人文研究見聞録:倭姫宮(皇大神宮 別宮) [三重県]

三重県伊勢市楠部町にある倭姫宮(やまとひめのみや)です。

皇大神宮(内宮)を創建した倭姫命(ヤマトヒメ)を祀る神社であり、皇大神宮別宮となっています。

また、周辺には様々な施設があり、付近には倭姫命の陵墓参考地である尾上御陵もあります。


神社概要

由緒

パンフレットによれば、皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建した倭姫命は、大きな功績を残したことから、伊勢の人々の崇敬を集めて篤く信仰されていたとされますが、長らく倭姫命を祀る神社は無かったとされます。

そこで、大正元年(1912年)より、倭姫命を祀る神社の創立を請願する声が高まり、大正10年(1921年)に皇大神宮の別宮として創立の許可が下りたことから、大正10年(1923年)11月5日に御鎮座祭が執り行われて倭姫宮の創建に至ったとされています。

なお、1945年(昭和20年)の宇治山田空襲では、付近で焼夷弾による火災が発生し、宿衛屋が焼失したものの、本殿は無事だったそうです。

祭神

倭姫宮の祭神は以下の通りです。

・倭姫命(ヤマトヒメ):天照大神の御杖代として諸国を巡幸した後、伊勢の地に皇大神宮を創建した(下記参照)

倭姫命とは?

人文研究見聞録:倭姫宮(皇大神宮 別宮) [三重県]

倭姫命(やまとひめのみこと)とは第11代垂仁天皇の第4皇女であり、天照大神の御杖代(みつえしろ、杖代わりとなって奉仕する者)として諸国を巡り、神託によって伊勢の地に天照大神を祀る皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建したとされます。

なお、最初に天照大神の御杖代となったのは第10代崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)であり、垂仁天皇の時代に倭姫命に引き継がれたとされています。

皇大神宮の創建後、倭姫命は皇大神宮で天照大神を祀る最初の皇女となり、後に これが制度化されて斎王(いつきのみこ)となったことから、倭姫命は斎王の起源であるとも云われています。

また、後世に伊勢神宮外宮の神職であった度会氏が神道五部書(伊勢神道の根本教典)の一つとして『倭姫命世記』を編纂しており、それに天照大神の巡歴が詳しくまとめられています。

ちなみに、第12代景行天皇の皇子であるヤマトタケル倭姫命の甥に当たり、『記紀』では東征の折に伊勢神宮に参拝に寄ったヤマトタケルに草薙剣を授けたとされています。

「倭姫命世紀」の内容についてはこちらの記事を参照:【伊勢にまつわる伝説・伝承】

境内の見どころ

参道

人文研究見聞録:倭姫宮(皇大神宮 別宮) [三重県]

倭姫宮の参道です。

周辺は整備され、非常に長い参道になっています(周辺には多様な施設がある)。

鳥居

人文研究見聞録:倭姫宮(皇大神宮 別宮) [三重県]

倭姫宮の鳥居です。

手水舎

人文研究見聞録:倭姫宮(皇大神宮 別宮) [三重県]

倭姫宮の手水舎です。

祓所

人文研究見聞録:倭姫宮(皇大神宮 別宮) [三重県]

倭姫宮の祓所です。

社殿

人文研究見聞録:倭姫宮(皇大神宮 別宮) [三重県]

倭姫宮の社殿です。

近年の式年遷宮によって建て替えられているため、新しいものとなっています

古殿地

人文研究見聞録:倭姫宮(皇大神宮 別宮) [三重県]

倭姫宮の古殿地です(以前、社殿が建っていた場所)。

伊勢神宮の大鳥居

人文研究見聞録:倭姫宮(皇大神宮 別宮) [三重県]

倭姫宮の周辺には、伊勢神宮の大鳥居が建てられています。

石燈籠

人文研究見聞録:倭姫宮(皇大神宮 別宮) [三重県]

倭姫宮の周辺には、伊勢特有の石燈籠が建てられています。

料金: 無料
住所: 三重県伊勢市楠部町5
営業: 5:00~18:00(夏季19:00、冬季17:00)
交通: 宇治山田駅(徒歩18分)、五十鈴川駅(徒歩29分)、外宮内宮循環バス「徴古館前」下車(徒歩3分)

公式サイト: http://www.yamatohime.jp/index.html
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。