は朝廷に反した者」として宮の干渉で末社に移されたそうですが、戦後に氏子全員が懇願したことで本社に復したとされています。
祭神
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鎧神社の祭神は以下の通りです。
・日本武命(ヤマトタケル):第12代景行天皇の皇子で、西征・東征を成し遂げた
・大己貴命(オオナムチ):大国主の別名、国造りの神
・少彦名命(スクナヒコナ):国造りの神
・平将門公(たいらのまさかど):平安中期に東国の独立を目指した関東の豪族
・大己貴命(オオナムチ):大国主の別名、国造りの神
・少彦名命(スクナヒコナ):国造りの神
・平将門公(たいらのまさかど):平安中期に東国の独立を目指した関東の豪族
伝説(鎧伝説)
鎧神社の社名の起こりとして、以下のような鎧伝説が残されているとされています。
・景行天皇の時代、ヤマトタケルが東征の折、この地に甲冑六具(武具)をしまい隠したと伝えられている
・天慶3年(940)の平将門の乱で将門公が討死し、土地の人々は死を悼んで、天暦元年(947)に将門公の鎧を当地に埋めた
・藤原秀郷が将門公を討ったに病に罹り、将門公の崇りであると恐れて円照寺に参詣し、将門公の鎧を埋めて祠を建て、その霊を弔うと病はたちまち治った
・天慶3年(940)の平将門の乱で将門公が討死し、土地の人々は死を悼んで、天暦元年(947)に将門公の鎧を当地に埋めた
・藤原秀郷が将門公を討ったに病に罹り、将門公の崇りであると恐れて円照寺に参詣し、将門公の鎧を埋めて祠を建て、その霊を弔うと病はたちまち治った
拝殿
鎧神社の拝殿です。手前には巨大な狛犬が配されています。
参拝時には、神拝詞(祓え給い、清め給え、神ながら、守り給い、幸え給え)を唱える事とされています。
摂社(天神社)
鎧神社の摂社・天神社です。
祭神に菅原道真公(すがわらのみちざね)を祀っています。
元々は柏木北公園に鎮座していた成子天神社であるため、「元天神」とも呼ばれるそうです。
末社
鎧神社の末社は以下の通りです。
・稲荷神社:宇迦御魂命(ウカノミタマ)
・三峯神社:伊弊諾命(イザナギ)、伊芽冊命(イザナミ)
・子の権現:大国主命(オオクニヌシ)
・三峯神社:伊弊諾命(イザナギ)、伊芽冊命(イザナミ)
・子の権現:大国主命(オオクニヌシ)
狛犬型庚申塔
鎧神社の狛犬型庚申塔(こまいぬがたこうしんとう)です。
庚申塔とは、道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔を指します。
江戸中期(1721年)の製作とされ、民俗学的にも貴重な資料とされているそうです。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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