上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵) [大阪府]
2015/02/20
大阪府堺市西区石津ヶ丘にある上石津ミサンザイ古墳(かみいしづみさんざいこふん)です。
日本で3番目に大きい前方後円墳であり、百舌鳥古墳群では大仙陵古墳に次いで2番目の規模を誇る古墳となっています。また、第17代履中天皇の陵に治定されている古墳であるため、「履中天皇陵」の名でも知られています。
概要
上石津ミサンザイ古墳は、百舌鳥古墳群の南部に位置する大型の前方後円墳であり、前方部を南に向け、西側に造り出しがあり、周濠が一重(二重目が確認されている)となっているのが特徴で、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)、誉田御廟山古墳(応神天皇陵)に次いで、日本で3番目に大きい古墳とされています。
なお、古墳名の「ミサンザイ」は「ミササギ(陵)」の転訛と考えられており、第17代履中天皇の陵墓に比定されているため、宮内庁によって管理されています(江戸時代の絵図には既に「履中天皇陵」と表記されるとも)。
また、被葬者とされる履中天皇は、大仙陵古墳の被葬者とされる仁徳天皇の皇子に当たりますが、考古学的には上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)は大仙陵古墳(仁徳天皇陵)よりも古い時代に造築された可能性が高いとされているようです。
上石津ミサンザイ古墳のスペック
上石津ミサンザイ古墳のスペックは以下の通りです。
墳丘の規模
・墳丘の全長:365メートル
・後円部直径:205メートル
・後円部高さ:27.6メートル
・前方部横幅:235メートル
・前方部高さ:25.3メートル
出土品など
・葺石、埴輪が確認されている
・墳丘の全長:365メートル
・後円部直径:205メートル
・後円部高さ:27.6メートル
・前方部横幅:235メートル
・前方部高さ:25.3メートル
出土品など
・葺石、埴輪が確認されている
履中天皇とは?
履中天皇(りちゅうてんのう)は日本の第17代天皇であり、第16代仁徳天皇の第一皇子、第18代反正天皇の兄に当たります。
『古事記』によれば、父の仁徳天皇の崩御後、弟の墨江中王(住吉仲皇子)によって宮殿に火を掛けられ、皇位を簒奪されそうになったため、もう一人の弟である水歯別命(後の反正天皇)にも疑いを掛け、疑念を晴らすために水歯別命に墨江中王の誅殺を命じたとされています。
その後、履中天皇として帝位に就くも、在位5年を経て64歳で崩御したとされています(他の史書では若干異なる)。
料金: 参拝無料
住所: 大阪府堺市西区石津ヶ丘
交通: 上野芝駅(徒歩10分)
公式サイト: http://www.city.sakai.lg.jp/kanko/rekishi/dkofun/database/richutenno.html
住所: 大阪府堺市西区石津ヶ丘
交通: 上野芝駅(徒歩10分)
公式サイト: http://www.city.sakai.lg.jp/kanko/rekishi/dkofun/database/richutenno.html
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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