冠纓神社 [香川県]
2015/12/05
香川県高松市香南町にある冠纓神社(かんえいじんじゃ)です。
陰陽師の安倍晴明が神主をしていたという伝承があり、「安倍晴明讃岐出生説」に因む神社として知られています。
また、「かむろ八幡宮」とも呼ばれ、縁結びに御利益のある香川県のパワースポットとしても有名です。
なお、境内には多数の奇石なども安置されているため、非常に見どころの多い神社となっています。
神社概要
祭神
応神天皇・仲哀天皇・神功皇后 |
冠纓神社の祭神は以下の通りです。
主祭神
・応神天皇(八幡神):第15代天皇
合祀
・仲足彦命(仲哀天皇):第14代天皇
・息長足媛命(神功皇后):仲哀天皇の皇后
・応神天皇(八幡神):第15代天皇
合祀
・仲足彦命(仲哀天皇):第14代天皇
・息長足媛命(神功皇后):仲哀天皇の皇后
由緒
社伝によれば、貞観3年(861年)に讃岐巡礼中の円珍(智證大師)が井原庄に至った際、鳩峰大自在王菩薩が現れて井原庄を鎮護すると云ったため、円珍はこの地の里人の力を借りて宝蔵寺を建てたことに始まるとされます。
その後、延文2年(1357年)に細川頼之が厚く保護・尊崇し、京都石清水八幡宮の冠纓を奉納したことから「冠尾八幡宮」と呼ばれるようになり、後に「冠纓神社」となったとされています。
なお、詳しい由緒書の内容は以下の通りです。
冠纓神社由緒
本社は応神天皇を祀り、仲足彦命、息長足媛命(神功皇后)を合祀する。
社伝に云う貞観三年(861年)、智證大師(円珍)が国中を逃行し、香東郡井原荘月見原の松林にきたると、毎夜燈あり、大師がたずねてそこへ行くと老翁あり。
その老翁が云わんに「朕(ちん)は鳩峯大自在王なり、我まさにこの地に鎮座して井原の民をまもらん。師幸に力を借せ」と、これにおいて大師はそこの民に募り、祠をその地に立てて法楽を為すときに白氣一條東方より来たりて その祠に入る。よって、弟子の真蓮をして一宇を建て、その祠をまつらしむと。
延文二年(1357年)、細川右馬頭頼之公 井原郷岡の館にありて、最も本社を崇敬し、出陣する毎に奉幣し、報賽に神饌田を献じ、また建物を修営し、加えて頼之公の降誕日(旧4月3日)には特に祭りをし、騎射(流鏑馬)を献ず。また、石清水神廟(石清水八幡宮)の冠纓を乞いて本社に納め、これを以って親ら供奉するの至誠を示さる。故に冠纓の号あり。
天文八年(1539年)10月、細川晴元公が伊予の河野氏を伐った際、頼之公の例に倣って軍利あり、よって神殿を再興し、既にして金幣等を納める。
寛文年中(1661~1667年)、讃岐国守・松平頼常公が神饌田三石七斗四斤を由佐村の地において寄付し、千規に従って代々黒印地たりしも廃藩の時に廃る。
社格は明治初年より、郷社なりしが大正七年、県社に昇格なせり。
本社は応神天皇を祀り、仲足彦命、息長足媛命(神功皇后)を合祀する。
社伝に云う貞観三年(861年)、智證大師(円珍)が国中を逃行し、香東郡井原荘月見原の松林にきたると、毎夜燈あり、大師がたずねてそこへ行くと老翁あり。
その老翁が云わんに「朕(ちん)は鳩峯大自在王なり、我まさにこの地に鎮座して井原の民をまもらん。師幸に力を借せ」と、これにおいて大師はそこの民に募り、祠をその地に立てて法楽を為すときに白氣一條東方より来たりて その祠に入る。よって、弟子の真蓮をして一宇を建て、その祠をまつらしむと。
延文二年(1357年)、細川右馬頭頼之公 井原郷岡の館にありて、最も本社を崇敬し、出陣する毎に奉幣し、報賽に神饌田を献じ、また建物を修営し、加えて頼之公の降誕日(旧4月3日)には特に祭りをし、騎射(流鏑馬)を献ず。また、石清水神廟(石清水八幡宮)の冠纓を乞いて本社に納め、これを以って親ら供奉するの至誠を示さる。故に冠纓の号あり。
天文八年(1539年)10月、細川晴元公が伊予の河野氏を伐った際、頼之公の例に倣って軍利あり、よって神殿を再興し、既にして金幣等を納める。
寛文年中(1661~1667年)、讃岐国守・松平頼常公が神饌田三石七斗四斤を由佐村の地において寄付し、千規に従って代々黒印地たりしも廃藩の時に廃る。
社格は明治初年より、郷社なりしが大正七年、県社に昇格なせり。
安倍晴明について
安倍晴明 |
冠纓神社には、かつて安倍晴明が神主をしていたという伝承があり、境内社の安倍晴明神社にて祀られています。
また、当地は全国にいくつかある安倍晴明の生誕地の一つであり、大日本史料『讃岐国大日記』や『讃陽簪筆録』では讃岐国香東郡井原庄生まれ、『西讃府志』では香川郡由佐生まれとされ、神社付近には晴明公の住居跡、および墓所と云われている史跡があり、これが「安倍晴明讃岐出生説」における根拠とされています。
ちなみに、そのほかの安倍晴明の誕生地には「大阪説」「奈良説」「茨城説」があります。
安倍晴明について詳しくはこちらの記事を参照:【安倍晴明とは?】
境内の見どころ
鳥居
冠纓神社の参道には多数の鳥居があります。
神門
冠纓神社の神門です。
また、神門の中にも鳥居があります。
拝殿
冠纓神社の拝殿です。
参拝時には、唱え言葉(祓え給え、清め給え、守り給え、幸え給え)を唱えることとなっています。
本殿
冠纓神社の本殿です。
石像群
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冠纓神社の境内には、神馬や布袋などをはじめとする銅像や石像が安置されています。
化石
冠纓神社の境内には、三葉虫の化石が安置されています。
なお、付近にある香南歴史民俗郷土館にはアンモナイトの化石や、例祭で使用される大獅子舞も展示されているそうです。
石碑・石祠
冠纓神社の境内には、多数の石碑・石祠が祀られています。
境内社
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冠纓神社の境内には、多数の境内社があります。
・龍王神社:恋愛成就・良縁成就の社とされる(詳細不明)
・安倍晴明神社:安倍晴明を祀る
・農人形社:農民の労苦をねぎらうための農人形を祀るとされる
・賽の神(道祖神):猿田彦命(サルタヒコ)を祀る(古代の性器崇拝を伝えるものとされる)
・白鳥神社:日本武尊(ヤマトタケル)を祀る
・厳島神社:宗像三女神を祀っていると思われる(詳細不明)
・祖霊社
・忠魂社(招魂社)
・社名不詳の社
・地球新生神宮(地神宮):地神を祀る地神塔がある
・安倍晴明神社:安倍晴明を祀る
・農人形社:農民の労苦をねぎらうための農人形を祀るとされる
・賽の神(道祖神):猿田彦命(サルタヒコ)を祀る(古代の性器崇拝を伝えるものとされる)
・白鳥神社:日本武尊(ヤマトタケル)を祀る
・厳島神社:宗像三女神を祀っていると思われる(詳細不明)
・祖霊社
・忠魂社(招魂社)
・社名不詳の社
・地球新生神宮(地神宮):地神を祀る地神塔がある
境内社について詳しくはこちらの記事を参照:【冠纓神社の境内社】
境内のパワースポット
御力巡り
冠纓神社の拝殿の下には「御力巡り」という百幸千福を招くというミニアトラクションがあります。
なお、案内板による説明は以下の通りです。
御力巡り(みりょくめぐり)
21世紀は、本物か偽物かが問われる「御力(ミリョク)の時代」です。神様の御力をいただいて本物になりましょう。
御力をいただける御力巡りをどうぞ。あなたに百幸千福を招きます。
21世紀は、本物か偽物かが問われる「御力(ミリョク)の時代」です。神様の御力をいただいて本物になりましょう。
御力をいただける御力巡りをどうぞ。あなたに百幸千福を招きます。
水神の井戸
冠纓神社の水神の井戸です。
眼の神である水神を祀るとされ、眼病予防に霊験あらたかとされています。
清澄の鐘
冠纓神社の清澄の鐘(せいみょうのかね)です。
この鐘は、陰陽五行説において「水」そして「智」を表す方角である北に面して設置されているそうです。
そのため、鐘を鳴らすことで精神を穏やかにし、学力の向上に御利益があるとされています。
かむたま龍樟樹
冠纓神社の「かむたま龍樟樹」です。
古くから聖地「かむろの丘」に聳える霊木であり、拝めば立身出世や勝運に御利益があるとされています。
なお、案内板による説明は以下の通りです。
かむたま龍樟樹(クスノキ)
この聖なる丘、かむろの丘に壱にして巨なる樟樹あり。
そのはじめ、神気・塊りて壱となり、三股に分かれ、うねりつつ、くねりつつ立ち昇れる樹姿は、ときに将に昇天する龍の如し。因みて、龍樟樹と称す。
昔よりこれを拝する者、皆悉く立身出世し、勝利し、運を開くという。よって、人皆これを御神木と称し、謹みて敬いて尊ぶ。
この聖なる丘、かむろの丘に壱にして巨なる樟樹あり。
そのはじめ、神気・塊りて壱となり、三股に分かれ、うねりつつ、くねりつつ立ち昇れる樹姿は、ときに将に昇天する龍の如し。因みて、龍樟樹と称す。
昔よりこれを拝する者、皆悉く立身出世し、勝利し、運を開くという。よって、人皆これを御神木と称し、謹みて敬いて尊ぶ。
願い石(叶い石)
冠纓神社の願い石です。
古来より、石を撫でながら願掛けすると必ず願いが叶うとされています(だたし、願事は一つ)。
なお、石の表面には「サ五メ」と刻まれています(詳しい意味は不明)。
男石・女石
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冠纓神社の男石・女石です。
この2つの石を8の字を描くように歩くと恋愛成就の御利益が得られるとされています。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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