人文研究見聞録:益田岩船の考察 「なぜ岩船と呼ばれるのか?」

奈良県橿原市には益田岩船(ますだのいわふね)という謎の石造物があります。

この名称や用途については諸説あり、いまだにハッキリしたことが分かっていないそうでし。そこで、この謎について自分なりに考察していきたいと思います。


名称の謎について


まず「益田岩船(ますだのいわふね)」という名称はどこからきたのでしょうか?

用途や目的について記された文献は残ってないとされていますが、江戸時代末期の大和名所図会(やまとめいしょずえ)※1という郷土誌には益田岩船についての記載があります。

人文研究見聞録:大和名所図会「益田岩船」
大和名所図会「益田岩船」

とりあえず、江戸時代末期には「益田岩船」という名称だったということが分かりますね。

そして、平安時代の益田池の造築を賞賛する弘法大師の石碑の台石説があることから、益田岩船の「益田」は「益田池」という名称に由来するものであり、少なくとも平安時代からそう呼ばれているということが推測できます。

また、加工時期に関して、橿原市は7世紀代の特色を持つとしています。それゆえに最低でも飛鳥時代には人目に付いており、一定の名称で呼ばれていたということも推測できます。

そもそも、こういった石造物などの名称は、関連する地名事象由来するとされており、「益田岩船」という名称に関連する何かがあって、そう呼ばれているということが考えられます。

しかし、なぜ「岩船」なのでしょうか?仮に「岩船(いわふね)」が「石船山(いわふねやま)」に由来するとしても、石船山自体が「」なのに、なぜ「」が付いているのか?ということが疑問視されます。

また、飛鳥時代は万葉仮名※2が発明されたばかりなので、民間における物の名称としては大和言葉※3が用いられていたと考えられます。

大和言葉で「いわふね」とは「頑丈な大船」を指すんだそうです。さらに大和言葉における「いわ」と「ふね」を分割して考察してみても、「いわ」は「」であり、「ふね」は「船・舟・槽・艦」を指す事から、「いわふね」は、少なくとも「乗物」あるいは「入れ物」とされていたということが言えると思います。

なお、大阪府交野市にある磐船神社(いわふねじんじゃ)には「天の磐船(あめのいわふね)」と呼ばれる巨石があり、その巨石が神社の御神体となっています。

そして、神話に登場する神である饒速日命(ニギハヤヒ)が天の磐船に乗って河内国河上の哮ヶ峯(たけるがみね)に降臨したという伝承があるんだそうです(つまり、巨石は神の乗物※4とされているんですね)。

それが必ずしも関連していると断言する事はできませんが、個人的には、益田岩船(巨石)古神道に関連するものだと考えています。

その裏付けとして、奈良県の飛鳥地方には至る所に塞の神(道祖神)が鎮座していたり、石神を御神体とする神社が多く見られるということが挙げられます。

そのことから、古くは石を神として祀る磐座信仰(いわくらしんこう)※5の風習があったのではないかということが推察できます。

つまり、益田岩船は、まず古神道の磐座信仰における御神体として崇められていたものなのではないでしょうか?

そして、後世に手が加えられたのかもしれません。

用途の謎について


次に、「どんな風に使われていたのか?」ということについて考察してみたいと思っているのですが、それについてはまだピンと来るものがありません。

とりあえず、現場を見る限りでは、山に自然に在った物というよりも、乗っかっている物であるという感じがします(現在では最初から今の場所にあったと考えられている)。

その理由として、岩の下に不自然に隙間があり、その下から竹が生えてきているからなんですよね(地形学の知識は乏しいので何とも言えませんが…)。

しかし、乗っかってると仮定すると、どういった経緯で乗っかったと考えればよいのか…?

人文研究見聞録:益田岩船の岩と地面の間には隙間がある
岩と地面の間に隙間がある

今のところはこの程度しか言えませんね。何か閃いたらまた追記しようと思います。

関連記事:益田岩船飛鳥の石造物


※1 大和名所図会(やまとめいしょずえ):江戸時代末期に刊行された、大和国の名所を絵画と文章で紹介した通俗地誌。 

※2 万葉仮名(まんようがな):主として上代(飛鳥~奈良時代)に日本語を表記するために漢字の音を借用して用いられた文字のことである。万葉集に多く用いられているため、この名がある。真仮名(まがな)、真名仮名(まながな)、男仮名、借字ともいう。

※3 大和言葉(やまとことば):文献以前から伝わる漢語と外来語を除いた日本語固有の語のこと。

※4 神話における神の乗物:日本神話および世界各国の神話や民話には神の乗物として空飛ぶ船が登場することが多い。日本神話では、タケミカヅチがアメノトリフネという空飛ぶ船の神と共に地上に降りたとされ、上述のニギハヤヒも天磐船(あめのいわふね)で天下ったとされている。ちなみに、「イワ(岩、石)」はヘブライ語で「」を指す言葉とされている。

※5 磐座信仰(いわくらしんこう):古神道における岩に対する信仰のこと。また、信仰の対象となる岩そのもののこと。日本に古くからある自然崇拝精霊崇拝アニミズム)であり、神事において神を御神体である磐座から降臨させ、その依り代と神威をもって祭りの中心とした。
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。