大国主(オオクニヌシ)とは?
2015/02/03
大国主(オオクニヌシ)とは、日本神話に登場する神であり、出雲大社の祭神として有名です。
このページでは、このオオクニヌシについて紹介します。
【目 次】
- オオクニヌシの概要
- オオクニヌシの神話・伝説
- オオクニヌシの諸説(俗説)
オオクニヌシの概要
概略
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『記紀神話』によれば、大国主(オオクニヌシ)という神は少彦名神(スクナヒコナ)という神と共に、出雲を中心とする葦原中国(あしはらのなかつくに)を造りあげ、奈良県の三輪山に神(三輪大神)を祀ることで、葦原中国を治めたとされています。
なお、葦原中国とは「葦原の中心の国」とされており、これを現代語に直すと「地上世界の中心の国」となります。この葦原中国は、日本神話において日本国を指すことから、神話上では「日本国が世界の中心」であり、そこを治めていた尊い神であると解釈することができます。
また、神話の中では出雲を拠点としていたと記されることから、古代日本では国津神が治める出雲王朝が存在し、後に天津神(アマテラスの子孫)を中心とするヤマト王権に主権が譲渡されたという解釈もあるようです。
現在では全国各地の神社で祀られるほか、七福神の大黒天と習合し、主に「縁結びの神」として祀られているケースが多いです(豊穣・子宝の神など幅広い神徳があるとされている)。
神名
大国主には多くの神名があります。
オオナムチ
・大己貴神(オオナムチ):大国主と名乗る前の名前の一つ。神話における初登場の際には、この名で記される
・大穴牟遅神(おおなむぢ):『古事記』における表記
・大穴持命(おおあなもち):『出雲国風土記』『出雲国造神賀詞』『伊予国風土記』における表記
・大己貴命(おほなむち):『日本書紀』、『先代旧事本紀』ほかにおける表記
・大汝命(おほなむち):『播磨国風土記』における表記
・大穴六道尊(おおなむち):『土佐国風土記』における表記
・大名持神(おおなもち)
・大穴道神(おおなみち)
・国作大己貴命(くにつくりおほなむち)
・所造天下大穴持命(あめのしたつくらししおおなもち):『出雲国風土記』における表記
・国作坐志大穴持命(くにつくりまししおおむなち):『出雲国造神賀詞』における表記
オオクニヌシ
・大国主神(おおくにぬしのかみ):根の国から出ていく際、スサノオによって賜った名前。大国を治める帝王の意
・大國主大神:出雲大社における祭神名
ヤチホコ
・八千矛神(やちほこ):須勢理毘売との歌物語での名。矛は武力の象徴で、武神としての性格を表す
→ 八千戈神
アシハラシコヲ
・葦原色許男神(あしはらしこを):根国での呼称。「しこを」は強い男の意で、武神としての性格を表す
→ 葦原醜男
・芦原志拳呼命(あしはらしこを):『播磨国風土記』における表記
オオモノヌシ
・大物主神(おおものぬし):古事記においては別の神、日本書紀においては国譲り後の別名
→ 大神神社の祭神(三輪山の祭神)
→ 大国主の幸魂・奇魂と名乗っている(『日本書紀』)
・倭大物主櫛甕玉神(やまとおおものぬしくしかみたまのかみ):大神神社での正式名称
ウツクシクニタマ
・宇都志国玉神(うつしくにたま):根国から帰ってからの名。国の魂
→ 顕国玉神
オオクニタマ
・大國魂大神(おほくにたま)
・大国魂神(おおくにたま):『古語拾遺』における表記
・大国玉神:『日本書紀』における表記
その他
・伊和大神(いわおほかみ):『播磨国風土記』における呼称
→ 伊和神社主神
・所造天下大神(あめのしたつくらししおほかみ):『出雲国風土記』における尊称
・幽冥主宰大神(かくりごとしろしめすおおかみ)
・杵築大神(きづきのおおかみ):国譲り後の名前
・杵築神(きずきのかみ):『文徳実録』における表記
・国造神(くにつくらししかみ):『大隅国風土記』における表記
・大地主神(おおとこぬしのかみ)
・廣矛魂神(ひろほこみたまのかみ)
→ 広矛魂神
・国作之大神(くにつくらしのおおかみ)
・出雲御蔭大神(いずもみかげのおおかみ)
・兵主神(ひょうずのかみ)
・農耕祖神(たづくりのおやのかみ)
・国堅大神(くにかためまししおおかみ)
・国占神(くにしめたまいしかみ)
・奇甕魂神(くしみかたまのかみ)
・三穂津彦神(ミホツヒコ):御穂神社における別名
・天下地主神(あめのしたとこぬしのかみ)
・大国作神(おおくにつくらししかみ)
・出雲大神(いずものおおかみ)
・縁結神(えんむすびのかみ)
・福神(ふくのかみ)
※この一覧表は大国主・大物主・大国魂を同一の神として扱う
出自
大国主の出自は『記紀』を始めとする文献によって大分異なります。
『古事記』
・スサノオとクシナダヒメの5世孫で刺国若比売(サシクニワカヒメ)の子とされる
『日本書紀』
・スサノオとクシナダヒメの息子(本文)
・スサノオの六世孫(異伝)
・スサノオの七世孫(異伝)
『先代旧事本紀』
・スサノオとクシナダヒメの息子
妻子
大国主には多くの妻子が居り、子の数は『古事記』では180柱、『日本書紀』では181柱居るとされています。
その代表的な妻子は以下の通りです。
妻
・スセリビメ:スサノオの娘で、『古事記』で正妻とされる(子については記載なし)
・ヤガミヒメ:根の国からの帰還後に娶った妻
・ヌナカワヒメ:高志国で娶った妻
・タキリビメ:宗像三女神の一柱
・カムヤタテヒメ:コトシロヌシの母とされる
・トトリ:ヤシマムジの娘
子
・コトシロヌシ:カムヤタテヒメとの間に生まれた子
・タケミナカタ:ヌナカワヒメとの間に生まれた子
・アヂスキタカヒコネ:タキリビメとの間に生まれた子
・シタテルヒメ:タキリビメとの間に生まれた子
・トリナルミ:トトリとの間に生まれた子
・ミホススミ:ヌナカワヒメとの間に生まれた子
・キノマタノカミ:ヤガミヒメとの間に生まれた子
オオクニヌシの神話・伝説
『記紀』
大国主の神話は『古事記』『日本書紀』によって大分異なりますが、おおよそ下記のように分類されます。
因幡の白兎
(『古事記』、『先代旧事本紀』に記載)・大国主の前身であるオオナムチは、兄弟のヤソガミとともに因幡のヤガミヒメを娶る旅に出た
・その途中で見つけた裸のウサギ(因幡の白兎)を救い、お礼としてヤガミヒメを娶るという予言を授かる
八十神の迫害
(『古事記』、『先代旧事本紀』に記載)・ヤソガミはヤガミヒメに求婚するが、ヤガミヒメはそれを断り オオナムチとの結婚宣言をする
・ヤソガミはオオナムチを逆恨みして、オオナムチを殺そうと画策する
・オオナムチはヤソガミの計略によって死ぬが、カミムスビが遣わした使者に救われて蘇る(2度蘇る)
・オオナムチはオオヤビコのもとへ赴き、ヤソガミから逃げるため、スサノオの治める根の国へ旅立つ
根の国訪問
(『古事記』、『先代旧事本紀』に記載)・根の国に着くと、スサノオの娘のスセリヒメに見初められ、お互いに気が合ったので そのまま結婚する
・スサノオに会いに行くと、すぐに様々な試練を与えられるが、試練の度にスセリヒメに救われて難を逃れる
・スサノオの最後の試練を乗り切ったオオナムチは、スサノオに一目置かれるようになる
・スサノオが眠った隙に「神宝」を盗み出し、スセリヒメをおぶって根の国から脱出を図る
・スサノオに後を追われるが既に追いつけない場所まで逃げ、スサノオに「神宝」と「大国主」などの名を賜る
・地上に戻ったオオナムチは、スサノオの「神宝」を以ってヤソガミを退け、出雲を拠点に国づくりを開始する
大国主の妻問い
(『古事記』のみ)・オオクニヌシは当初の目的であった ヤガミヒメと結婚する
・しかし、スセリヒメがヤガミヒメに嫉妬し、スセリヒメを恐れたヤガミヒメは子供を置いて因幡に帰る
・オオクニヌシは、遠く離れた越国のヌナカワヒメを娶ろうと、何度も通って求婚をする
・最初は断られるものの、何度も通っているうちに ついに結婚する
→ 『先代旧事本紀』では、その子がタケミナカタとされる
・オオクニヌシはスセリヒメの嫉妬深さに愛想をつかし、出雲から大和へ拠点を移そうとする
・しかし、スセリヒメは歌を歌ってオオクニヌシを必死に説得し、元の鞘に収まる
・オオクニヌシはアマテラスの娘のタギリヒメを娶り、アジスキタカヒコネとシタテルヒメを儲ける
→ アジスキタカヒコネの別名は賀茂大御神であり、賀茂神社の祭神とされる
・オオクニヌシはカムヤタテヒメを娶り、コトシロヌシを儲ける
・オオクニヌシはトトリを娶り、トリナルミを儲ける
大国主の国づくり
(『記紀』をはじめとする「日本神話」全般)・オオクニヌシは、出雲の美保岬で常世の国からやってきた小さな神と出会い、その正体の明かそうとする
・その正体がスクナヒコナだと明らかになると、スクナヒコナは親神に葦原中国の国づくりを命じられる
→ スクナヒコナの親神は、『古事記』ではカミムスビ、『日本書紀』ではタカミムスビである
・オオクニヌシはスクナヒコナと協力して国づくりを行うが、スクナヒコナは途中で常世の国に帰ってしまう
・オオクニヌシが独りで国造りを成そうとしていた際、彼方から海を照らしてやってくる神と出会う
→ 『古事記』では、スクナヒコナが常世に行ったことで不安に感じていた
→ 『日本書紀』では、一人で国造りを成したことを自画自賛していたところに神が登場する
・その神が自らを三輪山に祀れば国造りに協力すると言ったため、オオクニヌシは そのようにして国を治めた
→ この神は、大物主とされる
→ 『日本書紀』ではスクナヒコナと出会う前に祀られている(住む場所を提供されたというニュアンス)
※『記紀』『旧事紀』によって若干異なる
葦原中国平定
(『記紀』をはじめとする「日本神話」全般)・高天原から葦原中国を見たアマテラスは、この国を治めるのは自分の子であるオシホミミが相応しいと言い出した
・そこでオシホミミを地上に降ろしたが、地上の神々が騒がしく、とても治められそうになかった
・アマテラスは高天原の天津神を集めて地上を治める計略を相談し、数々の使者を送りこむが、悉く失敗する
・天津神は最後にタケミカヅチを送りこんで、武力を以って葦原中国の主権を譲渡するように迫る
・オオクニヌシは、最終的に出雲に巨大な神殿を建てることを条件に、天津神に葦原中国の主権を譲り渡した
※『記紀』『旧事紀』によって大分異なる
なお、上記の神話は下記の動画で音声付で読むことができます。ぜひご覧ください。
テキスト版:因幡の白兎/大国主の根の国訪問、【大国主の国づくり/葦原中国平定】
『風土記』
日本各地の風土記には、以下のような大国主の逸話が記されています。
出雲国風土記
・所造天下大神(大国主)は神魂命(カミムスヒ)の子・綾門比女命(アヤトヒメ)に求婚したが断られた
・大穴持命と須久奈比古命(スクナヒコ)と共に天下を巡った
・大穴持命(大国主)は越の八口(新潟県岩船郡関川村八つ口)を平定した
・所造天下大神(大国主)は、城名樋に八十神を討つための城を築いた
・出雲の多くの地は、所造天下大神(大国主)の行動に由来する
参考:出雲国風土記・現代語訳【大穴持命(おおなむちのみこと)】
因幡国風土記
・因幡の白兎にまつわる伝承がある(「白兎」という題で、内容は以下の通り)
「因幡の記」によれば、因幡国には高草の郡があり、その名を「二の釋」という。また、高い草の繁った「高草」という野や、元は竹林だった「竹草」というが郡あった。
この竹林について紐解いてみれば、昔、この竹の中に老いた兎が住んでいたという。ある時、洪水が起こって その竹林が水に沈んだ際、荒波が竹の根を浚い取って皆崩し、老兎も竹の根の乗って沖ノ島にまで流されてしまった。
水が引いた後、老兎は元居た場所に帰ろうと思ったが、渡る術が無かった。その時、水の中にワニという魚が居たため、老兎はワニに対して「汝らの輩は何種類居るのだ?」と尋ねた。すると、ワニは「一種類多くて海に満ちている」と答えた。
老兎は「我の輩も山野に満ちている。まずは汝の種類の多少を数えたい。この島より「気多の崎」という所までワニを集めよ。一頭ずつワニの数を数えて、種類の多い事を量ろうではないか」と言った。
ワニは老兎に謀られて、親族を集めて背中を並べた。その時、老兎はワニ達の背中を踏んで数を数えつつ、竹の崎に渡り着いた。そして、老兎が これで終いと思った時にワニ達に「我は汝を謀って ここまで渡って来たのだ。本当の狙いは親族を数えることなどでは無いわ」と嘲ると、水側に居たワニが腹を立てて老兎を捕らえ、その毛皮を剥いで丸裸にしてしまった。
それを見た大己貴神(後の大国主)は哀れんで「蒲の花を散らして、その上に伏しているが良い」と教えた。老兎が その教えの通りにすると、元の多毛に戻ったという。
なお、ワニの背中を渡って数える事を云うには「兎踏其上讀來渡」と云う。
播磨国風土記
・大汝命(大国主)は火明命(天火明命)の父であるとされる
・大汝命と小比古尼命(少彦名命)は「粘土を担いで行く」と「糞を我慢して行く」のを話し合い、大汝命は糞を我慢した
・他所から来た天日槍命(アメノヒボコ)は葦原志許乎命(大国主)に居着く場所を尋ねたという
尾張国風土記
・尾張國の登々川(ととがわ)という河は、大己貴命(大国主)と小彦命の巡国の際の足跡に由来する
伊予国風土記
・道後温泉は大穴持命(大国主)が別府温泉を引いてきたとされる(「温泉」という題で、内容は以下の通り)
伊予國の風土記曰く、湯の郡(道後温泉)には このような逸話がある。
伊予の湯の郡にて、大穴持命(オホナムチ)が疲弊した宿奈比古那命(スクナヒコナ)を活かそうと、地下から大分の速水の湯(別府温泉)を引いて来て、宿奈比古那命にその湯を浴びさせた。すると、あっという間に活力が戻り、そこで詠(ながめごと)をして「ましまし寝ねつるかも」と言って、激しく踏み踊ったという。
なお、今でも湯の中の石があり、これを機に湯の貴い力は神の世のみならず、今の世で病に罹る人々を癒し、健康を保つ「薬の湯」と云われている。
『ホツマツタヱ』
ヲシテという神代文字で記された『ホツマツタヱ』という文献では、大国主の定義は『記紀』とは全く異なります。
『記紀』と照らし合わせた結果、以下のようになると思われます。
オオクンヌシ・オオモノヌシ・コトシロヌシの定義
【オオクンヌシ】
・オホナムチ(大己貴神)の子のクシヒコ(事代主)がニニキネ(瓊々杵尊)から賜った尊称を「ヲコヌシ」という
・ヲコヌシは別名を、ヲヲコヌシ、オオクンヌシ、ヲヲクヌカミ、ヲコヌノカミ、クニヌシともいう
・オホナムチはオオクンヌシと呼ばれたことは無い
【オオモノヌシ】
・オオモノヌシは天(中央政府)のモノヌシ(役人)を統べる役職であるとされる
・初代はオホナムチで、以降はその長男が世襲した(クシヒコが二代目となり、計六代まで続いたとされる)
【コトシロヌシ】
・オオモノヌシに代わって業務を代行する役職であるとされる
・クシヒコ、ツミハが就いた(この二神はオオモノヌシにもなったことがある)
大国主に当たる神(『記紀』と照らし合わせたもの)
【オホナムチ(大己貴神)】
・ソサノヲ(素盞鳴尊)とイナダヒメ(稲田姫)の子(第五子で三男に当たる)
・出雲建国後初の子で、他と違って貴霊が宿っていた貴い子であるとされる
・籾の入った袋を担ぎ、手に槌を持った姿が象徴とされる(大黒様の由来か?)
・米蔵を築いて米の貯蔵を始めたことで財を成し、出雲の権力を増大していった
・スクナヒコナと出会ってからは共に各地を巡って療病・田畑の祓いなどを行った
・ワカヒメ(稚日女尊)から害虫の祓いの法を授かり、それが祓い祭の元になった(田中神とされる)
・オオモノヌシに就任するが、その役目を息子のクシヒコ(コトシロヌシ)に任せて自らは出雲の経営に専念する
・フトマニ(占い)によって謀反の疑いが発生したことから、天(中央政府)に出雲の明け渡しを迫られる
・クシヒコ(コトシロヌシ)の進言で出雲を開け渡すと、津軽へ国替えされることになる
・一族を連れて津軽に遷ると、そこに壮大な都を築く
・国替え以降は「カルキミ」として臣に復帰する
・子が181子居り、『記紀』には登場しないシマツウシ(島津氏の祖神と推定)という子も存在する
【クシヒコ(事代主)】
・オホナムチとタキリヒメの長男で、初代コトシロヌシ、二代目オオモノヌシとなる(アマテルの孫)
・常に天に従っており、長い間 重臣として重用される
・カシマタチ(国譲り)の際に天に従うよう父に進言し、後にタカキネ(高木神)の娘のミホツヒメを娶る
・クシタマホノアカリ(天火明命)が大和に降る際、これに付き添ったが揉め事が起こったため臣から外れる
・以後、ニニキネ(瓊々杵尊)に従い、種々の功績を讃えられて「ヲコヌシ」の尊称を賜る
・晩年にはイサナギ(伊弉諾尊)・イサナミ(伊弉冉尊)の用いた天逆矛を賜って神上がる
・ヤマトヲヲコノミタマカミ(倭大国魂神)は、この神であるとされる
【クシミカタマ】
・ツミハ(八重事代主)の子であり、五代目オオモノヌシとなる(ソサノヲの六世孫に当たる)
・オホナムチに付いていた貴霊の顕現とされ、ヰツセ、タケヒト(神武天皇)の重臣として活躍する
・『ホツマツタヱ』の「天の巻」「地の巻」の著者とされ、これを金刀比羅宮に納めたとされる
・『古事記』に照らし合わせると、大国主は この神に当たる(『日本書紀』はオホナムチが大国主)
・大神神社、金刀比羅宮で主祭神とされる神は、このクシミカタマに当たると推測される
参考リンク:ホツマツタヱ・ミカサフミ 現代語訳、大物主(オオモノヌシ)とは?
生石神社の石宝殿の伝説
石宝殿 |
生石神社には石宝殿という奇岩があり、社伝によれば以下のような伝説があるとされます。
神代の昔、大穴牟遅(おおあなむち)・少毘古那(すくなひこな)の二神が天津神の命を受けて、国土経営のために出雲より此の地に赴いたときに、国土を鎮めるのに相応しい石の宮殿を造営しようとして一夜のうちに工事を進めた。
しかし、工事の途中で播磨に棲む阿賀の神一行の反乱を受け、二神はそれに対抗しようと山を下り、数多の神々を集めて賊神の反乱を鎮圧した。だが、そこで夜明けを迎えてしまい、夜のうちに石の宮殿を正面に起こすことができなかったため、未完成に終わってしまった。
二神は、たとえ石の宮殿が未完成だとしても霊としてこの石に留まり、永劫に国土を鎮めることを宣言し、此処に誓った。以来、この石の宮殿は「石乃寶殿(いしのほうでん)」または「鎮の石室(しずのいわや)」と呼ばれている。
しかし、工事の途中で播磨に棲む阿賀の神一行の反乱を受け、二神はそれに対抗しようと山を下り、数多の神々を集めて賊神の反乱を鎮圧した。だが、そこで夜明けを迎えてしまい、夜のうちに石の宮殿を正面に起こすことができなかったため、未完成に終わってしまった。
二神は、たとえ石の宮殿が未完成だとしても霊としてこの石に留まり、永劫に国土を鎮めることを宣言し、此処に誓った。以来、この石の宮殿は「石乃寶殿(いしのほうでん)」または「鎮の石室(しずのいわや)」と呼ばれている。
参考リンク:生石神社の石宝殿
オオクニヌシの諸説(俗説)
オオクニヌシ多人数説
オオクニヌシという神は『記紀』をはじめとする多くの文献に登場しますが、そのそれぞれで経歴が食い違います。そのため、オオクニヌシという神名は固有名詞では無く、複数の神の総称ではないかという説があります。
なお、文献における食い違う部分は以下の通りです。
・神名:『記紀』の時点で複数の名が挙げられ、『風土記』や その他を挙げればさらに増える
・出自:『記紀』の時点で既に食い違っている(スサノオの子、もしくは五世、六世孫とされる)
・時代:『記紀』では国譲りまでと取れるが、『風土記』ではアメノヒボコの時代まで存在している
・出自:『記紀』の時点で既に食い違っている(スサノオの子、もしくは五世、六世孫とされる)
・時代:『記紀』では国譲りまでと取れるが、『風土記』ではアメノヒボコの時代まで存在している
これについて、上記に載せた『ホツマツタヱ』で基になった神々が細かく分けられていますが、『ホツマツタヱ』自体が学術的な研究が進められていないため、その信憑性は定かではありません。
大国主の称号・世襲名説
スサノオ |
日本神話において、大国主は非常に多くの名を有する神として有名です。
なぜこんなにも多くの名を持っているのか?という疑問に対し「大国主」は複数の神に与えられてきた称号であり、世襲によって受け継がれる世襲名であるという説があります。
古事記においても「根の国訪問」の中でスサノオにより賜った名前であることが記載され、出雲大社の祭神が一時的にスサノオであった時代が存在してことから、スサノオが「元・大国主」だったのではないかとする説もあります。
なお、日本神話において朝廷の大臣職および審神者(さにわ)として長年活躍した「武内宿禰(たけうちのすくね)」は、歴史からすると齢300年を超える人物であり、非常に長寿であることから架空の人物とする説が唱えられています。
しかし今現在、第73代目の武内宿禰を名乗る竹内睦泰氏が存在しており、その方によって「武内宿禰は世襲名である」と名言されていることから、古代の神々にも世襲名が存在していたということが考えられます。
オオナムチの龍蛇神説
大国主の本拠地である「出雲大社」では、神在月に八百万の神々を導く大国主の神使として龍蛇神が篤く尊崇されています。また、一説によると出雲大社の大注連縄は、龍蛇神の象徴であるとも云われています。
また、同じ島根県の出雲地方には「出雲大社教」という大国主を尊崇する独自の宗教があり、そこでも龍蛇神を祀る龍蛇信仰が存在しています。なお、大注連縄で有名な出雲大社の神楽殿は、明治期の出雲大社教創始の際に、本殿とは別に大国主を祀ったことに由来する施設であるとされています。
また、和歌山県の熊野那智大社では「那智滝」そのものを御神体として祀る「飛瀧神社(ひろうじんじゃ)」が存在しており、そこの祭神はオオナムチとされています。滝は 蛇もしくは龍のトーテムであるとする説があり、これについて 龍蛇信仰を表しているのではないかという説があります。
また、国づくり神話に大国主の別名として登場する三輪山の神・大物主は、天皇代の神話から蛇体であるとされており、三輪山での蛇の殺傷は禁止されています。一説には、蛇体ではなく龍体であるとする説もあります。
このことから、大国主の前身であるオオナムチは 蛇体もしくは龍体を有する龍蛇神ではないかとも考えられています。
詳しくはこちらの記事を参照:【出雲大社】、【熊野那智大社】
出自不明の神説
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オオナムチという神は、『記紀神話』において出自が非常に曖昧な神であり、出雲独自の神話を記した『出雲国風土記』においてもスサノオとの血縁について全く記載されていません。
そのため、出自が具体的に定まっていない謎の神でもあります。
今までの説を踏まえて考察すると、大陸から渡ってきた龍蛇神ではないか?と考えています。というのも、大国主ことオオナムチの性格が、古代中国の神である伏犠(ふっき)と非常に類似するように思えるからです。
まず、オオナムチは国づくりの際に、禁厭(まじない)、医薬を伝えたとされ、現在では農業神、商業神、医療神および縁結びの神として祀られています。一方、中国の伏犠は、森羅万象の法則を説いた『易経』を著し、家畜飼育・調理法・漁撈法・狩り・鉄製などを伝えた神であるとされ、いわゆる「文明の祖」としての性格が類似します。
また、上記に記した通り、オオナムチは龍蛇神であると考えられますが、伏犠もまた蛇身人首の姿で描かれる神であり、龍蛇神説を以ってすれば、容姿が同一の神であると考えられます。
そのことから、オオナムチは、大陸から渡ってきた伏犠、もしくは同種の神であるとも考えられます。
なお、上記に記載した第73代武内宿禰の竹内睦泰氏によると、大国主は出自が不明の神であり、国譲りのとき、その決定権を息子のコトシロヌシに委ねた理由は、自分にはスサノオとの血縁がないため、スサノオとの血縁を持った息子のコトシロヌシに決定させたということなんだそうです(詳細は下記の動画で見られます)。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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