尾上御陵(倭姫命御陵) [三重県]
2016/01/26
三重県伊勢市倭町にある尾上御陵(おべごりょう)です。
倭姫命の陵墓とする伝承のある古墳とされており、倭姫宮付近にある金刀比羅神社の参道に位置しています。
なお、町名である倭町も この伝承に因んでいるとされ、倭姫宮も陵墓付近の倉田山を削って創建されたそうです。
現在は宇治山田陵墓参考地(倭姫命御陵墓参考地)に指定されているため、宮内庁に管理されています。
古墳の概要
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尾上御陵には、円墳もしくは前方後円墳とする説があるとされますが、情報が少なく、具体的には分かっていないようです。
また、陵墓には鳥居も建てられておらず、垣と格子が設けられているのみとなっています。
尾上御陵は三重県伊勢市倭町の金刀比羅神社の参道にあり、その坂道には「倭姫命御陵」の標石が建てられています。
倭姫命とは?
倭姫命(やまとひめのみこと)とは第11代垂仁天皇の第4皇女であり、天照大神の御杖代(みつえしろ、杖代わりとなって奉仕する者)として諸国を巡り、神託によって伊勢の地に天照大神を祀る皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建したとされます。
なお、最初に天照大神の御杖代となったのは第10代崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)であり、垂仁天皇の時代に倭姫命に引き継がれたとされています。
皇大神宮の創建後、倭姫命は皇大神宮で天照大神を祀る最初の皇女となり、後に これが制度化されて斎王(いつきのみこ)となったことから、倭姫命は斎王の起源であるとも云われています。
また、後世に伊勢神宮外宮の神職であった度会氏が神道五部書(伊勢神道の根本教典)の一つとして『倭姫命世記』を編纂しており、それに天照大神の巡歴が詳しくまとめられています。
ちなみに、第12代景行天皇の皇子であるヤマトタケルは倭姫命の甥に当たり、『記紀』では東征の折に伊勢神宮に参拝に寄ったヤマトタケルに草薙剣を授けたとされています。
そして、現在では皇大神宮別宮である倭姫宮で祀られています。
「倭姫命世紀」の内容についてはこちらの記事を参照:【伊勢にまつわる伝説・伝承】
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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