人文研究見聞録:御廟山古墳 [大阪府]

大阪府堺市北区百舌鳥本町にある御廟山古墳(ごびょうやまこふん)です。

宮内庁によって第15代応神天皇の陵墓参考地に治定されている前方後円墳であり、百舌鳥古墳群を構成する古墳の1つとなっています。なお、百舌鳥古墳群では4番目の大きさの古墳であるとされています。


概要

人文研究見聞録:御廟山古墳 [大阪府]

御廟山古墳は、百舌鳥古墳群のほぼ中央に位置する前方後円墳であり、墳丘は3段に築かれ、南側に造り出しがあり、最近の調査によって二重の濠があることが分かっているそうです。

なお、現在のところ第15代応神天皇の陵墓参考地に治定されているため、宮内庁によって管理されています。

御廟山古墳のスペック

御廟山古墳のスペックは以下の通りです。

墳丘の規模

・墳丘長:203メートル
・後円部径:113メートル
・前方部幅:136メートル

出土品など

・葺石、埴輪が確認されている

応神天皇とは?

人文研究見聞録:御廟山古墳 [大阪府]
応神天皇

応神天皇(おうじんてんのう)とは日本の第15代天皇であり、ヤマトタケルの皇子である第14代仲哀天皇を父とし、三韓征伐を成し遂げた神功皇后を母としています。また、子の大鷦鷯尊は第16代仁徳天皇となっています。

なお、応神天皇の諱は誉田別尊(ほむたわけのみこと)といい、これは生まれた時に腕の肉が弓具の鞆(ほむた)のようになっていたことに由来するとされています(大鞆和気命(おおともわけ)とも)。また、神功皇后が懐妊中に三韓征伐を成し遂げたことから胎中天皇(はらのうちにましますすめらみこと)とも称されています。

また、応神天皇の時代には渡来人との交流が盛んになり、海外より多くの学問や技術が伝わったとされ、加えて、後に有力な渡来系氏族となる秦氏の先祖・弓月君が百二十県の民を率いて帰化したとされています。

そのほか、皇祖神の一つとされる八幡大神は、宇佐神宮の社伝によれば三才童児の姿で現れて「我は、譽田天皇廣幡八幡麻呂(応神天皇)、護国霊験の大菩薩」と託宣したとされることから、現在では応神天皇は八幡大神と同一視されて、全国の八幡宮の祭神にもなっています(武神として武家の崇敬を集める神とされる)。

永尾大神

人文研究見聞録:御廟山古墳 [大阪府]

御廟山古墳の畔には御神体に石を祀る永尾大神という祠があります(詳細は不明)。

料金: 無料
住所: 堺市北区百舌鳥本町1丁(googleマップに表示される)
交通: 百舌鳥駅(徒歩5分)

公式サイト: http://www.city.sakai.lg.jp/kanko/rekishi/dkofun/database/gobyoyama.html
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。