太皷谷稲成神社 [島根県]
2015/03/10
島根県鹿足郡津和野町にある太皷谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)です。
江戸中期、津和野城の鬼門の鎮守として創建された稲荷神社であり、歴代の津和野藩主の崇敬を集めたとされています。
現在では津和野を代表する観光スポットの一つとして知られており、日本五大稲荷の一つにも数えられているそうです。
また、全国で唯一「稲成」と称す稲荷神社とされており、その由縁から願望成就・紛失物に御利益があるとされています。
神社概要
由緒
社伝によれば、安永2年(1773年)、津和野藩7藩主・亀井矩貞(かめいのりさだ)が、藩の安穏鎮護と領民の安寧を祈願するために京都の伏見稲荷から稲荷神を勧請し、三本松城(津和野城)の鬼門に当たる東北端の太皷谷の峰に祀ったことに始まるとされています。
以来、歴代の藩主の篤い崇敬を受け、藩主・亀井家の祈願所として藩主のみの参拝が許されたとされますが、廃藩後は一般庶民にも開かれ、現在は中国地方有数の稲荷神社となったとされています(日本五大稲荷の一を称す)。
なお、昭和30年代には、参拝者の激増に伴って新社殿の建設が計画され、昭和42年(1967年)に境内地西側の山を切り開いて社地を造成し、昭和44年(1969年)12月に、新社殿が竣工し、遷宮が行われたそうです。
また、その際の古い社殿は「元宮」として残されており、祭神の分霊が祀られているとされています。
祭神
太皷谷稲成神社の祭神は以下の通りです。
主祭神
・宇迦之御魂神(ウカノミタマ):稲荷神であり、五穀豊穣の神とされる(当社では「稲成大神」とされる)
→ 伏見稲荷を始め、多くの稲荷神社の主祭神となっている(当社の稲荷神は伏見稲荷の勧請とされる)
→ 特に願望成就の神として崇敬される
⇒ 他に五穀豊穰・産業発展・商売繁昌・開運厄除・福徳円満・良縁・学業・受験・失せ物(紛失物)など
・伊弉冉尊(イザナミ):国産み・神産みの女神で、熊野権現の一(当社では「熊野大神」とされる)
→ 創造開拓・夫婦円満・良縁成就・開運・病魔退散・鬼門除け・方災除けの神徳がある
・宇迦之御魂神(ウカノミタマ):稲荷神であり、五穀豊穣の神とされる(当社では「稲成大神」とされる)
→ 伏見稲荷を始め、多くの稲荷神社の主祭神となっている(当社の稲荷神は伏見稲荷の勧請とされる)
→ 特に願望成就の神として崇敬される
⇒ 他に五穀豊穰・産業発展・商売繁昌・開運厄除・福徳円満・良縁・学業・受験・失せ物(紛失物)など
・伊弉冉尊(イザナミ):国産み・神産みの女神で、熊野権現の一(当社では「熊野大神」とされる)
→ 創造開拓・夫婦円満・良縁成就・開運・病魔退散・鬼門除け・方災除けの神徳がある
境内社
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太皷谷稲成神社の境内社は以下の通りです。
・元宮:伊弉冉尊(熊野大神)、宇迦之御魂神(稲成大神)を祀る(遷宮以前の社)
・命婦社:命婦専女神(みょうぶとうめのかみ)という稲成大神の神使(夫婦の白狐神)を祀る
・総霊社:祭神不明(恐らく神社の関係者の祖霊を祀っていると思われる)
・命婦社:命婦専女神(みょうぶとうめのかみ)という稲成大神の神使(夫婦の白狐神)を祀る
・総霊社:祭神不明(恐らく神社の関係者の祖霊を祀っていると思われる)
稲成の伝承
太皷谷稲成神社は全国で唯一「稲成」と称す神社とされていますが、それには以下の様な由来があるそうです。
「稲成」の言い伝え
安永2年(1773年)、京都の伏見稲荷より「お稲荷さま」が勧請された直後のこと、三本松城の蔵番が うっかり蔵の鍵を無くしてしまった。必死に探したが、どこを探しても一向に見つからなかった。
恐る恐る事の次第を殿に申し上げると、殿は大変立腹し、「七日間待ってやる。その間に探し出さねば捨ておかん」と蔵番に申し付けた。焦った蔵番は懸命に探すも未だ見つからず、思い余って殿以外が参詣を禁じられた「お稲荷さま」に七日間の願を掛け、密かに参詣を続けた。
願開けの七日目の朝、鍵が見つからず とうとう最後の日が来てしまったと思っていると、自宅の自在鉤(いろりに鍋を吊る鉤)の辺りでチリンチリンと音がした。
不思議に思って音のする方へ近づくと、必死に探しても見つからなかった蔵の鍵が掛かっていた。蔵番は その鍵を持ち、殿に報告しようと大急ぎで城まで走った。
そして、無断で「お稲荷さま」に参詣したことも併せて、鍵を返しして厳しい処罰を受けるつもりだった。
蔵番が城に着いて鍵を返すと、殿に「どうやって見つけたのだ」と問われた。そこで、今までの経緯を包み隠すことなく報告し、厳正な処罰を乞うた。すると、殿は蔵番の話に感心し、「正直なやつだ。もう良い」と快く許された。
また、蔵番の話に「願望成就の御神威が高いお稲荷さま」とあったことから、「稲荷」の「稲」に「願望が成る」の「成」と取って「稲成神社」と名を改めたという。
安永2年(1773年)、京都の伏見稲荷より「お稲荷さま」が勧請された直後のこと、三本松城の蔵番が うっかり蔵の鍵を無くしてしまった。必死に探したが、どこを探しても一向に見つからなかった。
恐る恐る事の次第を殿に申し上げると、殿は大変立腹し、「七日間待ってやる。その間に探し出さねば捨ておかん」と蔵番に申し付けた。焦った蔵番は懸命に探すも未だ見つからず、思い余って殿以外が参詣を禁じられた「お稲荷さま」に七日間の願を掛け、密かに参詣を続けた。
願開けの七日目の朝、鍵が見つからず とうとう最後の日が来てしまったと思っていると、自宅の自在鉤(いろりに鍋を吊る鉤)の辺りでチリンチリンと音がした。
不思議に思って音のする方へ近づくと、必死に探しても見つからなかった蔵の鍵が掛かっていた。蔵番は その鍵を持ち、殿に報告しようと大急ぎで城まで走った。
そして、無断で「お稲荷さま」に参詣したことも併せて、鍵を返しして厳しい処罰を受けるつもりだった。
蔵番が城に着いて鍵を返すと、殿に「どうやって見つけたのだ」と問われた。そこで、今までの経緯を包み隠すことなく報告し、厳正な処罰を乞うた。すると、殿は蔵番の話に感心し、「正直なやつだ。もう良い」と快く許された。
また、蔵番の話に「願望成就の御神威が高いお稲荷さま」とあったことから、「稲荷」の「稲」に「願望が成る」の「成」と取って「稲成神社」と名を改めたという。
境内の見どころ
入口鳥居
太皷谷稲成神社の入口鳥居です。
参道鳥居
太皷谷稲成神社の参道鳥居です。
参道には伏見稲荷の千本鳥居を彷彿とさせる数多くの鳥居が建てられています。
拝殿
太皷谷稲成神社の拝殿です。
なかなか豪華な社殿となっています。
神木
太皷谷稲成神社の神木です。
境内からの眺め
太鼓谷の峰に立つ神社の境内からは、津和野の城下町を一望することが出来ます。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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