人文研究見聞録:益田岩船 [奈良県]

奈良県橿原市白橿町にある益田岩船(ますだのいわふね)です。

石船山の頂上付近の竹林に安置されている巨大な石造物であり、具体的な記録などが無いことから、目的・用途・築造年代など、あらゆることが謎に包まれているとされています。

なお、奈良県の飛鳥地方は謎の石造物が多数見つかっていることで知られていますが、益田岩船はその中でも最大の物であり、かつ、他に類を見ない異形な様相から、国内でも有数の謎のオーパーツの一つに数えられています。



概要

案内板による解説


人文研究見聞録:益田岩船 [奈良県]

益田岩船の前の案内板には、橿原市教育委員会による解説文があります(以下転載)。

史跡 岩船


貝吹山(かいぶきやま)の連峯である石船山(いわふねやま)の頂上近くに所在する花崗岩の巨大な石造物で、俗に益田岩船(ますだのいわふね)と呼ばれている。

この石造物は、東西の長さ11m、南北8m、高さ(北側面)4.7mの台形を呈し、頂上部と東西の両側面に幅1.8m、深さ0.4mの浅い溝上の切り込みを設けている。

頂上部ではこの構内さらに1.4mの間隔をおいて東西に二つの方形の孔が穿たれている。孔は東西1.6m、南北1.6m、深さ1.1mと東西ほぼ等しく、孔の底部のまわりには幅6cmの浅い溝をめぐらす。石の加工は上半部が平滑に仕上げられているが、下半部は荒削りのままで格子状の整形痕がみられる。

古くからこの地に築造された益田池の台石とする説もあるが、頂部平坦面を90度回転させ横口式石槨だとする説や占星台の基礎とする説、物見台とする説がある。

このように用途は明らかではないが、土部平坦面の溝や孔が高麗尺(こまじゃく)で計画され、花崗岩の加工技術が終末期の古墳と共通するなど、少なくとも七世紀代の特色を持ち、飛鳥地方に分布する特異な石造物の中でも最大の物である。


益田岩船のスペック


人文研究見聞録:益田岩船 [奈良県]
南北の長さ:8m
人文研究見聞録:益田岩船 [奈良県]
東西の長さ:11m
人文研究見聞録:益田岩船 [奈良県]
高さ:4.7m
人文研究見聞録:益田岩船 [奈良県]
孔の幅:1.6×1.6m、孔の深さ:1.1m
人文研究見聞録:益田岩船 [奈良県]
孔の溝幅:6cm
人文研究見聞録:益田岩船 [奈良県]
孔の間隔:1.4m
人文研究見聞録:益田岩船 [奈良県]
側面の溝幅:1.8m、溝の深さ:0.4m
人文研究見聞録:益田岩船 [奈良県]
上部は平坦な面
人文研究見聞録:益田岩船 [奈良県]
底部の格子状の整形痕

案内板の情報に基づく益田岩船のスペックは以下の通りです(一部、私見を含む)。

全体


・南北長:8m
・東西長:11m
・高さ:4.7m(北側面)
・重量:推定160トン(約800トンに及ぶという説もある)
・形状:台形(舟形とも)

加工部


・孔の幅:1.6×1.6m(ほぼ正方形、非常にシャープな切り口)
・孔の深さ:1.1m
・孔の溝幅:6cm(片側のみ、非常にシャープな切り口)
・孔の間隔:1.4m
・側面の溝幅:1.8m
・側面の溝深:0.4m

備考


・材質:花崗岩
・築造年代:7世紀(特色からの推定)
・整形痕:格子状の整形痕と精緻に掘られた穿孔が見られる


益田岩船の特徴


人文研究見聞録:益田岩船 [奈良県]
孔には水が溜まる
人文研究見聞録:益田岩船 [奈良県]
単体で存在している
人文研究見聞録:益田岩船 [奈良県]
置かれたような形で安置

私見に基づく益田岩船の特徴は以下の通りです。

益田岩船について


益田岩船の表面には「平坦な部分」と「整形痕がある部分」がある
表面の整形痕に比べ、上部の溝は非常に精緻に整形されている(異常にシャープな切り口である)
孔には水が溜まる(水を掃けさせる機能は無いと思われる)
底部付近も加工されたような形になっている
表面には妙な白線がある

周辺について


標高約130mの岩船山の頂上付近に安置されている(持って上がったという説がある)
周辺は整然とした竹林になっている
周辺に同様の巨石があるわけではない(独立して安置されている)
周辺には破片などは無い(その場で成形したという説があるが、矛盾点も多い)
置かれたような形で安置されている(地面との接地面に隙間が見られる部分がある)

益田岩船の謎


用途・目的は不明(諸説あるが、定説は無い)
持って上がったする説があるが、その重量から物理的に不可能という反説がある
その場で加工したとする説があるが、周辺には破片や同様の岩も無い
7世紀の築造と推定されるが、具体的な記録は無い(飛鳥の石造物と、海外の遺跡に共通点が見られるとも)


現在唱えられている説


人文研究見聞録:益田岩船 [奈良県]

益田石船について現在唱えられている説は、以下の通りです。

・石碑台説:益田池を讃えるために造られた「弘法大師の書の石碑」を据える台という説
・天体観測台説:占星術を行うために、二つの穴に石柱を建てて、天体を観測したという説
・火葬墳墓:穴の中に遺骨を入れて石の蓋をするという説
・横口式石槨説:石棺を入れる石室であり、上部の穴に死者を埋葬するという説
・物見台説

しかし、具体的な物証や記録が無いため、上記の説はあくまでも仮説とされています。

また、一説には、兵庫県にある生石神社の石宝殿とサイズがピッタリ合うとも云われているようです。


益田岩船までのルート


人文研究見聞録:益田岩船 [奈良県]
益田岩船の入口
人文研究見聞録:益田岩船 [奈良県]
山道
人文研究見聞録:益田岩船 [奈良県]
竹林の岩船

益田岩船は、写真の階段が正規の入り口となっています(山肌からも登れますが大変危険です!)。

階段を上ると、このような細い山道を道形に進んでいく事になります。

途中、足場の悪いところがあるので、山中に張られたロープを掴みながら気を付けて登りましょう。

勾配のきつい坂道を進んでいくと、その先に益田岩船が見えてきます。

雨の日や雨の降った後は足場が滑りやすいので、できるだけ晴れた日に上ることをオススメします!


備考

『大和名所図会』による益田岩船


人文研究見聞録:益田岩船 [奈良県]

益田岩船は、江戸時代の地誌『大和名所図会』にも記されています。

この文献によれば、石碑台説に基づく益田岩船の様子や「岩船」と俗称されていたことなどが紹介されています。


道路に描かれた益田岩船のイラスト


人文研究見聞録:益田岩船 [奈良県]

益田岩船の入り口付近の道路には、益田岩船のイラストが描かれています。

このイラストは人間のサイズと比較した絵なので、おおよそのサイズを知ることができます。

一見、モビルアーマーっぽいので「乗物」だったのではないか?という発想を想起させます。


兎のオブジェ


人文研究見聞録:益田岩船 [奈良県]

益田岩船の周辺には兎のオブジェが多数安置されています。

twitterで教えてもらった情報によれば、竹林には兎が生息しており、運が良ければ遇うことができるそうです。


考察

直感的な疑問


人文研究見聞録:益田岩船 [奈良県]

諸説とは別に直感的に感じた疑問をここにメモしておきます。

古代の巨石信仰である磐座信仰と関連するのか?
「益田岩船」という呼称はどこから来たのか?(岩船が先か?山名が先か?)
 → とりあえずの仮説


料金: 無料
住所: 奈良県橿原市白橿町(Googleマップ
営業: 終日開放(夜間の観察は危険)
交通: 岡寺駅(徒歩20分)

公式サイト: http://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_kankou/kankou/spot/masudaiwafune.html
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。