活日神社 [奈良県]
2015/09/08
奈良県桜井市三輪にある活日神社(いくひじんじゃ)です。
大神神社の摂社であり、酒造の祖神・高橋活日命を祀っています。
由緒
由緒書によれば、第10代崇神天皇の御代に 天皇より大物主大神に供える神酒を醸造するように命じられた高橋活日命(たかはしのいくひのみこと)を祀る社であるとされています。
なお、由緒書による説明は以下の通りです。
御祭神の高橋活日命は崇神天皇に命じられ、大物主大神に供える神酒を醸した掌酒(さかひと)で、杜氏(とうじ)の祖神として酒造関係者から篤く信仰されています。
一夜にして美味しい酒を造ったことから、古くは「一夜酒社(ひとよざけのやしろ)」とも呼ばれていました。酒まつりなどで舞われる神楽「うま酒みやの舞」は活日命が詠んだ歌で作曲作舞されたものです。
一夜にして美味しい酒を造ったことから、古くは「一夜酒社(ひとよざけのやしろ)」とも呼ばれていました。酒まつりなどで舞われる神楽「うま酒みやの舞」は活日命が詠んだ歌で作曲作舞されたものです。
祭神
活日神社の祭神は以下の通りです。
・高橋活日命(たかはしのいくひのみこと):大物主大神に供える神酒を醸した酒人(神に酒を捧げる人)
→ 杜氏(日本酒の醸造工程を行う職人集団)の祖神とされる
→ 杜氏(日本酒の醸造工程を行う職人集団)の祖神とされる
『日本書紀』の記述
『日本書紀』における高橋活日命に関する記述は以下の通りです。
第10代 崇神天皇の御代、国中に疫病が流行して国民の半数が亡くなってしまった。
天皇は事態を収拾しようと身を清めて神に祈ると、夢の中に大物主大神が現れて「我が子孫である大田々根子(オオタタネコ)に我を祀らせれば国は平穏になるだろう」と助言した。
この後、天皇は大田々根子を探し出して大物主大神の祭主にし、ほかに八百万の神を祀り、天社・國社・神地・神戸を定めると、ようやく疫病が止み始めた。また、高橋邑の活日(イクヒ)を大神神社の掌酒(神に酒を捧げる人)に任じて神酒を捧げるよう命じた。
活日は自ら神酒を捧げて 歌を歌った。
この神酒は 我が神酒ならず 倭成す 大物主の 醸みし神酒 幾久 幾久(この神酒は私の神酒ではなく、倭を作った大物主が醸した神酒です。いつまでも、いつまでも、栄えますよう)
そして、神宮で宴を行い、宴を終えると諸大夫(役人)が歌を歌った。
味酒 三輪の殿の 朝門にも 出でて行かな 三輪の殿門を(美味い酒を一晩中飲みあかして、三輪の拝殿の戸を朝 出でて帰っていこう。三輪の拝殿の戸を)
すると、天皇も歌を歌った
味酒 三輪の殿の 朝門にも 押し開かね 三輪の殿門を(美味い酒を一晩中飲みあかして、三輪の拝殿の戸を朝 押し開いて帰っていこう。三輪の拝殿の戸を)
このように歌うと、天皇は神宮の門を開いて帰って行った。
※原文を要約してまとめています。
天皇は事態を収拾しようと身を清めて神に祈ると、夢の中に大物主大神が現れて「我が子孫である大田々根子(オオタタネコ)に我を祀らせれば国は平穏になるだろう」と助言した。
この後、天皇は大田々根子を探し出して大物主大神の祭主にし、ほかに八百万の神を祀り、天社・國社・神地・神戸を定めると、ようやく疫病が止み始めた。また、高橋邑の活日(イクヒ)を大神神社の掌酒(神に酒を捧げる人)に任じて神酒を捧げるよう命じた。
活日は自ら神酒を捧げて 歌を歌った。
この神酒は 我が神酒ならず 倭成す 大物主の 醸みし神酒 幾久 幾久(この神酒は私の神酒ではなく、倭を作った大物主が醸した神酒です。いつまでも、いつまでも、栄えますよう)
そして、神宮で宴を行い、宴を終えると諸大夫(役人)が歌を歌った。
味酒 三輪の殿の 朝門にも 出でて行かな 三輪の殿門を(美味い酒を一晩中飲みあかして、三輪の拝殿の戸を朝 出でて帰っていこう。三輪の拝殿の戸を)
すると、天皇も歌を歌った
味酒 三輪の殿の 朝門にも 押し開かね 三輪の殿門を(美味い酒を一晩中飲みあかして、三輪の拝殿の戸を朝 押し開いて帰っていこう。三輪の拝殿の戸を)
このように歌うと、天皇は神宮の門を開いて帰って行った。
※原文を要約してまとめています。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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