人文研究見聞録:麓神社 [京都府]

京都府宮津市にある麓神社(ふもとじんじゃ)です。

籠神社の東に位置する神社であり、祭神に弘計王(をけのみこ)億計王(おけのみこ)を祀っています。


概要


創建不詳の古社であり、『記紀』に記される説話に因んで二神を祀っています。

なお、その説話を簡潔にまとめると、古墳時代(5世紀末期)に起こった「眉輪王の変」を経て、その報復に出た大泊瀬皇子(おおはつせのみこ)は、次々と政敵に手を掛けて一掃し、後に雄略天皇として帝位に就いたとされています。

その政敵には、弘計王(をけのみこ)と億計王(おけのみこ)の父である市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ)も含まれており、父が殺される際に二王は家臣の日下部使主(くさかべのおみ)に連れられて丹後半島に逃亡したとされています。

なお、丹後の伝承によれば、二王は豊受大神を祀る丹後の豪族・今田三郎により匿われたとされているようです。その今田三郎という人物は丹後海人族であり、日下部氏の先祖の一人・浦嶋子(うらしまこ)の弟とされています。

ちなみに、浦島子(うらしまこ)とは『日本書紀』の「雄略天皇記」に登場する奇談の主人公であり、説話の内容がおとぎ話の「浦島太郎」そのままであることから、浦島太郎の原型となったとも云われています。

人文研究見聞録:麓神社 [京都府]
浦島子

また、祭神の弘計王と億計王は、後の第23代顕宗天皇と第24代任賢天皇のことを指します。

なお、それまでの詳しい経緯は以下の通りです。

弘計王と億計王

第20代安康天皇の時代、天皇は家臣の根使主の讒言(虚偽の報告)を信じて大草香皇子(おおくさかのみこ)を誅殺し、翌年にその妃であった中蒂姫(なかしのひめみこ)を皇后に立てた。しかし、後に その連れ子に当たる眉輪王(まよわのおおきみ)によって暗殺されるという「眉輪王の変」が起きる。

その事件を経て、眉輪王は安康天皇の弟である大泊瀬皇子(おおはつせのみこ)によって報復を受けて誅殺された。調子付いた大泊瀬皇子は、さらに従兄弟にあたる市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ)とその弟の御馬皇子(みまのみこ)をも謀殺し、政敵を一掃した後に第21代雄略天皇として帝位に就いた

兄・億計王(おけのみこ)弟・弘計王(をけのみこ)は、誅殺された市辺押磐皇子の子である。

この二王は、市辺押磐皇子が殺される際に身を隠し、まずは丹波国与謝郡(麓神社付近)に逃げ、後には播磨国明石や三木の志染の石室に隠れ住む。後に雄略天皇の皇子・白髪皇子(しらかのみこ)が第22代清寧天皇として帝位に就いたが、天皇は世継ぎに恵まれず、皇統の断絶を憂いていた。

その時二王は屯倉首(しじみのみやけのおびと)に雇われて牛馬の飼育に携わっていたが、清寧天皇が出席する宴の席に参加することとなり、宴の余興として弟・弘計王が歌った歌の中で王族の身分であることを明かした。すると、子がなかった清寧天皇は喜んで迎えを遣わし、その翌年、二王を宮中に迎えて兄・億計王を皇太子、弟・弘計王を皇子とした

清寧天皇が崩御した後、皇太子である億計王は身分を明かした功績を持ちあげて弟の弘計に皇位を譲ろうとするが、弘計はこれを拒否した。そんな皇位継承のやり取りが長引いたため しばらく天皇不在の状態となり、その間は飯豊青皇女が執政した。

結果的に兄・億計王の説得に折れる形で弟・弘計が第23代顕宗天皇として即位した

狛犬

人文研究見聞録:麓神社 [京都府]
阿行
人文研究見聞録:麓神社 [京都府]
吽行

麓神社の狛犬です。

阿行は子を抱いています。

謎の石仏

人文研究見聞録:麓神社 [京都府]
石仏(表)
人文研究見聞録:麓神社 [京都府]
石仏(裏)

麓神社の境内にある石仏です。

磐座かと思いきや、裏手には石仏が彫ってあるため、磐座信仰では無いように思います。

神仏習合の名残でしょうか?

謎の土盛

人文研究見聞録:麓神社 [京都府]

麓神社の境内にある土盛です。

ただの土盛なので注目する必要ないかもしれませんが、土の先がやたら尖っているのが妙に気になります。

そういうわけで、一応載せておくことにしました。

料金: 無料
住所: 京都府宮津市難波野
営業: 終日開放
交通: 天橋立駅(徒歩50分)
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。