甲斐の黒駒(まとめ)
2015/03/27
聖徳太子には、愛馬として黒駒(くろこま)という空を飛ぶ馬が居たとされています。
この黒駒についての情報をまとめてみました。
概要
甲斐の黒駒とは?
甲斐の黒駒(かいのくろこま)とは、甲斐国(山梨県)産まれの黒毛の名馬を指し、聖徳太子の愛馬となったことで知られています(『聖徳太子伝暦』『扶桑略記』)。この他にも『日本書紀』に雄略天皇条に登場しています。
なお、聖徳太子の愛馬となった経緯として、以下の説話が残されています。
推古天皇6年(598年)4月、太子は諸国から良馬を貢上させ、献上された数百匹の中から四脚の白い甲斐の烏駒(くろこま)を神馬であると見抜き、舎人の調使麿に命じて飼養する。
同年9月に太子が試乗すると馬は天高く飛び上がり、太子と調使麿を連れて東国へ赴き、富士山を越えて信濃国まで至ると、3日を経て都へ帰還したという。(wikipedia「甲斐の黒駒」参考)
同年9月に太子が試乗すると馬は天高く飛び上がり、太子と調使麿を連れて東国へ赴き、富士山を越えて信濃国まで至ると、3日を経て都へ帰還したという。(wikipedia「甲斐の黒駒」参考)
『聖徳太子伝暦』における黒駒
『聖徳太子伝暦(聖徳太子の伝記)』には、黒駒について以下のように記されています。
黒駒の発見
推古天皇6年、太子は良馬を求めて諸国から馬を集めた。
太子は甲斐国(東海~関東)より集められた数百頭の黒駒の中で四脚の白いものを見つけ、その馬を指して「これは神馬である」と断定した。この馬を手に入ると他の馬は皆還され、後に舎人の調使麿を呼んで飼養とした。
太子は甲斐の黒駒に試し乗りをし、浮雲の如く東に去っていった。従者はその様子を見て「太子は舎人の調使麿を黒駒に乗せて、直ちに雲の中に入っていった」と語った。また、時の人々はそれを見て驚いたという。
3日後、太子が轡(くつわ)を廻して(馬を操って)帰って来ると、調使麿は黒駒で巡航した様子を語って聞かせた。
まず、馬に騎乗して、雲を踏み、霧を凌いで直ちに富士の嶽の上に至り、巡って次に信濃に至った。そのときの黒駒は飛ぶこと雷電のようであり、三越を経て今帰って来た。太子は黒駒について「疲れを忘れて私に従う真の忠士である」と評価していた。
また、太子曰く、まるで陸地を踏み進むが如く空を踏んで走るが、確かに脚の下に山があるのを見たという。このように太子と調使麿は甲斐の黒駒を大いに評価した。
黒駒で来朝する
推古天皇13年、天皇は常に太子の妙説を納め、遂に仏法の神秘性を理解するに至った。そこで大誓願を発願して、仏の職人・鞍作止利に銅仏と縫仏を造るように命じた。
冬に太子が斑鳩宮に遷ること天皇に伝えると、天皇は涙を垂らして太子を引きとめた。太子は天皇に感謝して「別宅に住んでも天皇から心は離れません」という旨を伝えた。
以後、太子は毎朝黒駒に乗って来朝し、政務が終わるとすぐに斑鳩に帰るようになった。しかし、日増しに飛鳥に居る時間が少なくなり、時の人々はそれを怪しんだという。
黒駒の失敗
推古天皇18年、太子が黒駒に乗って小墾田の宮に参じた際、誤ってこれ(宮?)を踏んでしまった。そのとき太子は少し驚いて、斑鳩宮へ還った。
これ以来、黒駒は草を噛むことができず、水も飲まず、両耳も垂れてしまった。その様子は、両目が合って過ぎたことを後悔している時の様であった。
それを聞いた太子は使者を遣わして、黒駒に草を食べ水を飲むように伝えた。すると、黒駒は目を開いて水や草を摂るようになり、以前の姿へと戻った。
『日本書紀』における黒駒
『日本書紀』には、黒駒について以下のように記されています。
眞根の処刑と甲斐の黒駒
雄略天皇13年9月、天皇は木工の韋那部眞根(ゐなべのまね)が木を削る様子を見ていた。この眞根が木を削るときには、石の上に木を置いて斧で削るのであるが、これを一日中 続けても斧を傷つけることはなかった。
その様子に感動した天皇は「もし失敗して、斧が石に当たることはないのか」と尋ねると、眞根は「決して失敗しません」と返答した。
そこで、天皇は采女の服を脱がせて犢鼻(たふさき、ふんどし)一つにして、よく見える場所で相撲を取らせた。すると、眞根は、相撲をちらちら見て木を削ったために、誤って斧を傷つけてしまった。
この様子を見た天皇は「何処の誰が朕を畏れずに、よく考えずに軽々しい気持ちで答えたのだ」と怒り、物部に渡して野で処刑するように命じた。
その時、同僚の木工が眞根を惜しみ、嘆き悲しんで歌を詠んだ。
惜しき 韋那部の匠 架けし墨 縄其が無けば 誰か架むよ あたら墨縄(実に惜しいことだ。韋那部の木工(眞根)が架けた墨縄は。彼が居なくなれば、誰が架けることができると云うのだ。実に惜しい墨縄よ)
天皇は この歌を聞いて後悔し、「もう少しで、人物を失うところであった」と言って赦使(ゆるすつかひ)を甲斐黒駒(かひのくろこま)で刑場まで走らせ、刑の執行を止めた。
そこで、同僚の木工は歌を詠んだ。
ぬばたまの 甲斐の黒駒 鞍着せば 命死なまし 甲斐の黒駒(甲斐の黒駒に鞍を置いてから駆けつけたならば、眞根の命は無かったであろう。甲斐の黒駒よ)
民話・伝説
飛翔伝説
聖徳太子の愛馬である黒駒は"天を駆ける天馬"であるとされています。
これについては『聖徳太子伝暦』や『扶桑略記』の中に記されており、「太子は側近を連れて東国へ赴き、富士山を越えて信濃国まで至ると、3日を経て都へ帰還した」とされています。
また、"地上を走るものを「馬」と呼び、空を飛ぶものを「駒」と言う"と云われており、黒駒が「駒」と称されているのは"天高く飛翔した"という伝承が由来しているものと思われます。
瓢箪から駒
「瓢箪から駒(が出る)」という諺(ことわざ)があります。これは「思いがけないことや、道理上ありえないことが起こる」という意味で使われますが、これは以下の飛鳥地方に伝わる民話に由来するといわれています。
飛鳥時代、甲斐の国(山梨県)のある農家に一匹の牝馬が飼われていました。ある年、その馬が子を産んだものの、産まれた子馬は母馬の乳を飲もうとしませんでした。
その代わり、子馬は農家の庭にあった瓢(ひさご)の木の葉を食べはじめました。不思議なことに、瓢の木の葉は冬になっても枯れず、常に青々としていたそうです。
ついに、瓢の木の茎をも食べ尽くした子馬は大きく育ち、一つの瓢箪をくわえて帰ってきました。この馬が後の黒駒であり、その瓢箪は推古帝に献上されたそうです。
その代わり、子馬は農家の庭にあった瓢(ひさご)の木の葉を食べはじめました。不思議なことに、瓢の木の葉は冬になっても枯れず、常に青々としていたそうです。
ついに、瓢の木の茎をも食べ尽くした子馬は大きく育ち、一つの瓢箪をくわえて帰ってきました。この馬が後の黒駒であり、その瓢箪は推古帝に献上されたそうです。
空を飛んだ黒駒
三河の民話には、黒駒に関するものがあるとされています。
昔、豊根の御大尽(おだいじん)の家には一頭の大層見事な黒駒が飼われていた。この黒駒は御大尽の自慢であったため、黒駒の好物の酒を毎日のように与えていた。
ある日、噂を聞きつけた隣国の殿様がやってきて、御大尽の前に宝物を並べて黒駒と交換するように頼んだ。しかし、御大尽はどんな宝にも首を縦にはふらなかった。すると、二人のやり取りを見ていた黒駒はいきり立ち、ついには宝物の山を蹴散らして、屋敷の塀を軽々と飛び越えて逃げ出した。
御大尽は輿を仕立てて使用人に担がせ、黒駒を探しに出かけた。その道中に話を聞けば、「御園の方から凄い勢いで長畑の方に飛んで来て、あっという間に西へ飛んでいった黒いものを見た」という話や、「黒いものが鴨川を越えて飛んでいった」という話を聞いたので、それは黒駒に違いないと思って一行は夜もろくに眠らずに西へと向かった。
一行が鞍掛山の麓に差し掛かると「山の洞窟の中から恐ろしい唸り声がする。」という一人の樵に出会った。そこで御大尽は樵を雇い、黒駒を洞窟からおびき出して捕まえることにした。
御大尽が洞窟の入口に酒樽を置いて黒駒が出てくるのを待っていると、やがて洞窟の暗闇の中から黒駒が姿を現した。そこで、酒を飲み始めた黒駒に、樵が縄を放った。しかし、黒駒は恐ろしい力で縄を引きちぎり、また姿を消してしまった。このとき、御大尽も使用人も疲れ果てていたので、その日はそこで眠った。
翌日の朝方、蹄の音で目を覚ました御大尽が見上げると、黒駒が鬣をなびかせて崖の頂に立っていた。黒駒の体は朝日に金色に輝き、この世のものとは思えなかった。そこで、御大尽が崖に登って捕まえようとすると、黒駒は一声高く嘶き、岩を蹴って崖から空へと飛び上がった。
そして、黒駒は空を駆けながら みるみる龍の姿に変わっていった。そこで「龍神様じゃ」一行は驚いて地面にひれ伏すと、龍は雲を呼び、嵐をおこしながら谷を越えて、竜頭山の奥へと消えていった。
黒駒の居た崖の上の大岩には、黒駒が踏ん張った蹄の跡と水を飲んだ窪みの跡がくっきりと残っていた。そのため、この岩は馬桶岩と呼ばれ、その窪みの水はどんな日照りにも枯れることはなかったという。
ある日、噂を聞きつけた隣国の殿様がやってきて、御大尽の前に宝物を並べて黒駒と交換するように頼んだ。しかし、御大尽はどんな宝にも首を縦にはふらなかった。すると、二人のやり取りを見ていた黒駒はいきり立ち、ついには宝物の山を蹴散らして、屋敷の塀を軽々と飛び越えて逃げ出した。
御大尽は輿を仕立てて使用人に担がせ、黒駒を探しに出かけた。その道中に話を聞けば、「御園の方から凄い勢いで長畑の方に飛んで来て、あっという間に西へ飛んでいった黒いものを見た」という話や、「黒いものが鴨川を越えて飛んでいった」という話を聞いたので、それは黒駒に違いないと思って一行は夜もろくに眠らずに西へと向かった。
一行が鞍掛山の麓に差し掛かると「山の洞窟の中から恐ろしい唸り声がする。」という一人の樵に出会った。そこで御大尽は樵を雇い、黒駒を洞窟からおびき出して捕まえることにした。
御大尽が洞窟の入口に酒樽を置いて黒駒が出てくるのを待っていると、やがて洞窟の暗闇の中から黒駒が姿を現した。そこで、酒を飲み始めた黒駒に、樵が縄を放った。しかし、黒駒は恐ろしい力で縄を引きちぎり、また姿を消してしまった。このとき、御大尽も使用人も疲れ果てていたので、その日はそこで眠った。
翌日の朝方、蹄の音で目を覚ました御大尽が見上げると、黒駒が鬣をなびかせて崖の頂に立っていた。黒駒の体は朝日に金色に輝き、この世のものとは思えなかった。そこで、御大尽が崖に登って捕まえようとすると、黒駒は一声高く嘶き、岩を蹴って崖から空へと飛び上がった。
そして、黒駒は空を駆けながら みるみる龍の姿に変わっていった。そこで「龍神様じゃ」一行は驚いて地面にひれ伏すと、龍は雲を呼び、嵐をおこしながら谷を越えて、竜頭山の奥へと消えていった。
黒駒の居た崖の上の大岩には、黒駒が踏ん張った蹄の跡と水を飲んだ窪みの跡がくっきりと残っていた。そのため、この岩は馬桶岩と呼ばれ、その窪みの水はどんな日照りにも枯れることはなかったという。
スポンサーリンク
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
スポンサーリンク
コメント
0 件のコメント :
コメントを投稿