人文研究見聞録:御霊神社 [大阪府]

大阪市中央区にある御霊神社(ごりょうじんじゃ)です。

平安期には既に存在していた古社であり、当初は瀬織津比売神、津布良彦神、津布良媛神を祀っていたとされています。

また、古くは皇室の儀式が行われ、後に鎌倉権五郎が合祀されたなど、由緒や祭神が興味深い神社となっています。


神社概要

由緒

人文研究見聞録:御霊神社 [大阪府]

公式サイトによれば、平安期の歴史書『日本文徳天皇実録』嘉祥三年(850年)の記録に登場する"八十嶋祭の祭場とされた圓神祠(つぶらしんし)"に始まるとされます。

八十嶋祭(やそしままつり)とは、天皇の即位礼の大嘗祭の翌年行われた皇位継承儀礼の一つであり、この儀式が行われた八十嶋の地を圓江(つぶらえ)と言ったそうです。

儀式の内容は「京から難波に下ってきた陰陽師が圓江の海岸に祭壇を設けて供物を捧げ、内侍(女官)が天皇の御衣を西の海に向かって打ち振って穢れを祓い、儀式を終えると供物を海に投げ入れる」というものだったとされます。

その祭壇の建てられた祠が圓神祠であり、その場所は現在の西区靭本町にある楠永神社の周辺だと考えられているそうです。

なお、当社は古くは圓江神社津村神社と呼ばれた古社ですが、豊臣時代になると周辺が政治経済の中心地として発展したため、文禄3年(1594)に因幡鹿野藩主の亀井茲矩(津和野藩の祖)が邸地を寄進して現在地に遷座したとされます。

この際、邸地に祀られていた小祠・乾八幡宮源正霊神(鎌倉権五郎景政公の霊)を本殿に合祀したとされ、鎌倉権五郎の権五郎から"五郎ノ宮"転じて"圓御霊"と呼ばれ、江戸時代の元禄9年(1696年)に"御霊神社(御霊大明神)"と改称し、"船場の御霊さん"として現代まで親しまれているとされています。

なお、境内の由緒書にある説明は以下の通りです。

由 緒

本神社は古来大阪市の船場、愛日、中之島、土佐堀、江戸堀、京町堀、靭、阿波座、薩摩堀 及 立売堀、長堀の西部、南北堀江の西部等 旧摂津国津村郷の産土神と坐す。

其地往昔海辺ぬかるみにて芦萩繁茂して國江と謂い円形の入江をなし、その口に瀬経津比売神、地主の神たる津布良彦神、津布良媛神を奉祀して國神祠と言ったのが蕩神社の古名である。

御神威高く上古、天皇御即位の大嘗祭につづく八十島祭に預り給うた。後 土地次第に固成、村をなし其名も津村と転訛、豊公大坂居城と共に政治経済の中心として発展、諸大名来集して崇敬篤く什器の寄進相次いだ。

中にも石見国津和野藩主亀井茲矩候、邸地を割いて寄進、文禄三年境内の乾八幡宮と源正霊神とを本殿に合祀、寛文中御霊神社と改称、元禄九年御霊大明神と御贈号、宝暦三年九月正一位の神階を授けられる。

又、伏見宮家より神楽修復の御寄進あり、幕府本上代巡見社として崇敬、明治御視政により同六年郷社となり、商業金融の中心地の鎮守として商家の崇敬篤く、大正二年府社に列し、朝まいりと夏祭りに南堀江の御旅所への神輿渡御列の華麗さは浪速名物として現今に至る。

大正十五年、境内の人形浄瑠璃の文楽座出火の際本殿類焼、昭和五年、再建竣工を見たが昭和二十年三月十四日未明戦災に遭いすべて炎上した。

戦後、坂本殿及び社務所一部を再建昭和二十四年奉賛会を組織して、神社及び神域復興に邁進。昭和三十二年十二月御社殿を再興、次いで昭和三十四年鳥居玉垣を再建。年を追うて往時に勝る神社の威容を整備しつつある。

尚、江戸時代末期まで、日本仏教の親元である比叡山延暦寺、天台宗神宮寺があり、観音堂本尊十一面観世音(慈覚大師作)は浪速観音巡禮三十三番目の札所として夙に名高い。又、薬師如水道、伝教大師堂があった。

祭神

御霊神社の祭神は以下の通りです。

主祭神

・天照大神荒魂(天照大神の荒魂):瀬織津比売神(セオリツヒメ)として祀られる
 → 『記紀神話』には登場せず、「大祓詞」や『ホツマツタヱ』などに登場する神である
 → 一般的には祓えを司る祓戸四神の一柱であるとされ、祓所社などで祀られることが多い
 → 『ホツマツタエ』によれば、アマテル(天照大御神)の内宮(正室)であったと記されている
 → 一説によれば、「国津神の女神」であったと言われている
・津布良彦神(ツブラヒコ):旧攝津国津村郷の産土神(土地の守護神)
・津布良媛神(ツブラヒメ):旧攝津国津村郷の産土神(土地の守護神)
・応神天皇(おうじんてんのう):第15代天皇で八幡大神として全国の八幡宮で祀られる
 → 亀井茲矩邸で祀られていた乾八幡宮の祭神
・源正霊神(鎌倉権五郎景政公霊):鎌倉景政(かまくらかげまさ)の霊
 → 平安時代後期の武将で、歌舞伎の演目『歌舞伎十八番之内 暫』の主役として有名

境内社

人文研究見聞録:御霊神社 [大阪府]
東宮
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松之木神社
人文研究見聞録:御霊神社 [大阪府]
大黒社

御霊神社の境内社は以下の通りです。

【東宮】

・皇大神宮:おそらく天照大神を祀る
・五福恵美須神社:恵美須神像を祀る
・猿田彦神社:おそらく猿田彦命を祀る
・水神社:おそらく水波能売命を祀る
・大雷社
・龍神社
・住吉社:おそらく住吉大神を祀る
・菅原社:おそらく菅原道真公を祀る
・加藤社
・多賀社:おそらく伊邪那岐命、伊邪那美命を祀る
・春日社:おそらく武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神を祀る
・事平社:おそらく大物主命を祀る
・稲荷社:おそらく宇迦之御魂神を祀る
・竈戸社:
・戸隠社:おそらく天手力雄命を祀る

【末社】

・松之木神社:松之木大神、朝吉大神を祀る
・大黒社:大国主命を祀る

鎌倉権五郎とは?

人文研究見聞録:御霊神社 [大阪府]

鎌倉権五郎景政(かまくら ごんごろう かげまさ)とは、平安後期に活躍した桓武平氏の流れを汲む武将であり、平景正(たいら の かげまさ)という名でも呼ばれています(平良文の五代の孫で、父は平景成とされるが、平景通の子とする説もある)。

父の代から相模国鎌倉(現・神奈川県鎌倉市周辺)を領して鎌倉氏を称したとされ、『奥州後三年記』に「景正が16歳の頃、後三年の役(東北を舞台にした戦役)に従軍し、右目を射られながらも奮闘した」という逸話があり、戦後に右目の療養をした土地(現・千葉県野田市)には「目吹」の地名が残されたとされます。

このような武勇伝から武家の信仰を集めており、当社を始め、神奈川県にある御霊神社、群馬県にある五郎神社などで神号「源正霊神(げんしょうれいじん)」として祀られています(御霊社の呼称は権五郎に由来するとされるため、御霊信仰とは無関係のようです)。

また、明治28年(1895年)に歌舞伎役者・九代目市川團十郎によって現行の型が完成された『歌舞伎十八番之内 暫』では、主役が「鎌倉権五郎景政」と定められており、これによって後世でも有名になったとされています(ただし、実在の人物像とは異なる)。

ちなみに、ゲームソフト「女神異聞録ペルソナ」では最強クラスの隠しペルソナとしてカマクラゴンゴロウが登場しています。

境内の見どころ

鳥居

人文研究見聞録:御霊神社 [大阪府]

御霊神社の鳥居です。

儀式殿

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御霊神社の儀式殿です。

祓所

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御霊神社の祓所です。

拝殿

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御霊神社の拝殿です。

肌守りの木

人文研究見聞録:御霊神社 [大阪府]

御霊神社の肌守りの木です。

戦時中の空襲による被害から回復し、参拝すると火傷が回復したという伝承から、美肌の信仰を集めているそうです。

うつぼの碑

人文研究見聞録:御霊神社 [大阪府]

御霊神社のうつぼの碑です。

御霊神社の前身である圓江神社が、靱の地にあったということを伝える石碑とされています。

料金: 無料
住所: 大阪府大阪市中央区淡路町4-4-3(マップ
営業: 終日開放、無休
交通: 淀屋橋駅(徒歩5分)、肥後橋駅(徒歩6分)

公式サイト: http://www.goryojinja.jp/
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。