人文研究見聞録:晴明神社(京都府)

晴明神社には、陰陽師である安倍晴明にまつわる伝説が10件ほど紹介されています。

それらについて簡単にまとめてみたので、どうぞご覧ください。

晴明神社の概要、見どころについてはこちらの記事を参照:【晴明神社(京都府)】


晴明神社の顕彰板に描かれた説話


人文研究見聞録:晴明神社(京都府)
安倍晴明公は、実在の人物であるが、化生の者であるという伝説がある。「簠簋抄(ほきしょう)」によると、晴明公の母親は、和泉国信太の森の狐である。

晴明公が幼い頃、狐の姿を見られたために、和歌を遺して、行方をくらましてしまう。後、晴明公は、信太の森を訪れて、母と再会する。

※簠簋抄(ほきしょう)とは、安倍晴明が編纂したと伝承される占いの専門書を、後年に読みやすくした書物

人文研究見聞録:晴明神社(京都府)
晴明公の好敵手として知られているのが、蘆屋道満(あしやどうまん)である。晴明公と道満はいずれの法力が優れているかを競い合った。

夏ミカン16個を長持の中に入れてフタをして、中を言い当てるというものである。道満が夏蜜柑であるというと、晴明公はネズミが16匹という。皆が晴明公負けたりと思い、中を開けると、術の力で中身はネズミに変えられていた。

※蘆屋道満(あしやどうまん)とは、平安時代に活躍したとされる非官人の陰陽師。道摩法師とも呼ばれる(別人と言う説も存在する)

人文研究見聞録:晴明神社(京都府)
藤原道長が物忌みの時、観修僧正、晴明公、医者の丹波忠明、武士の源義家の四人がお仕えしていた。

奈良から早瓜が献上されたが、晴明公が占ったところ、その中の一個に毒があるという。観修が祈祷をすると、瓜はゆらゆら動いた。忠明は毒を抜くように言われたので二ヶ所に針を指し、義家が刀で割ると小蛇がとぐろを巻き、針は蛇の目に命中していた。

※物忌み(ものいみ)とは、一定期間飲食や行動を慎み、不浄を避けること。平安時代には陰陽道により物忌みが多く行われた。

人文研究見聞録:晴明神社(京都府)
藤原道長が法成寺を建立したのち、御堂へ参る時、いつも白い犬を連れていた。ある日いつものように、門に入ろうとしている時、この犬が立ちふさがるように吠える。

車から降りて入ろうとすると、御衣の裾をくわえて引き留める。晴明公が呼ばれ占うと、道に呪いのものが埋めてあるという。掘ってみると素焼きの土器を二つに合わせ十文字にからげてある。調べると道満の仕業だった。

人文研究見聞録:晴明神社(京都府)
花山帝が頭痛で苦しんでおられた。いかなる治療を施しても治らない。そこで、晴明公の登場である。

帝の前世は尊い業者であるが、前世の髑髏(どくろ)が大峰で岩と岩との間にはさまっているために頭痛がするという。

髑髏を取りだしたら治るというので、その通りにしたところ、頭痛が治られたという。

人文研究見聞録:晴明神社(京都府)
花山院は冷泉院の第一皇子として天皇の位につかれ、小野の宮の娘を女御とされた。入内なさって弘徹殿にお住みになったので、弘徹殿の女御と申し上げた。

しかし、ほどなく女御が亡くなり、帝は悲しまれた。花山院は在位わずか二年で出家された。出家された夜、晴明公の屋敷の前を通られると、晴明公は帝座の星に兆しを見て、帝が譲位なさると声を上げたという。

人文研究見聞録:晴明神社(京都府)
晴明公が、広沢の僧正の御坊に参って話している間に、他の貴族が「式神をお使いになるなら、人を殺せますか」という。「生かす方法を知らぬのでたやすく殺せぬ」と晴明公がいうと、「蛙を殺してみよ」という。

草の葉を投げると、蛙は真っ平らにひしゃげた(押しつぶされた)。

人文研究見聞録:晴明神社(京都府)
晴明公の屋敷に、老僧が十歳ぐらいの童二人を連れてやって来た。晴明公の陰陽道について習いたいという。この男、童と見せかけて、式神を使っていた。

晴明公は、呪を用いて式神を隠すと「どうして人の供を隠すのか」と問うと「私を試そうとしたからだ」と、晴明公に諭される。

しばらくして童二人現れ、「式神など隠せるとは」と、老僧は弟子入りを乞うた。

人文研究見聞録:晴明神社(京都府)
三井寺の智興が病で死にかけた。

そこで晴明公が、「誰か身代わりになるものはないか」と尋ねると、弟子の証空が自分の命を差し出すという。晴明公は、泰山府君の法を修した。

すると、智興に生気が戻り、証空が苦しみ出したが、日ごろ信心していた不動明王に助けられて、二人とも命を取り留めた。

※泰山府君の法(たいざんふくんのほう)とは、健康長寿を祈祷する祭祀である。陰陽道を扱った作品では死者蘇生の祭祀をとされることが多い。

人文研究見聞録:晴明神社(京都府)
渡辺綱(わたなべのつな)は、一条戻橋の上で美女に声をかけられる。女は送ってくれというが、途中で鬼女に姿を変え、綱の髻(もとどり)をとって空を飛ぶ。

綱は腕を斬り落とすと鬼は愛宕山(あたごやま)に去る。綱は晴明公を呼んで相談した。物忌みをすすめられた綱は、鬼の腕に封印をする。その後、鬼は綱の母の姿で腕を取り戻しに来るが、綱は仁王経によって救われる。

※渡辺綱とは、平安時代中期の武将であり、頼光四天王の筆頭として知られる。大江山の酒呑童子退治や、一条戻橋の上で鬼の腕を切り落とした逸話で有名。

関連記事:安倍晴明京都の神社仏閣神社神道とは?


料金: 参拝無料
住所: 京都府京都市上京区晴明町806番地1
営業: 9:00~18:00、無休
交通: 今出川駅(徒歩12分)

公式サイト: http://www.seimeijinja.jp/
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。