石像寺(釘抜地蔵) [京都府]
2015/09/25
京都市上京区にある石像寺(しゃくぞうじ)です。
正式には家隆山光明遍照院石像寺と言い、通称 「釘抜地蔵」と呼ばれています。
寺院概要
縁起
寺伝によれば、平安初期(819年)に空海(弘法大師)によって創建され、当初は真言宗の寺院でしたが、鎌倉時代に重源上人(ちょうげんじょうにん)が再興し、それをきっかけに浄土宗に改宗されたそうです。
なお、本尊の地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、空海が唐から持ち帰った石を刻んで造られたとされており、苦しみを抜き取るということから「苦抜(くぬき)地蔵」と呼ばれ、それが訛って「釘抜地蔵(くぎぬきじぞう)」と呼ばれるようになったとされています。
そのため、心身の苦しみを抜き取ってくれる地蔵菩薩を祀る寺院として、通称 「釘抜地蔵」または「くぎぬきさん」と呼ばれて親しまれているそうです。
本尊
・地蔵菩薩(じぞうぼさつ):仏教における菩薩の一
→ 釈迦の入滅後から弥勒仏が世に現れるまでの間、無仏の世に住み、六道の衆生を教え導くことを誓いとした菩薩
→ 日本では平安時代からひろく信仰され,とくに子供の守り仏とされる
→ 釈迦の入滅後から弥勒仏が世に現れるまでの間、無仏の世に住み、六道の衆生を教え導くことを誓いとした菩薩
→ 日本では平安時代からひろく信仰され,とくに子供の守り仏とされる
釘抜地蔵の伝説
釘抜地蔵と呼ばれる由縁として、下記のような伝説があります。
室町時代の終わり頃、京都に紀ノ国屋道林(きのくにやどうりん)という商人がいた。彼は両手に激しい痛みを感じていたが、どんな治療を施しても効き目がなかった。
そこで霊験あらたかな石像寺の地蔵菩薩に7日間の願かけをしたところ、満願の日の夢に地蔵菩薩が現れた。
地蔵菩薩は「お前の苦しみの原因は、前世において人をうらみ、呪いの人形(ひとがた)を作ってその手に八寸釘を打ち込んだことにある」と告げ、呪いの人形から抜き取った八寸釘を道林に示して見せた。
道林が夢から覚めると、両手の痛みはすっかり消えていた。そして、石像寺に参詣すると、本尊地蔵菩薩の前には血に染まった2本の八寸釘が置かれていた。
道林は その釘は夢で抜いてもらった釘だと確信し、地蔵菩薩に感謝して 100日間のお礼参りをした。その時から人々から石像寺は「釘抜地蔵」と呼ばれるようになったという。
そこで霊験あらたかな石像寺の地蔵菩薩に7日間の願かけをしたところ、満願の日の夢に地蔵菩薩が現れた。
地蔵菩薩は「お前の苦しみの原因は、前世において人をうらみ、呪いの人形(ひとがた)を作ってその手に八寸釘を打ち込んだことにある」と告げ、呪いの人形から抜き取った八寸釘を道林に示して見せた。
道林が夢から覚めると、両手の痛みはすっかり消えていた。そして、石像寺に参詣すると、本尊地蔵菩薩の前には血に染まった2本の八寸釘が置かれていた。
道林は その釘は夢で抜いてもらった釘だと確信し、地蔵菩薩に感謝して 100日間のお礼参りをした。その時から人々から石像寺は「釘抜地蔵」と呼ばれるようになったという。
境内の見どころ
地蔵堂(本堂)
石像寺の地蔵堂です。
正面に巨大な釘抜きのモニュメントが配され、堂宇の中には本尊の地蔵菩薩が祀られています。
なお、入口手前には「宝珠」と「金剛杵(ヴァジュラ)」が安置されています(真言宗の名残でしょうか?)。
宝珠と金剛杵 |
釘抜の絵馬
石像寺の釘抜の絵馬(くぎぬきのえま)です。
石像寺では、釘抜地蔵の霊験によって苦しみから救われた人は「2本の八寸釘と釘抜を貼り付けた絵馬」を奉納する習わしとなっているそうです。
そのため、本堂の周囲には壁を埋め尽くさんとするほど数多くの絵馬が奉納されており、その御利益のほどが窺い知れます。なお、ここでいう「釘抜」とは「バール」ではなく「やっとこ」のことを指すようです。
釘と釘抜 |
阿弥陀三尊石仏
石像寺の阿弥陀三尊石仏(あみださんぞんせきぶつ)です。
本堂の背面にある小堂に安置されている石像であり、中央に阿弥陀如来、左右に観音菩薩、勢至菩薩が配されています。
鎌倉時代に製作されたことが明らかである石仏として重要文化財に指定されているそうです。
なお、堂内の仏像群の中には弥勒仏立像もあることから、空海との関連性が窺い知れます。
阿弥陀三尊 |
境内の堂宇および仏像群
石像寺の境内には多数の堂宇と仏像があるのですが、本堂以外の情報が少ないようです。
よって、詳しく分からない堂宇や仏像などの画像を、ギャラリー形式で掲載しておきます。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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