人文研究見聞録:龍田神社 [奈良県]


奈良県生駒郡斑鳩町にある龍田神社(たつたじんじゃ)です。

崇神天皇の時代(紀元前1世紀頃?)に創建された古社であり、後に聖徳太子法隆寺を創建する際の鎮守として現在地に遷座された神社であるとされています。

元々の社名は「龍田比古龍田比女神社」であり、当時は その名の通り、龍田比古神・龍田比女神の二神(龍田大明神)を祀っていたとされますが、明治時代の神仏分離により法隆寺から離れ、三郷町立野の龍田大社の摂社となったんだそうです。

そのため、現在は龍田大社から勧請された祭神を主祭神としており、元々の祭神は配祀されています。


神社概要

由緒

由緒書によれば、第10代崇神天皇の御代に凶作が続いたことから天皇自ら占い、天地の神を龍田山の聖地に祀ったことに始まる神社とされます。

崇神天皇の在位期間は、皇紀で言えば紀元前1世紀ごろとされているので、それを以って弥生時代より存在している古社であるとも考えられますね。

その後の第32代崇峻天皇の時代、法隆寺の建設地を探していた聖徳太子の前に龍田大明神が現れて、斑鳩の地に法隆寺を建立することを勧め、法隆寺の守護神として現在地に祀られるようになったとされています。

なお、由緒書には以下のように記されています。

龍田神社の由緒沿革

産土神、風宮龍田神社の御祭神は天御柱之大神、国御柱之大神の二荒魂と、龍田比古之大神、龍田比女之大神、陰陽二柱の皇神である。雨風を鎮め水難、疫病を防ぐ神と楓・桜などの四季を司る神を祀る。五穀豊穣、息災長寿、天地萬有厄除の神である 延喜式神名帳所載の龍田地主大神である。他に末社として十二社を祀る。

十代崇神天皇の御代に年穀の凶作が続いたとき、帝自ら卜占をもって占い、天神地祇を龍田山の聖地に祀られた。後に聖徳太子が推坂山で法隆寺建立の地を指示された龍田大明神を法隆寺の守護神として鬼門除神として法隆寺建立と同時に御廟山(錦ヶ丘)南麓の地に移し祀られた(聖徳太子伝私記より)。

中世は法隆寺より別当坊三十口を給い、龍田三十講、平群四十八郷の産土神にして荘厳なる祭儀を行った神宮である。

創建伝承


『聖徳太子伝私記』による龍田神社の創建伝承は、以下の通りです。

龍田神社の創建伝承

聖徳太子が16歳の時(589年)、太子は飛鳥からこの地にやって来て法隆寺建立の地を平群川(竜田川)に沿って探しておられました。

この折りの前に白髪の老人が現れて、「ここから東に斑鳩が群棲している郷がある。優れた土地である。そこに伽藍を建てなされ。」と告げ、そこは仏法が末永く興隆する地として伽藍建立に適したところであると教えられました。

太子が、その白髪の老人に対して素性をお尋ねすると、「私は龍田山の裾に住み、秋の紅葉を楽しんでいる間に千余年を過ごしてしまった。」といったので、太子は「あなたはこの地の守護神なのですね。私の建立する寺をお守り下さい。」とお願いすると、「吾、守護神たらん。」といわれました。

この老人こそが、龍田明神の化身であったというのです。

しかし、三郷立野の龍田大社(本宮)は遠いので、斑鳩に龍田神社を祀り、法隆寺の鎮守としたのだと伝えられています。

史実に従えば、「丁未の乱」を経て崇峻天皇が即位した2年目に当たりますが、正史である『日本書紀』には、法隆寺の建立については記載されていません。

そのため、法隆寺の建立時期を知るためには貴重な情報と言えますね。ただし、神話的な伝承であるため、歴史学的な信憑性を得るには もう少し信憑性の高い物証が必要になるかもしれません。

祭神

龍田神社の祭神は以下の通りです。

本殿

・天御柱命(あめのみはしらのみこと):元々の祭神ではなく、龍田大社から勧請された神
 → 風神・志那都比古神(しなつひこのかみ)と同神とされる
 → 社伝や祝詞において、天御柱命は志那都比古神とされる
 → 崇神天皇の夢に龍田の風神が現れた際、「アメノミハシラ」と名乗ったとされる
 → 龍田比古神の別名とされることもある
・國御柱命(くにのみはしらのみこと):元々の祭神ではなく、龍田大社から勧請された神
 → 風神・志那都比売神(しなつひめのかみ)と同神とされる
 → 社伝や祝詞において、國御柱命は志那都比売神とされる
 → 崇神天皇の夢に龍田の風神が現れた際、「クニノミハシラ」と名乗ったとされる
 → 竜田比女神の別名とされることもある

左社殿

・天児屋大神(あめのこやねのおおかみ):日本神話に登場し、アマテラスの岩戸隠れの際に活躍した
 → 中臣連の祖神であり、後に中臣鎌足を祖とする藤原氏の氏神として信仰された
・外三大神:詳しくは不明だが、学問の神とされている
・瀧祭大神:詳しくは不明だが、天地を司る神とされている

右社殿

・竜田比古神(たつたひこのかみ):「龍田大明神」の一柱であり、「龍田比古龍田比女神社」時代の主祭神
・竜田比女神(たつたひめのかみ):「龍田大明神」の一柱であり、「龍田比古龍田比女神社」時代の主祭神

境内社

末社・楠大明神・稲荷大明神

人文研究見聞録:龍田神社 [奈良県]

龍田神社の末社・楠大明神(くすのきだいみょうじん)・稲荷大明神(いなりだいみょうじん)です。

楠大明神は社殿内の神木を指しており、稲荷大明神は いわゆる「お稲荷さん」として祀られています。

末社・恵比須・弁財天・白龍大神・廣田・祇園・粟島

人文研究見聞録:龍田神社 [奈良県]

龍田神社の末社・恵比須・弁財天・白龍大神・廣田・祇園・粟島です。

以下、左から順番に それぞれの末社を紹介していきます。

・恵比須社(えびすしゃ):「えびすさん」こと事代主神(コトシロヌシ)を祀る神社
・弁天社(べんてんしゃ):「弁天さん」こと市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)を祀る神社
・白龍社(はくりゅうしゃ):白龍大神を祀る神社
・廣田神社(ひろたじんじゃ):おそらく天照大神荒魂こと向津姫を祀る神社
・粟島神社(あわしまじんじゃ):おそらく淡島神を祀る神社
・祇園神社(ぎおんじんじゃ):おそらく牛頭天王こと素戔嗚尊(スサノオ)を祀る神社

境内の見どころ

鳥居


人文研究見聞録:龍田神社 [奈良県]

龍田神社の鳥居です。

鶏の手水舎

人文研究見聞録:龍田神社 [奈良県]

龍田神社の手水舎です。

神使である巨大な鶏像が安置されています。

拝殿


人文研究見聞録:龍田神社 [奈良県]

龍田神社の拝殿です。

金剛流発祥之地碑

人文研究見聞録:龍田神社 [奈良県]

龍田神社にある金剛流発祥之地碑(ごんごうりゅうはっしょうのちひ)です。

金剛流とは、日本の伝統芸能である能楽のうち、能のシテ方の流派の一つであり、法隆寺に仕えた猿楽座である坂戸座を源流とする流派なんだそうです。この地が その金剛流の発祥の地であるため、それを記念する石碑が建てられています。

謎の巨石片

人文研究見聞録:龍田神社 [奈良県]

龍田神社の謎の巨石片です。

境内には多くのソテツが植えられているのですが、恵比須社などの末社群付近にあるソテツの下に置かれている巨石片には、何か人工的な成形跡があるように見えます。詳細は不明ですが、気になったので ここに載せておきます。

料金: 無料
住所: 奈良県生駒郡斑鳩町龍田1-5-6(マップ
営業: 終日開放
交通: 法隆寺駅(徒歩24分)、奈良交通バス「龍田神社前」下車

公式サイト: http://www4.kcn.ne.jp/~ikaru-i/spot2/tatutazinnzya.html
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。