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2015年3月1日日曜日

安倍晴明の伝説(晴明神社) [京都府]

人文研究見聞録:晴明神社(京都府)

晴明神社には、陰陽師である安倍晴明にまつわる伝説が10件ほど紹介されています。

それらについて簡単にまとめてみたので、どうぞご覧ください。

晴明神社の概要、見どころについてはこちらの記事を参照:【晴明神社(京都府)】


晴明神社の顕彰板に描かれた説話


人文研究見聞録:晴明神社(京都府)
安倍晴明公は、実在の人物であるが、化生の者であるという伝説がある。「簠簋抄(ほきしょう)」によると、晴明公の母親は、和泉国信太の森の狐である。

晴明公が幼い頃、狐の姿を見られたために、和歌を遺して、行方をくらましてしまう。後、晴明公は、信太の森を訪れて、母と再会する。

※簠簋抄(ほきしょう)とは、安倍晴明が編纂したと伝承される占いの専門書を、後年に読みやすくした書物

人文研究見聞録:晴明神社(京都府)
晴明公の好敵手として知られているのが、蘆屋道満(あしやどうまん)である。晴明公と道満はいずれの法力が優れているかを競い合った。

夏ミカン16個を長持の中に入れてフタをして、中を言い当てるというものである。道満が夏蜜柑であるというと、晴明公はネズミが16匹という。皆が晴明公負けたりと思い、中を開けると、術の力で中身はネズミに変えられていた。

※蘆屋道満(あしやどうまん)とは、平安時代に活躍したとされる非官人の陰陽師。道摩法師とも呼ばれる(別人と言う説も存在する)

人文研究見聞録:晴明神社(京都府)
藤原道長が物忌みの時、観修僧正、晴明公、医者の丹波忠明、武士の源義家の四人がお仕えしていた。

奈良から早瓜が献上されたが、晴明公が占ったところ、その中の一個に毒があるという。観修が祈祷をすると、瓜はゆらゆら動いた。忠明は毒を抜くように言われたので二ヶ所に針を指し、義家が刀で割ると小蛇がとぐろを巻き、針は蛇の目に命中していた。

※物忌み(ものいみ)とは、一定期間飲食や行動を慎み、不浄を避けること。平安時代には陰陽道により物忌みが多く行われた。

人文研究見聞録:晴明神社(京都府)
藤原道長が法成寺を建立したのち、御堂へ参る時、いつも白い犬を連れていた。ある日いつものように、門に入ろうとしている時、この犬が立ちふさがるように吠える。

車から降りて入ろうとすると、御衣の裾をくわえて引き留める。晴明公が呼ばれ占うと、道に呪いのものが埋めてあるという。掘ってみると素焼きの土器を二つに合わせ十文字にからげてある。調べると道満の仕業だった。

人文研究見聞録:晴明神社(京都府)
花山帝が頭痛で苦しんでおられた。いかなる治療を施しても治らない。そこで、晴明公の登場である。

帝の前世は尊い業者であるが、前世の髑髏(どくろ)が大峰で岩と岩との間にはさまっているために頭痛がするという。

髑髏を取りだしたら治るというので、その通りにしたところ、頭痛が治られたという。

人文研究見聞録:晴明神社(京都府)
花山院は冷泉院の第一皇子として天皇の位につかれ、小野の宮の娘を女御とされた。入内なさって弘徹殿にお住みになったので、弘徹殿の女御と申し上げた。

しかし、ほどなく女御が亡くなり、帝は悲しまれた。花山院は在位わずか二年で出家された。出家された夜、晴明公の屋敷の前を通られると、晴明公は帝座の星に兆しを見て、帝が譲位なさると声を上げたという。

人文研究見聞録:晴明神社(京都府)
晴明公が、広沢の僧正の御坊に参って話している間に、他の貴族が「式神をお使いになるなら、人を殺せますか」という。「生かす方法を知らぬのでたやすく殺せぬ」と晴明公がいうと、「蛙を殺してみよ」という。

草の葉を投げると、蛙は真っ平らにひしゃげた(押しつぶされた)。

人文研究見聞録:晴明神社(京都府)
晴明公の屋敷に、老僧が十歳ぐらいの童二人を連れてやって来た。晴明公の陰陽道について習いたいという。この男、童と見せかけて、式神を使っていた。

晴明公は、呪を用いて式神を隠すと「どうして人の供を隠すのか」と問うと「私を試そうとしたからだ」と、晴明公に諭される。

しばらくして童二人現れ、「式神など隠せるとは」と、老僧は弟子入りを乞うた。

人文研究見聞録:晴明神社(京都府)
三井寺の智興が病で死にかけた。

そこで晴明公が、「誰か身代わりになるものはないか」と尋ねると、弟子の証空が自分の命を差し出すという。晴明公は、泰山府君の法を修した。

すると、智興に生気が戻り、証空が苦しみ出したが、日ごろ信心していた不動明王に助けられて、二人とも命を取り留めた。

※泰山府君の法(たいざんふくんのほう)とは、健康長寿を祈祷する祭祀である。陰陽道を扱った作品では死者蘇生の祭祀をとされることが多い。

人文研究見聞録:晴明神社(京都府)
渡辺綱(わたなべのつな)は、一条戻橋の上で美女に声をかけられる。女は送ってくれというが、途中で鬼女に姿を変え、綱の髻(もとどり)をとって空を飛ぶ。

綱は腕を斬り落とすと鬼は愛宕山(あたごやま)に去る。綱は晴明公を呼んで相談した。物忌みをすすめられた綱は、鬼の腕に封印をする。その後、鬼は綱の母の姿で腕を取り戻しに来るが、綱は仁王経によって救われる。

※渡辺綱とは、平安時代中期の武将であり、頼光四天王の筆頭として知られる。大江山の酒呑童子退治や、一条戻橋の上で鬼の腕を切り落とした逸話で有名。

関連記事:安倍晴明京都の神社仏閣神社神道とは?


料金: 参拝無料
住所: 京都府京都市上京区晴明町806番地1
営業: 9:00~18:00、無休
交通: 今出川駅(徒歩12分)

公式サイト: http://www.seimeijinja.jp/

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