高野山・壇上伽藍 [和歌山県]
2015/11/02
和歌山県伊都郡高野町にある高野山の壇上伽藍(だんじょうがらん)です。
空海(弘法大師)が高野山を開山する際に真っ先に着手した場所とされ、密教思想に基づく塔・堂の建立に心血を注いだ高野山の聖地であるとされています。
また、壇上伽藍は大日如来の説く真理や悟りの境地を表した胎蔵曼荼羅(たいぞうまんだら)の世界を表していると云われており、高野山全体を金剛峯寺という寺院と見立てた時、その境内地の中核にあたる場所とされることから、古来より奥之院と並んで信仰の中心とされてきたそうです。
なお、空海の高野山の開創に際し、地元の山の神である丹生明神と狩場明神の許可を得て金剛峯寺を建立したという伝説や、空海が唐で修行中に投げた三鈷杵が高野山の三鈷の松に掛かっていたという伝説など、様々な伝説も残されています。
高野山についてはこちらの記事を参照:【高野山】
壇上伽藍の諸堂
中門
壇上伽藍の中門です。
壇上伽藍の入口であり、2015年の4月に落慶された真新しい建物となっています。
なお、門の四方にはそれぞれ四天王像が祀られています。
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金堂
壇上伽藍の金堂です。
開創の最初期に建設された御堂であり、平安中期より高野山の総本堂として重要な役割を果たしてきたとされています。
なお、内部には高村光雲作の本尊・薬師如来(阿閦如来)が祀られており、壁には壁画が描かれています。
登天の松と杓子の芝
壇上伽藍の登天の松(とうてんのまつ)です。
この松は、以下の様な説話に因んでこの名で呼ばれるようになったとされています。
明王院の僧である如法上人(にょほう)が、平安後期(1149年)に この松より弥勒菩薩の浄土へと昇天した。その昇天の折、斎食の用意をしていた弟子の小如法は師匠が登天するのを見て、慌てて後を追って昇天した。
その時、小如法の手には杓子が握られており、昇天の途中にこの杓子が落ちてきた。当時、松の周辺には芝が生い茂り、そこへ杓子が墜ちてきたことから杓子の芝(しゃくしのしば)と呼ばれるようになったという。
その時、小如法の手には杓子が握られており、昇天の途中にこの杓子が落ちてきた。当時、松の周辺には芝が生い茂り、そこへ杓子が墜ちてきたことから杓子の芝(しゃくしのしば)と呼ばれるようになったという。
六角経蔵
壇上伽藍の六角経蔵(ろっかくきょうぞう)です。
鳥羽法皇の皇后・美福門院が鳥羽法皇の菩提を弔うため、紺紙金泥一切経を納める経蔵として建立したとされています。
なお、経蔵の基壇付近のところに把手がついており、回すことができるようになっています。
この部分を回転させて一回りすれば、一切経を一通り読誦した功徳が得られると云われているそうです。
御社
壇上伽藍の御社(みやしろ)です。
高野山の鎮守であり、空海が弘仁10年(819年)に山麓にある天野大社(丹生都比売神社)から地主神として勧請したとされています。なお、これは高野山開創の伝承の中にも登場し、伝承によれば高野山一帯は元々丹生明神の神領であり、それを空海に譲り渡したとされています。
空海は密教を広めるにあたって、日本の地元の神々も尊ぶ「神仏習合」の思想を持っていたとされます。そのため、高野山における四社明神への信仰は篤く、修行者を護り導いてくれる神々であるとも云われています。
なお、社殿は三つあり、一宮は丹生明神、二宮は高野明神、三宮は総社として十二王子・百二十伴神が祀られています。
山王院
壇上伽藍の山王院(さんのういん)です。
御社の拝殿として建立された御堂であり、地主の神を山王として礼拝する場所という意味があるとされています。
西塔
壇上伽藍の西塔(さいとう)です。
高野山第二世の真然大徳によって建立され、塔の内部には金剛界大日如来と胎蔵界四仏が安置されているそうです。
孔雀堂
壇上伽藍の孔雀堂(くじゃくどう)です。
准胝堂
壇上伽藍の准胝堂(じゅんていどう)です。
空海自らが造立した准胝観音(じゅんていかんのん)を本尊として祀っているとされています。
御影堂
壇上伽藍の御影堂(みえどう)です。
元は空海の持仏堂として建立され、後に真如親王直筆の「弘法大師御影像」を安置して御影堂と名付けられたそうです。
三鈷の松
壇上伽藍の三鈷の松(さんこのまつ)です。
空海が唐で修行中に投げた三鈷杵が掛かっていたという伝説にまつわる松として知られています。
この松の葉は三葉であることが珍しく、縁起物として三葉の松の葉を御守にするという風習があるようです。
三葉の松 |
根本大塔
壇上伽藍の根本大塔(こんぽんだいとう)です。
空海、真然大徳の二代を費やして完成した真言密教の根本道場におけるシンボルとされています。
多宝塔様式としては日本最初のものと云われ、本尊の胎蔵大日如来を中心とする仏像や仏画が納められています。
なお、堂内そのものが立体の曼荼羅(まんだら)として構成されているそうです。
大塔の鐘(高野四郎)
壇上伽藍の大塔の鐘です。
根本大塔の手前にある大鐘であり、空海が鋳造を発願し、真然大徳の時代に完成したと云われています。
なお、日本で四番目に大きな鐘であったことから高野四郎と呼ばれるようになったそうです。
愛染堂
壇上伽藍の愛染堂(あいぜんどう)です。
建武元年(1334年)、後醍醐天皇の綸命により、四海静平、玉体安穏を祈るために建立された御堂とされています。
本尊は愛染明王であり、後醍醐天皇の御等身と云われているそうです。
不動堂
壇上伽藍の不動堂(ふどうどう)です。
建久8年(1197年)、鳥羽上皇の皇女・八條女院内親王の発願により、行勝上人によって建立された御堂とされています。
なお、当初は阿弥陀堂であり、後に本尊を不動明王をとして八大童子が奉安されたと推定されているそうです。
蓮池
壇上伽藍の蓮池です。
高野山最大の池であり、その起源は平安時代に遡るとされています。古くは金堂池と呼ばれていたそうです。
なお、昭和期までは美しい蓮が咲き誇っていたとされています(現在は蓮は枯れている)。
善女龍王社
蓮池の中心に鎮座する善女龍王社(ぜんにょりゅうおうしゃ)です。
江戸中期に起こった干ばつに際し、善女龍王を勧請して雨乞いの法を修したことに由来するそうです。
なお、善女龍王とは龍神の一種であり、天候や農耕など水に関する信仰に絶大な御利益をもたらす神とされています。
大会堂
壇上伽藍の大会堂(だいえどう)です。
鳥羽法王の皇女・五辻斎院内親王が、鳥羽法王の追福のために建立した御堂とされています。
三昧塔
壇上伽藍の三昧塔(さんまいどう)です。
済高座主によって建立された御堂であり、理趣三昧という儀式を行っていたため、この名で呼ばれているそうです。
東塔
壇上伽藍の東塔(とうとう)です。
平安末期(1127年)に白河院の御願により、醍醐三宝院勝覚権僧正によって創建された仏塔とされています。
清瀧大権現社
壇上伽藍の清瀧大権現社(せいりゅうだいごんげんしゃ)です。
由緒は不明ですが、社名から醍醐寺の守護女神・清瀧権現を祀っているものと思われます。
料金: 入場無料(入館料は施設によって異なる)
住所: 和歌山県伊都郡高野町高野山(マップ)
営業: 8:30~16:30
交通: 高野山駅ほか、南海りんかんバス「金堂前」下車
公式サイト: http://www.koyasan.or.jp/
住所: 和歌山県伊都郡高野町高野山(マップ)
営業: 8:30~16:30
交通: 高野山駅ほか、南海りんかんバス「金堂前」下車
公式サイト: http://www.koyasan.or.jp/
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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