人文研究見聞録:神田明神(神田神社)の境内社 [東京都]

東京都の神田明神には由緒ある境内社が多数あるため、こちらのページでまとめて紹介したいと思います。

なお、社日参りの日に境内末社の7つの石鳥居をくぐって参拝すると、中風・ボケ防止の御利益があるとされています。

神田神社についてはこちらの記事を参照:【神田明神(神田神社)】


境内社一覧

祖霊社

人文研究見聞録:神田明神(神田神社)の境内社 [東京都]

神田明神の境内社・祖霊社(それいしゃ)です。

平成16年(2004年)の創建とされ、神田明神の氏子・崇敬者の先祖を祀っています。

合祀社

人文研究見聞録:神田明神(神田神社)の境内社 [東京都]

神田明神の合祀殿(ごうしでん)です。

平成24年(2012年)に旧・籠祖神社の社地に建立され、以下の神社を合祀しているとされています。

籠祖神社(かごそじんじゃ)

・祭神:猿田彦神(サルタヒコ)、塩土老翁神(シオツチオジ)
・神徳:導きの神、海上安全の神、籠造り職人の始祖神

寛政7年(1795年)に亀井町(日本橋小伝馬町周辺)の籠職人たちによって創建された神社であり、日本神話で塩土老翁神が山幸彦に竹籠の船を与えたということから、祭神として祀られたと推測されている。

八幡神社(はちまんじんじゃ)

・祭神:誉田別命(応神天皇)
・神徳:必勝祈願・心願成就の神

江戸幕府が崇敬した境内の旧社であり、速雀町(神田須田町・淡路町周辺)の町人によって創建された。

富士神社(ふじじんじゃ)

・祭神:木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメ)
・神徳:安全・子育守護・火難消除の神

文化12年(1815年)に神田塗師町(鍛冶町周辺)の町人によって創建された(富士信仰に基づく神社と思われる)。

天神社(てんじんじゃ)

・祭神:菅原道真命(すがわらのみちざね)、柿本人麻呂命(かきのもとひとまろ)
・神徳:詩歌・文筆・学問の神

創祀は不明だが、菅原道真公は学問の神として崇敬されており、享保年間(1716~1735年)に「江戸砂子」の著者・菊岡沾涼によって柿本人麻呂公の神像が祀られたとされる。このたび、詩歌に秀でた両祭神を合祀し、天神社として勧請した。

大鳥神社(おおとりじんじゃ)

・祭神:日本武尊(ヤマトタケル)
・神徳:開運招福・国土安穏・文武の神

文政年間(1818~1830年)に社殿が建立され、柿本人麻呂公の神像と共に合祀勧請されたと伝わる。

天祖神社(てんそじんじゃ)

・祭神:天照大御神(アマテラス)
・神徳:日本の総氏神・皇祖の神

古来より神社境内に祀られており、湯島横町の町人より崇敬されていた。

諏訪神社

・祭神:建御名方神(タケミナカタ)
・神徳:五穀豊穣・交通安全・開運長寿の神

古来よりこの地に祀られていたが、享和2年(1802年)に日本橋本町三峰講中により社殿が造営されて祀られた。

末廣稲荷神社

人文研究見聞録:神田明神(神田神社)の境内社 [東京都]

神田明神の境内社・末廣稲荷神社(すえひろいなりじんじゃ)です。

祭神に宇迦之御魂神(ウカノミタマ)を祀っており、創建年代は不詳とされるものの、元和2年(1616年)の頃には既に祀られていた極めて古い神社とされています。古来より庶民の信仰が篤く、霊験あらたかな「出世稲荷」として尊崇を集めているそうです。

なお、社殿は昭和41年(1966年)に再建されたものとされています。

三宿稲荷神社・金刀比羅神社

人文研究見聞録:神田明神(神田神社)の境内社 [東京都]

神田明神の境内社である三宿稲荷神社・金刀比羅神社です。

一つの社殿に上記の2社を併せて祀っています。なお、それぞれの詳細は以下の通りです。

三宿稲荷神社(みしゅくいなりじんじゃ)

・祭神:宇迦之御魂神(ウカノミタマ)

創建年代は不詳とされるが、江戸時代より神田三河町二丁目の守護神として奉斎されていた。その後、当社十二代神主・芝崎美作守の邸内に祀られていた内山稲荷と合祀され、当社の末社として奉斎された。

金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)

・祭神:大物主命(オオモノヌシ)、金山彦命(カナヤマヒコ)、天御中主命(アメノミナカヌシ)

天明三年(1783年)に、武蔵国豊島郡薬研堀(現・東日本橋二丁目旧両国町会)に創建された。江戸時代には、神祇伯・白川家の配下となり、祭祀が斎行されていたが、明治6年(1873年)7月に村社に定められた。

往古は、隅田川往来の船人達の守護神として崇敬され、その後、町の発展と共に商家、特に飲食業、遊芸を職とする人々の篤い信仰を集めている。昭和41年10月7日、宗教法人を解散して氏神のこの地に社殿を建立し、三宿稲荷大神と共に鎮座した。

浦安稲荷神社

人文研究見聞録:神田明神(神田神社)の境内社 [東京都]

神田明神の境内社・浦安稲荷神社(うらやすいなりじんじゃ)です。

祭神に宇迦之御魂神(ウカノミタマ)を祀っており、古くは江戸平川の河口に近い一漁村の住民によって祀られたことに始まるとされます。

そして、天正年間(1573~1592年)に徳川家康が江戸城に入ると城下町の整備が行われ、鎌倉町の成立に伴って その守護神として勧請されたそうです。また、寛政9年(1797年)には崇敬者である大工職・平蔵によって社殿が造営され、それ以来 浦安稲荷神社となったと伝わっているとされます。

その後、天保14年(1843年)8月の町割改めの際に神田明神の境内に遷座し、さらに明治維新などの戦火の影響で復興できなかった内神田稲荷社五社を合祀して現在に至るとされています。

江戸神社

人文研究見聞録:神田明神(神田神社)の境内社 [東京都]

神田明神の境内社・江戸神社です。

三天王の一の宮であり、祭神に建速須佐之男命(タケハヤスサノオ)を祀っています。

大宝2年(702年)に武蔵国豊島郡江戸の地(現・皇居)に創建された大江戸最古の地主神とされています。なお、古くは「江戸大明神」あるいは「江戸の天王」と称されたそうです。

鎌倉時代には江戸氏の氏神として崇敬され、その後、引き続き上杉氏・北条氏によって城地に祀ったとされますが、慶長8年(1603年)の江戸城の拡張により、神田神社と共に神田台に遷り、さらに元和2年(1616年)に当地に遷座したとされます。

江戸時代中期以後は「牛頭天王」と称され、明治元年(1868年)に「須賀神社」と改称し、さらに明治18年(1885年)に「江戸神社」と腹称されたそうです。

大伝馬町八雲神社

人文研究見聞録:神田明神(神田神社)の境内社 [東京都]

神田明神の境内社・大伝馬町八雲神社です。

三天王の二の宮であり、祭神に建速須佐之男命(タケハヤスサノオ)を祀っています。

この神社は江戸時代以前には既に祀られていたと伝えられており、三天王の二の宮の天王祭は6月5日に神田明神境内を発興し、氏子中を神幸して大伝馬町の御仮屋へ渡御して8日に還興していたとされています。このことから、当時は「大伝馬町天王」と称されていたそうです。

小舟町八雲神社

人文研究見聞録:神田明神(神田神社)の境内社 [東京都]

神田明神の境内社・小舟町八雲神社です。

三天王の三の宮であり、祭神に建速須佐之男命(タケハヤスサノオ)を祀っています。

この神社は江戸城内吹上御苑から神田神社と共に当地に遷座され、小舟町のお仮屋を有して神輿が渡興されたことから「小舟町の天王」と称されたとされています。

『東都歳時記』によれば、当時の天王祭は「一丁目にお仮屋ができ、大提灯・大注連縄が張られ、二丁目には七、八間の絹張りの神門が造られ、その左右に随神が置かれ、長さ五丈の杉の木を植え込み、鰹節の樽積みが高々と重ねられ、三丁目には須佐之男命と稲田姫の造り物、八岐大蛇の行灯、天王祭の大幟を立て、神輿の神幸を待った」と記されているそうです。

また、神輿は6月10日に神田明神境内を発興して氏子180か町を巡り、還興するのは13日か14日とされ、その間の里程は13里に及んだと云われており、そのことから「十三里天王」とも呼ばれていたとされています。

日本橋魚河岸水神社

人文研究見聞録:神田明神(神田神社)の境内社 [東京都]

神田明神の境内社・日本橋魚河岸水神社です。

祭神に水神である弥都波能売命(ミヅハノメ)を祀っており、徳川家の武運長久と併せて大漁安全を祈願するため、魚河岸の先人によって武蔵国豊島郡芝崎村神田神社境内(現・千代田区大手町)に創建されたと云われています。

そして、元和年間(1615~1624年)に神田神社と共に当地に遷って「大市場交易神」と称され、その後「水神社」と改称し、更に明治24年(1891年)に「魚河岸水神社」と社名を変更し、日本橋魚市場の守護神として崇敬されたそうです。

なお、日本橋より築地に移った築地中央御売市場内には、魚河岸水神社の遥拝所が建てられおり、市場に関わる人々の篤い信仰を集めているとされています。

料金: 無料
住所: 東京都千代田区外神田2-16-2
営業: 終日開放(祈祷受付9:00~16:00、御守授与9:00~16:30)、無休
交通: 御茶ノ水駅(聖橋口徒歩5分)、秋葉原駅(電気街口徒歩7分)など

公式サイト: http://www.kandamyoujin.or.jp/
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。