人文研究見聞録:三光神社

大阪府大阪市天王寺区にある三光神社(さんこうじんじゃ)です。

古墳時代に創建された古社であり、主祭神に天照大神・月読尊・素戔嗚尊三貴子を祀っています。

また、「大坂の陣」の際には大坂城の出城「真田丸」が置かれたことでも知られています。

そのため、境内には「真田の抜け穴」があり、それに因むオブジェも安置されています。


神社概要

由緒

社伝によれば、第16代仁徳天皇から第18代反正天皇の御代に創建されたと伝えられ、創建以来、武内宿弥(武内宿禰)の末裔である武川氏が神職として奉職し、86代目にして現在に至るとされています。

なお、かつては「姫山神社」と称し、周囲一帯は「姫の松原」と呼ばれていたとされます。また、寛文元年(1661年)に一旦現在地の南東の鎌八幡の隣に遷座し、宝永3年(1706年)に再び現在地に戻ったそうです。

また、境内社として中風(脳血管障害の後遺症)に霊験あらたかとされる陸前国宮城郡青麻(現 宮城県仙台市宮城野区)の三光宮(現・青麻神社)を勧請し、古来より中風除けの神社として崇敬を集めていたことから、そちらの方が有名になったとされています。

そして、明治41年(1908年)に姫山神社に境内社・三光宮を合祀し、社名を「三光神社」と改めたとされます。なお、祭神には三貴子を祀っており、それぞれが日・月・星を象徴することから「三光神社」となったとされ、3柱の神を祀ることから「三柱神社」「日月山神社」とも呼ばれているそうです。

大坂の陣と三光神社

人文研究見聞録:三光神社

三光神社の鎮座する丘陵は「真田山」と呼ばれ、大坂冬の陣では大坂城の出城「真田丸」が置かれたことで知られています。

また、真田幸村が大坂城から当地までの抜け穴を掘ったという「真田の抜け穴」の伝説もあり、三光神社の境内には 真田幸村の伝説に因んだ抜け穴や各種オブジェなどが安置されています(ただし、抜け穴は後世造られたものとされる)。

祭神

人文研究見聞録:アマテラスのイメージ
アマテラス
人文研究見聞録:ツクヨミのイメージ
ツクヨミ
人文研究見聞録:スサノオのイメージ
スサノオ

三光神社の祭神は以下の通りです。

主祭神

・天照大神(アマテラス):太陽を象徴する神(皇祖神)
・月読尊(ツクヨミ):月を象徴する神
・素戔鳴尊(スサノオ):出雲の祖神(三光神社では星を象徴するとされる)

※上記の神は『記紀』において尊い三柱の神として「三貴子」と呼ばれる

境内社

人文研究見聞録:三光神社
仁徳天皇社
人文研究見聞録:三光神社
武内社・野見社・稲荷社

三光神社の境内社は以下の通りです。

・仁徳天皇社:仁徳天皇を祀る
・武内宿弥社:武内宿禰を祀る
・野見宿弥社:野見宿弥(のみのすくね)を祀る
・主守稲荷社:稲荷神を祀る

三光と日・月・星の謎

八咫鏡(やたのかがみ)のイメージ
日(八咫鏡)
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)のイメージ
月(八尺瓊勾玉)
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)のイメージ ※草薙剣(くさなぎのつるぎ)とも
星(天叢雲剣)

社伝によれば、社名の「三光」は「光り輝く三貴子(三光神社の主祭神)」のそれぞれを指しているとされます。

「日」は太陽を象徴するアマテラス、「月」は月を象徴するツクヨミとされる…ここまでは分かるのですが、スサノオが「星」を象徴するという話は聞いたことがありません。

「日本神話」におけるスサノオは、『古事記』では「海原」を、『日本書紀』では「宇宙」もしくは「天下」、「海」を治めるように命じられたことから、主に「※1」と関連付けられます。そのため、「星の象徴」とする由縁は不明であり、そこには深い意味が隠されているような気がします。

なお、境内社として勧請した三光宮(現・青麻神社)では、主祭神であるアマテラス・ツクヨミ・アメノミナカヌシ日神・月神・星神として祀っており、神仏習合の時代には大日如来・不動明王・虚空蔵菩薩としていたとされています。

また、青麻神社の社伝によれば、社家の遠祖・穂積氏が一族が尊崇していた上記の三柱の神を岩窟中に奉祀したことに始まるとされています。穂積氏と言えば、神武天皇よりも前に大和入りをした饒速日命(ニギハヤヒ)を始祖とする氏族で、物部氏族の正統とも云われています。

そのため、「日・月・星」は物部氏にまつわる信仰に関連すると考えられますが、青麻神社における星神がアメノミナカヌシとされるのに対し、三光神社ではスサノオに当てられている点は謎です。

ちなみに、「日月星」は「にちげつしょう」と読み、三種の神器である「鏡(日)・玉(月)・剣(星)」を指す場合もあるそうです(この神社の三光と関係あるかは不明です)。

※1 『日本書紀』では三貴子誕生の説話が3パターン記載され、それぞれで命令が異なる
※2 天之御中主神(アメノミナカヌシ):『古事記』において、世界に初めて現れた最も尊い神。『日本書紀』には未登場。

関連する人物

武内宿禰について

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武内宿禰

武内宿禰(たけうちのすくね)とは『記紀』に登場する人物であり、第8代孝元天皇の三世孫に当たり、第12代景行天皇から第16代仁徳天皇まで5代の各天皇に仕えたとされています。そのため、計算上 非常に長寿であったとされることから、今のところ伝説的な人物と考えられているようです(世襲名という説もある)。

なお、朝廷における武内宿禰の立ち位置は いわゆる大臣職に当たり、成務天皇の時代に正式に大臣に任命されています。そして、後世 大臣職を司った氏族も主に武内宿禰の後裔とされています。また、第14代仲哀天皇の皇后である神功皇后が神懸かった際には、審神者(さにわ)を務めて神意を解釈したとも記されています。

三光神社の神職は この武内宿禰の後裔に当たるとされ、現在86代目とされています。また、武内宿禰が長寿であったということから七福神の寿老人として境内に祀られており、大阪七福神巡りの1社として親しまれているそうです。

真田幸村について

人文研究見聞録:三光神社
真田幸村の図

真田幸村(さなだゆきむら)は戦国時代に活躍した武将であり、本名を「信繁(のぶしげ)」と言います。近年、戦国時代を舞台にしたゲームなどで高い知名度を誇っており、大坂夏の陣において獅子奮迅の活躍をしたことから、日本一の兵(ひのもといちのつわもの)と呼ばれて称賛された武将として知られています。

なお、大坂の陣は幸村の武名を天下に知らしめる初めての戦となったと言われており、「大坂冬の陣」で豊臣軍に加勢した幸村は、大坂城への籠城策が決定すると、大坂城の唯一の弱点であるとされる城南に真っ先に三日月形の出城「真田丸」を築き、鉄砲隊を以って徳川軍を挑発し、先鋒隊に大打撃を与えたとされています。

また、「大坂夏の陣」では武田家由来の赤備えで編成した3,500の寡兵を以って家康本陣に真正面から突撃し、10,000以上の圧倒的な戦力差の中、大軍を突破して本陣まで攻め込み、家康を追い詰めたとされます。しかし、数度に渡る突撃戦により部隊は消耗し、幸村自身も疲弊して四天王寺付近の安居神社で休んでいたところ、敵軍に討ち取られて49年の生涯を終えたとされています。

境内の見どころ

鳥居

人文研究見聞録:三光神社

三光神社の鳥居です。

拝殿

人文研究見聞録:三光神社

三光神社の拝殿です。

真田の抜け穴

人文研究見聞録:三光神社

三光神社にある真田の抜け穴です。

大坂城から真田丸までを繋ぐために掘られた連絡トンネルだったという伝説にちなんだ岩窟とされています。

なお、普段は鉄格子で閉じられていますが、「真田まつり」の際には開放され、中までしっかり拝めるそうです。

境内のオブジェ

人文研究見聞録:三光神社
寿老人
人文研究見聞録:三光神社
真田幸村
人文研究見聞録:三光神社
赤備え
人文研究見聞録:三光神社
大砲

三光神社には上記の様なオブジェが安置されています(確認した限り)。

料金: 参拝無料
住所: 大阪府大阪市天王寺区玉造本町14-90(マップ
営業: 終日開放、無休
交通: 玉造駅(徒歩2分)

公式サイト: http://www.sankoujinja.com/index.html
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。