人文研究見聞録:筑土八幡神社 [東京都]

東京都新宿区筑土八幡町にある筑土八幡神社(つくどはちまんじんじゃ)です。

平安初期に八幡神を祀った古社であり、江戸時代までは筑土八幡宮と呼ばれていたそうです。

なお、江戸初期には平将門公の首を祀った津久戸明神社(現・築土神社)が隣にあったとされています。


由緒

社伝によれば、嵯峨天皇の時代(809~823年)、付近に住む八幡神を篤く信仰していた翁が夢で神託を得て、八幡神を拝もうと井戸に向かったところ、雲の中から現れた白鳩が近くの松の木にとまったため、その松を依代として祀ったことに始まるとされています。

その後(850年頃)、円仁(慈覚大師)が東国に訪れたときに当地に祠を建て、さらに最澄(伝教大師)が当地に訪れて、神像を刻んでその祠に祀ったとされ、その際、筑紫の宇佐の宮土を以って礎としたことから「筑土八幡神社」と名付けたとされます。

そして、文明年間(1469~1486年)に江戸の開拓に当たった上杉朝興が社殿を建立し、この地の産土神・江戸鎮護の神として崇敬したとされています。また、上杉朝興の屋敷付近にあったという説もあるそうです。

ちなみに、元和2年(1616年)に当時 江戸城田安門付近にあった「田安明神(現・築土神社)」が筑土八幡神社の隣に移転し、「津久戸明神社」となったとされています。しかし、戦災に遭って全焼したため、現在は「築土神社」として千代田区九段に移転しています。

なお、由緒書には創祀の由来が詳しく書かれているため、それを下記に転載しておきます。

筑土八幡神社由来

昔、嵯峨天皇の御代に武蔵国豊嶋郡牛込の里に大変熱心に八幡神を信仰する翁がいた。

ある時、翁の夢の中に神霊が現れて「我、汝が信心に感じ、この里に跡をたれん」と言われたので、翁は不思議に思って、目を覚ますとすぐに身を清めて拝もうと井戸の傍に行ったところ、傍らの一本の松の樹の上に細長い旗のような美しい雲がたなびいて、雲の中から白鳩が現れて松の梢にとまった。

翁はこのことを里人に語り、神霊の現れたもうことを知り、すぐに注連縄を結い回して その松を祀った。

その後、伝教大師がこの地を訪れた時、この由を聞いて神像を刻み、祠に祀った。その時に筑紫の宇佐の宮土をもとめて礎としたので「築土八幡神社」と名付けた。

さらにその後、文明年間(1469~1486年)に江戸の開拓に当たった上杉朝興が社殿を建立して、この地の産土神とし、また江戸鎮護の神と仰いだ。

祭神

筑土八幡神社の祭神は以下の通りです。

主祭神

・応神天皇(おうじんてんのう):第15代天皇であり、八幡神とされる
神功皇后(じんぐうこうごう)第14代仲哀天皇の皇后であり、八幡三神に含まれる
・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう):第14代天皇(応神天皇の父であり、ヤマトタケルの第二子に当たる)

宮比神社

人文研究見聞録:筑土八幡神社 [東京都]

筑土八幡神社の宮比神社(みやびじんじゃ)です。

祭神は宮比神であり、大宮売命(オオミヤノメ)とも天細女命(アメノウズメ)とも云われています。

古くから下宮比町一番地の旗本屋敷にあったものを明治40年に遷座したとされています。

石造鳥居

人文研究見聞録:筑土八幡神社 [東京都]

筑土八幡神社の鳥居です。

江戸中期の享保11年(1726年)に黒田直邦によって奉納されたものであり、新宿区内最古の鳥居とされています。

舟型庚申塔

人文研究見聞録:筑土八幡神社 [東京都]

筑土八幡神社の庚申塔(こうしんとう)です。

寛文4年(1664)に奉納された庚申信仰に基づく石塔であり、日・月・桃・猿(雌雄)が刻まれています。

雌雄の猿の両方が桃の枝を持っている点が非常に珍しいとされているそうです。

料金: 無料
住所: 東京都新宿区筑土八幡町2-1
営業: 終日開放
交通: 飯田橋駅(徒歩8分)

関連サイト: http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/18_shinjuku/18026.html
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。