大麻山 [島根県]
2015/10/25
島根県浜田市三隅町にある大麻山(たいまさん)です。
標高599mの山であり、山頂付近には大麻山神社が鎮座し、山頂にはテレビ塔が設置されています。地元ではハイキングやツーリングスポットとして知られているそうです。
歴史
古くは「西の高野山」と呼ばれるほど崇敬の篤い霊地として知られており、奈良中期から平安前期までは「双子山」と称していたと云われています。
そして、平安時代の山岳仏教が盛んな頃(貞観年間)に異僧(尊勝とも)が住み着き、尊勝陀羅尼(そんしょうだらに)※を称えて里人を教化したそうです。なお、当時は山全体が修行研学の大道場とされたとも云われています。
仁和4年(888)には、阿波国(徳島県)の大麻彦命の大麻が懸かった(神託が下った)ことを切欠に山号を「大麻山」と改め、天皇の勅許を得て、阿波国の大麻比古神社・忌部神社を勧請し、大麻山神社を創建したとされます。
その後、天暦3年(949)には神宮寺である尊勝寺が創建され、神仏習合の社となったんだそうです。なお、以降は戦禍や災害により再建を繰り返し、明治期に起こった廃仏毀釈運動によって尊勝寺は廃寺となったとされています。
※尊勝陀羅尼(そんしょうだらに):尊勝仏頂(そんしょうぶっちょう)の悟りや功徳(くどく)を説いた陀羅尼(だらに、呪文の意)
大麻山神社についてはこちらの記事も参照:【大麻山神社】
景観
大麻山の山頂からは島根半島および三瓶山などの中国山地の峰々、須佐の高山、萩沖の見島、そして日本海を眺めることができ、この光景はまさに絶景であると言えます。
そのほか、かつての漁民の島である高島(七戸島)も見ることができます。
伝説
大麻山の山中には多様な巨石が転がっており、古代の巨石信仰を思わせるような雰囲気となっています。
また、大麻山にまつわる伝説として、以下の様な説話があります。
忌部族と小野族
古代、阿波の大麻比古命(オオアサヒコ)率いる忌部族が折居海岸から上陸し、三隅の小野の原に住む小野族と衝突した。忌部族は大麻山から大石を投げて小野族を攻撃し、やがて小野の原から追い出した。
しかし、小野族は須佐まで押されたところで反撃に転じ、お互いに大石を投げあった。その結果、小野族は小野に帰り、忌部族は山を領分とすることとなったという。
なお、大麻比古命は馬に乗って海を渡り、折居の浜からは舟で陸路を渡った。そのとき馬から降りた場所が「折居」であり、大麻彦命が大麻山に登る際に投げ捨てた馬鞍と烏帽子が浜の近くで島となり、それが折居海岸の先に浮かぶ「烏帽子島」と「鞍島」になったという。
権現山と大麻山の背くらべ
昔、乙子の権現山には杉の木が沢山生えており、浜田の大麻山は石ころの山だった。
ある日のこと、権現山と大麻山が背比べをすることになり、「お前より、ワシの方が背が高いぞ」と、やがて二つの山の神様がケンカをし始めた。
権現山の神様は、自分の山に生えていた杉を抜いて大麻山に向かって投げ始め、反対に大麻山の神様は、自分の山の石を権現山に向かって拾って投げ始めた。
この二人の神様のケンカはどっちが勝ったのかは分からないが、この件が元で権現山には石ころが多いという。
また、大麻彦命は大麻山に住む鬼を退治し、森を切り開いて麻や綿を植えたとも伝えられており、大麻山には大麻彦命が山に登るときに用いた舟が岩になったという「岩舟伝説」や「鬼が住んでいたという洞穴」、「鬼ヶ城の伝説」も残っているそうです。
ちなみに、大麻山は石見名所集では「高間山」の名で紹介され、石見所縁の歌人である柿本人麻呂には「石見なる 高間の山の 木の間より 我がふる袖を 妹見けんかも」という歌の中で「高間の山」と詠まれていることから、かつては「高間山」という名で呼ばれていたともされています。
大麻について
大麻山の由来として『大麻山神社縁起』には「大麻が懸かった」と記されますが、現在では まず見聞きすることの無い表現です。なお、これは「神託(お告げ)が下った」ことを意味するとされています。
このような表現がされる理由として、古来の文化背景に大麻が密接にかかわっており、大麻を使用した際の幻覚作用を神託として捉えていたのではないか?という事が考えられます。
まず、神道における大麻とは「穢れ(ケガレ)を祓う植物」であるとされており、神社のお祓いなどで見かける棒の先に麻の繊維をくくりつけた祓串は「大麻(おおぬさ)」とも表記します。そのほか、伊勢神宮から頒布されるお札は「大麻(たいま)」と呼ばれており、「天照大神の御印(シンボル)」ともされています。
|
|
そのため、大麻は古来より神聖視されていた植物であると推察できます。
また、大麻は縄文時代より日本人の生活(衣・食・住)に密接に関わってきた植物ともされており、第二次大戦以前は国家によって大麻栽培が推奨されていたそうです。なお、戦前の日本では大麻は喘息やアレルギーに効く漢方薬として市販されていたとも言われています(現在では「医療大麻」という名目でアメリカで解禁され始めていますよね)。
そのため、大麻は日本の文化において古より積極的に用いられていた植物であると考えられ、大麻吸引時の意識変性による幻覚作用を神託として捉えていたと推測できます(神道における神酒と同様に、大麻も神との交流を深めるツールとして用いられたと考えられますね)。
上記のことから「大麻が懸かった」という表現がされているのでしょう。
ちなみに、『記紀』において「神託」をきっかけとして神社や寺を起こしたりする説話が非常に多く、現代社会では考えられない行動心理だったという事が窺い知れます。
また、大麻山神社に勧請された徳島の大麻比古神社の神紋は「麻紋」であり、そのほか、麻に所縁のある家系の家紋としても麻紋が用いられているそうです。
麻紋 |
つまり、大麻という植物は、大麻山の歴史だけではなく日本の文化にも深い関わり持っていると言えますね。なお、現在の大麻山には大麻は生えていませんので悪しからず。
※上記は民俗学および人文科学における論考の一つであり、大麻吸引を推奨するものではありません。
住所: 島根県浜田市三隅町室谷大麻山
交通: 折居駅(車約40分、徒歩約120分、※自動車を使うことが望ましい)
交通: 折居駅(車約40分、徒歩約120分、※自動車を使うことが望ましい)
スポンサーリンク
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
スポンサーリンク
コメント
0 件のコメント :
コメントを投稿