『日本書紀』による日本神話(まとめ)
2016/05/06
『日本書紀』とは日本国の正史とされる書物であり、その内容は「日本神話」と呼ばれる神代の歴史から記されています。
当サイトでは「日本神話の研究」をテーマの一つに挙げているため、此処に『日本書紀』に含まれる「日本神話」の内容を現代語訳にし、簡単にまとめて紹介しておきたいと思います(天皇の時代は省略します)。
【目 次】
前書
目的・留意点
はじめに、この記事に関する目的と留意点をまとめておきます。
・この記事は、『日本書紀』に記される「日本神話」の内容の理解を目的としています
・原文を現代語で理解できるようにするために、原文を現代語に訳して箇条書きで表記しています
・他書との比較のため、神名はカタカナで表記しており、また「~のみこと」「~のかみ」などの尊称を省略しています
・原文に沿った翻訳を心がけていますが、他の訳文と異なる場合があります(現代語訳の一つと思ってください)
・()で囲んだ神名は、その神の別名とされるものです(複数ある場合は「、」で区切っています)
・()で囲んだ文章は原文には無いものですが、内容を理解しやすいように敢えて書き加えています
・『日本書紀』には本文と異伝がありますが、説話に一貫性を出すために本文を中心にまとめています
・サブタイトルについては独自に名付けたものであり、原文にはありません
・原文を現代語で理解できるようにするために、原文を現代語に訳して箇条書きで表記しています
・他書との比較のため、神名はカタカナで表記しており、また「~のみこと」「~のかみ」などの尊称を省略しています
・原文に沿った翻訳を心がけていますが、他の訳文と異なる場合があります(現代語訳の一つと思ってください)
・()で囲んだ神名は、その神の別名とされるものです(複数ある場合は「、」で区切っています)
・()で囲んだ文章は原文には無いものですが、内容を理解しやすいように敢えて書き加えています
・『日本書紀』には本文と異伝がありますが、説話に一貫性を出すために本文を中心にまとめています
・サブタイトルについては独自に名付けたものであり、原文にはありません
史書の概要
『日本書紀』の概要について、簡単にまとめておきます。
・書名:日本書紀(にほんしょき)、日本紀という説もある(『続日本紀』より)
・編者:舎人親王(とねりしんのう)、通説では藤原不比等(ふじわらのふひと)
・成立:720年(奈良時代)
・発端:不明だが、『続日本紀』に舎人親王の撰と記されるという
・背景:通説では当時の実権を握っていた藤原不比等が、歴史を掌握しようとして編纂したと云われる
・発見:成立以後より正史として扱われきたとされる
・特徴:漢文で記されるため、日本国の正史として国外向けに編纂された史書とされる
・編者:舎人親王(とねりしんのう)、通説では藤原不比等(ふじわらのふひと)
・成立:720年(奈良時代)
・発端:不明だが、『続日本紀』に舎人親王の撰と記されるという
・背景:通説では当時の実権を握っていた藤原不比等が、歴史を掌握しようとして編纂したと云われる
・発見:成立以後より正史として扱われきたとされる
・特徴:漢文で記されるため、日本国の正史として国外向けに編纂された史書とされる
第一段
天地開闢と神々
本文
・昔、天地が分かれておらず、陰と陽も分かれておらず、混沌としていて鶏の卵のようであった
・そこに ほんの少し兆しが現れて、清んで明るいものは薄く広がって天となった
・また、重く濁った者は地となった
・天となるものは動きやすく、地となるものは固まり難かったのである
・故に天が先に生じ、次に地が固まった
・その後、その中に神が生まれた
・世界が生まれた時には国は漂っており、それは魚が水に浮かんでいるようであった
・すると、天地の中に葦(アシ)の芽に似ている一つのものが生まれた
・それをクニノトコタチ(国常立尊)という
・なお、尊いものを「尊(みこと)」と書き、その他は「命(みこと)」と書く
・次にクニサツチが生まれた
・次にトヨクモノが生まれた
・これらの三柱の神は、妻の無い"独りの男神"であった
異伝
・一書(一):クニノトコタチ、クニサツチ、トヨクモノまでの流れは同じだが、表現や神名が異なっている
・一書(二):クニノトコタチの前にウマシアシカビヒコヂが誕生したとされ、ハコクニについても記される
・一書(三):初めて誕生した神人をウマシアシカビヒコヂと言い、次にクニノソコタチが生まれたとされる
・一書(四):天地開闢の神と高天原の神は別で、高天原に現れた神がアメノミナカヌシ、タカミムスビ、カミムスビとされる
・一書(五):天地開闢の後、葦の芽が泥の中から生えるように現れ、人の形となったものがクニノトコタチだとされる
・一書(六):アメノトコタチ、ウマシアシカビヒコヂ、クニノトコタチの順で生まれたとされる
第二段
男女の神々
本文
・(独り神の後に、男女の神が生まれた)
・次に生まれた神は、ウジヒニ(ウヒジネ)・スヒジニ(スヒジネ)がという
・次に生まれた神は、オオトノジ(オオトノベ・オオトマヒコ・オオトミヂ)・オオトマベ(オオトマヒメ・オオトミベ)という
・次に生まれた神は、オモタル・カシコネ(アヤカシコネ・イミカシキ・アオカシキネ・アヤカシキネ)が生まれた
・次に、イザナギ・イザナミが生まれた
異伝
・一書(一):イザナギとイザナミはアオカシキネの子であると記される
・一書(二):クニノトコタチ → アメカガミ → アメノヨロズ → アワナギ → イザナギの順で生まれたとする
第三段
神世七代
本文
・これら八柱の神(ウジヒニからイザナミまで)は、天の道と地の道が交わって生まれたので男女となっている
・なお、クニノトコタチからイザナギ・イザナミまでを神世七代(かみのよななよ)という
異伝
・一書(一):ウジヒニ・スジヒニ → ツノクイ・イククイ → オモタル・カシコネ → イザナギ・イザナミの順で生まれたとする
第四段
国産み
本文
・イザナギとイザナミはアメノウキハシの上に立って話し合い、「この下に国が有るはずだが、見つからない」と言った
・そこで、珠の飾りの付いたアメノヌボコを挿し込んで、下の方を探ってみると海が生まれた
・また、その矛から滴り落ちた塩が固まって島となった
・その島を"オノコロ島"という
・イザナギとイザナミはオノコロ島に降り立ち、夫婦となって国を生もうと考えた
・そこで、オノコロ島をクニナカノミハシラ(天地の中心軸)とし、イザナギは島の左から、イザナミは島の右から廻った
・そして、互いに島を廻って出会ったとき、まずイザナミが このように言った
・「あな にえや うましおとこ に あいつ(まあ、素晴らしい、素敵な男性と出会ってしまいました)」
・すると、イザナギが面白くないという顔をして このように言った
・「私が男であるが故、これは私が先に言うべきであり、女が先に言うべきではない」
・「これは良くないことであるため、もう一度やり直そう」
・そこで、イザナギとイザナミは引き返して出会い直し、今度はイザナギから先に言った
・「あな にえや うましおとめ に あいつ(おお、素晴らしい、素敵な女性と出会ってしまった)」
・次にイザナギはイザナミに「お前の身体はどうなっている」と尋ねた
・すると、イザナミは「私の身体には"女の元(はじめ)の処"があります」と答えた
・対して、イザナギは「私の身体には"男の元(はじめ)の処"がある」と言った
・そして、イザナギが「私とお前の"元(はじめ)の処"を合せよう」と提案した
・これにより、互いの陰陽が合わさって夫婦となった
・(この後、二神は国の島々を生みだした)
・まず、胞衣として淡路島が生まれた
・しかし、胞衣は不快なものだったのでアワジ(吾が恥)と名付けた
・次に、オオヤマトトヨアキツシマ(本州)が生まれた
・次に、イヨノフタナシマ(四国)が生まれた
・次に、ツクシシマ(九州)が生まれた
・次に、オキノシマとサドノシマが双子で生まれた
・これにより、人間も双子を生むようになった
・次に、コシノシマ(越州)が生まれた
・次に、オオシマ(大州)が生まれた
・次に、キビコジマ(吉備子州)が生まれた
・以上の八つの島が生まれたので、オオヤシマグニ(大八州国)と呼ばれるようになった
・なお、ツシマやイキノシマ、その他 諸々の島は、潮の泡が固まったり、水の泡が固まって出来たものである
異伝
・一書(一):『古事記』に類似する説話が記され、ヒルコ → アワシマ → 国の島々の順で産んだとする
・一書(二):二神は国を求め、天からアメノヌボコを垂らして探るとオノコロ島を見つけたとする
・一書(三):二神は高天原から国を見つけ、アメノヌボコで掻き回すとオノコロ島が出来たとする
・一書(四):二神は"油のようなものが浮いている"のを見つけ、アメノヌボコで掻き回すとオノコロ島が出来たとする
・一書(五):二神は交わる方法を知らなかったが、二羽のセキレイが体を揺すり合う姿を見て知ることが出来たとする
・一書(六):本文とは異なる国産みの順序が記される
・一書(七):本文とは異なる国産みの順序が記される
・一書(八):本文とは異なる国産みの順序が記される
・一書(九):本文とは異なる国産みの順序が記される
第五段
神産み
本文
・(イザナギとイザナミは、国の島々を生んだ後に自然を生みだした)
・まず、海を生んだ
・次に、山を生んだ
・次に、木の祖であるククノチを生んだ
・次に、草の祖であるカヤノヒメ(ノヅチ)を生んだ
・イザナギとイザナミは話し合って このように言った
・「私たちは大八州国や、山・川・草木を生みだした」
・「しかし、どうして天下を治める者が生まれないのだろうか」
・そして、イザナギとイザナミは日の神を生むことにした
・そこで生まれた神を、オオヒルメノムチ(アマテラスオオミカミ・アマテラスオオヒルメ)という
・この子は身体が光り輝いて、天地を照らした
・これを見たイザナギとイザナミは喜んで このように言った
・「今まで多くの子を作ってきたが、これほど霊威の強い子は居なかった」
・「故に、この国に長く置いておくわけにはいかない」
・そこで、イザナギとイザナミはオオヒルメを天に上げて、天上のことを教え込むことにした
・なお、このときはまだ天と地が遠く離れておらず、近かった
・故に、オノコロ島に立てたクニナカノミハシラから、オオヒルメを天に上げたのである
・次に、月の神(ツクユミ・ツキヨミ)が生まれた
・月の神は日の神の次に明るかったため、イザナギとイザナミは 日に副えて天を治めることができる と考えた
・故に、日の神であるオオヒルメと同じように、天に上げて教育した
・次に、ヒルコが生まれた
・ヒルコは三歳になっても足が立たなかった
・そこで、アメノイワクスフネに乗せて風のままに流して捨ててしまった
・次に、スサノオが生まれた
・スサノオは勇敢であったが、我慢することができずに常に泣き喚いていた
・そのため、国の人々は死に、青々とした山も枯れてしまった
・よって、イザナギとイザナミはスサノオに このように言って追放してしまった
・「お前は道に外れた子であるため、宇宙に君臨することは出来ないだろう」
・「遠いネノクニ(根の国)に行ってしまえ」
異伝
・一書(一):イザナギが天下を治める子を生むために白銅の鏡を持ち、オオヒルメ・ツクユミ・スサノオを生んだとする
・一書(二):二神は、オオヒルメ → ツキヨミ → ヒルコ → スサノオ → カグツチの順で産み、最後にイザナミが焼け死ぬ
・一書(三):イザナミはホムスビを生んだ際に焼け死に、死後にミズハノメ、ハニヤマヒメ、アマノヨサヅラが生まれる
・一書(四):イザナミはカグツチを生んだ際に焼け死に、カナヤマヒコ、ミズノハノメ、ハニヤマヒメを生む
・一書(五):イザナミは火神を生んだ際に焼け死に、その遺骸は紀伊国の熊野の有馬村に葬られたとする
・一書(六):『古事記』に類似する「神産み」「黄泉国」の説話が記されるが、生まれる神や登場する神が異なる
・一書(七):イザナギがカグツチを三段に斬った際、雷神、オオヤマヅミ、タカオカミが生まれるとする説話などが記される
・一書(八):イザナギがカグツチを五段に斬った際、それぞれが山の神になったことなどが記される
・一書(九):いわゆる「黄泉国」の説話の一つが記される
・一書(十):いわゆる「黄泉国」の説話の一つが記される
・一書(十一):イザナギが三貴子に役割を与えた、ツキヨミがウケモチを斬り殺した説話などが記される
第六段
アマテラスとスサノオの誓約
本文
・スサノオはイザナギに対して このように言った
・「私は今から父に言われた通りに根の国に行こうと思います」
・「その前に高天原に向かい、"姉"に会おうと思います」
・「その後に永遠に根の国に退きましょう」
・すると、イザナギは この申し出を許した
・よって、スサノオは天に向かった
・その後、イザナギは神としての仕事を終えると、熱病に掛かって死にそうになった
・そこで、淡路島にカクレノミヤ(幽宮)を造って、そこに静かな眠りに就いた
・別伝では、イザナギが神の仕事を終えた後、天に昇って報告をしてヒノワカミヤに留まったという
・スサノオが天に昇っていた時のこと
・海は轟いて揺れ動き、山は鳴り響いていた
・これはスサノオという神の素質が粗暴であったためである
・アマテラスは弟のスサノオが粗暴であることを知っていたが、天に昇ってくる時の様子を聞いて驚き、このように言った
・「間もなく弟のスサノオが来るというが、清い心で天に昇って来るはずが無い」
・「きっと、私の国を奪おうとしているに違いない」
・「父母は子らの各々に治めるべき場所を与えたというのに、どうして自分の国を捨てて高天原を奪おうとするのか」
・すると、アマテラスは髪を解いて男のようなミズラを結った
・また、腰に纏った裳を男の穿くハカマのようにした
・また、ヤサカニノイホツミスマル(500個の勾玉を紐で連ねたもの)を頭や腕に巻き付けた
・また、背中には千本の矢が入る靫と五百本の矢が入る靫を背負った
・また、肩から肘や手首を守るイズノタカトモを身に付けた
・また、弓のウワハズを振り起こし、太刀の柄を握り締めた
・そして、堅い大地を腿(もも)が沈むほど踏みしめると、その土を沫雪のように蹴散らした
・アマテラスは このような様子で雄叫びを上げながら、スサノオを責めて問い詰めた
・すると、スサノオは このように言った
・「私はそもそも悪い心を抱いておりません」
・「ただ、父母より厳しい命令を受けて、これから永久に根の国に行こうと思っています」
・「ですが、姉と会わずして国を去ることができましょうか」
・「そのため、こうして雲や霧を掻き分けて、遠い高天原まで遥々やって来たのです」
・「故に、姉が このように厳しい顔をしているとは思いもよりませんでした」
・スサノオが答えると、アマテラスは このように問い返した
・「お前は そのように申すが、赤心(清い心)を持っているということを どうやって証明するのだ」
・すると、スサノオは このように言った
・「では、私は姉と共に誓約(うけい)をしましょう」
・「誓約の中で子を生んで、私が生んだ子が女であるならば、悪い心であると思ってください」
・「ですが、もし私が生んだ子が男であるならば、清い心であると認めてください」
・(アマテラスは、スサノオの提案を受け入れて誓約をすることになった)
・まずは、アマテラスがスサノオの持っていたトツカノツルギ(十拳剣)を受け取った
・そして、それを三段に折り、アメノマナイの水で濯いで清め、噛み砕いて狭霧のように噴き出した
・すると、三柱の女神が生まれた
・まず、タゴリヒメが生まれた
・次に、タギツヒメが生まれた
・次に、イチキシマヒメが生まれた
・次に、スサノオがアマテラスの身に付けていたヤサカニノイホツミスマルを受け取った
・そして、それをアメノマナイの水で濯ぎ、噛み砕いて狭霧のように噴き出した
・すると、五柱の男神が生まれた
・まず、マサカアカツチハヤヒ アメノオシホミミ(オシホミミ)が生まれた
・次に、アメノホヒが生まれた(出雲臣や土師連の祖である)
・次に、アマツヒコネが生まれた(凡川内直や山代直の祖である)
・次に、イクツヒコネが生まれた
・次に、クマノクスビが生まれた
・この男神が生まれたとき、アマテラスは このように言った
・「その神の元となったのはヤサカニノイホツミスマルであり、それは私の持ち物である」
・「よって、その五柱の男神は私の子としよう」
・これにより、五柱の男神はアマテラスの子として育てられることになった
・また、アマテラスは女神について このように言った
・「その神の元となったのは十拳剣であり、それはスサノオの物である」
・「よって、この三女神はお前の子とするがよい」
・これにより、三柱の女神はスサノオに授けられた
・なお、この三女神は筑紫のムナカタノキミが祀っている神である
異伝
・一書(一):「誓約」の説話の一つが記され、神々の元になるものや、誕生順が異なっていたりする
・一書(二):「誓約」の説話の一つが記され、スサノオがハアカルタマがらミズノヤサカニノマガタマを授かっていたりする
・一書(三):「誓約」の説話の一つが記され、生まれた子が六男三女神であったりする
第七段
天岩戸
本文
・誓約の後のスサノオの行いは酷いものであった
・まず、アマテラスの持つ種々の水田を我が物のように扱った
・春には、水田にシキマキ(種を重ねて蒔くこと)をしたり、畔(あぜ)を壊したりした
・秋には、アメノブチコマ(天斑駒)を田に放したり、アマテラスの新嘗の際に新宮前に糞尿を散らした
・また、神衣を織る斎機殿にアマテラスが居る時に、皮を剥いだ天斑駒を屋根に穴を空けて投げ込んだ
・すると、アマテラスは驚いて梭(ひ)で身体を傷付けてしまった
・これらのことから、アマテラスは怒ってアメノイワヤに入り、岩戸を閉じて隠れてしまった
・すると、国は常闇に包まれて、昼も夜も分からない有様になった
・そのため、ヤオヨロズノカミ(八百万の神)はアメノヤスカワの川辺に集まり、アマテラスを出す方策を話し合った
・そして、その中の神であるオモイカネが計画を練って、遂に実行に移した
・まず、常世の長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせた
・次に、タヂカラオを岩戸の前に立たせた
・次に、アメノコヤネ(中臣氏の遠祖)とフトダマ(忌部氏の遠祖)が祭祀の準備に取り掛かった
・まず、天香具山のイホツノマサカキ(五百筒の真榊)を掘り出した
・次に、真榊の上段の枝にヤサカニノイホツミルマル(勾玉を紐で連ねたもの)を掛けた
・次に、真榊の中段の枝にヤタノカガミ(マフツノカガミ)を掛けた
・次に、真榊の下段の枝にアオニキテ(青和幣)とシロニキテ(白和幣)を掛けた
・そして、皆でアマテラスが岩戸から出てくるように祈りを捧げた
・また、このときにアメノウズメ(猿女君の遠祖)がチマキノホコを持ち、アメノイワヤの前で踊ってみせた
・この際、アメノウズメは天香具山のマサカキを頭に巻いてカズラとし、ヒカゲカズラを襷掛けにした
・そして、焚火の前に桶を伏せて置き、その上で神懸かった
・すると、窟の中のアマテラスは外の騒がしい音を聞いて このように言った
・「私が窟に籠っているため、トヨアシハラナカツクニ(豊葦原中国)は長い夜となったはずでしょう」
・「それなのに、どうしてアメノウズメは楽しそうにしているのだろうか」
・そして、アマテラスは岩戸を少しだけ開けて、外の様子を覗き見た
・そのとき、タヂカラオがアマテラスの手を取って窟の外に引っ張り出した
・すると、直ぐにアメノコヤネ(中臣神)とフトダマ(忌部神)がシリクメナワ(注連縄)を張った
・そして、二神はアマテラスに窟に帰らないように懇願した
・その後、神々はスサノオの罪を責めて罰を与えることにした
・まず、その罪の代償に見合うだけの宝物を台に乗せて差し出させた
・また、髪を抜いて罪を購わせた(手足の爪であったともいう)
・そして、神々はスサノオを高天原から追放してしまった
異伝
・一書(一):「天岩戸」の説話の一つが記され、ワカヒルメが斑駒に驚いて死んだことなどが記される
・一書(二):「天岩戸」の説話の一つが記され、アマテラスが日神尊という神名で、鏡や玉を作った神の神名が異なる
・一書(三):「天岩戸」の説話の一つが記され、鏡が傷付いたことや、スサノオの追放後に誓約をしたことなどが記される
第八段
八岐大蛇
本文
・スサノオは自ら天降って、出雲のヒノカワの河上に降り立った
・すると、河上からうめき泣く声が聞こえてきた
・スサノオが声の聞こえる方に行ってみると、老夫婦が間に一人の少女を置き、その少女を撫でながら泣いていた
・スサノオは、老夫婦の素性と泣いている理由を尋ねた
・それに対して老翁が このように答えた
・「私はこの地の国津神のアシナヅチと言います」
・「私の妻はテナヅチと言います」
・「この少女はクシイナダヒメと言います」
・「私ら夫婦には かつて八人の娘が居ましたが、毎年 ヤマタノオロチに呑まれてしまいました」
・「今、このクシイナダヒメが呑まれるところなのですが、逃れる方法が無いので悲しんでいるのです」
・すると、スサノオは「ならば、その娘を私に差し出しなさい」と勅(天皇の命令)を発した
・これに、アシナヅチは「仰せのままに差し上げましょう」と答えた
・(スサノオはクシイナダヒメを娶ると、早速 ヤマタノオロチの退治に乗り出した)
・スサノオはクシイナダヒメをユツツマグシに変えて、自分の髪に挿した
・また、アシナヅチとテナヅチに何度も醸した酒を作らせた
・そして、八つの桟敷のそれぞれに酒を入れた酒桶を置き、ヤマタノオロチが来るのを待っていた
・時間が来ると、ヤマタノオロチが現れた
・オロチの頭と尾は、八岐を成していた
・オロチの目は、赤くて熟れたホオズキのようだった
・オロチの背中には、松や檜が生えていた
・オロチの胴体は、八つの丘と八つの谷ほどの大きさだった
・オロチは酒桶を置いた処までやってくると、それぞれの頭が酒を飲み始めて、酔って そのまま寝てしまった
・そのとき、スサノオは腰に帯びた十拳剣を抜いて、オロチを斬り刻んだ
・しかし、尾を斬った時に剣の刃は少し欠けてしまった
・それで、不思議に思って その尾を裂いてみると中に一本の剣が入っていた
・この剣をクサナギノツルギもしくはアメノムラクモノツルギという
・なお、この剣は日本武尊の時代に草薙剣と呼ばれるようになった
・スサノオは「これはきっと神の剣であるので、自分の物にするわけにはいかない」と言って天津神に献上した
・その後、スサノオはクシイナダヒメと結婚して落ち着くところを探していた
・そして、遂に出雲のスガ(素鵝)に辿り着いた時、スサノオは「私の心は清々しい」と言った
・そのため、この地をスガ(清)と名付けて宮を立てた
・なお、ある伝え曰く、スサノオは「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」と歌ったという
・そこで、スサノオはクシイナダヒメとの間にオオナムチを儲けた
・また、宮の首長をアシナヅチとテナヅチとする旨の勅を発し、二神をイナダミヤヌシノカミと名付けた
・その後、スサノオは遂に根の国へと行ってしまった
異伝
・一書(一):「八岐大蛇」の説話の一つが記され、スサノオがイナダヒメと結婚し、その五世孫がオオクニヌシと記される
・一書(二):「八岐大蛇」の説話の一つが記され、おおむね『古事記』の内容を踏襲し、六世孫がオオナムチと記される
・一書(三):「八岐大蛇」の説話の一つが記され、毒酒でオロチを酔わせたことや、オロチを斬った剣名などが記される
・一書(四):「八岐大蛇」の説話の一つが記され、スサノオは追放後にイタケルを連れて新羅国に天降ったと記される
・一書(五):「八岐大蛇」の説話の一つが記され、スサノオが韓国の島々にある金銀を求めて船を作ることなどが記される
・一書(六):「大国主」の説話の一つが記され、『古事記』の説話に類似したオオクニヌシの国造りの様子が記される
第九段
葦原中国平定
本文
・アマテラスの子のオシホミミは、タカミムスビの娘のタクハタチヂヒメを娶った
・そして、その間にアマツヒコ ヒコホノニニギ(ニニギ)を儲けた
・皇祖のタカミムスビは特別に孫のニニギを可愛がって大切に育てた
・そして、遂にニニギを葦原中国の君主にしようと考えた
・しかし、葦原中国には蛍日のように輝く神々や、蠅のようにうるさい邪神が沢山居た
・また、草木の全てが言葉を話しており、とてもうるさかった
・そこでタカミムスビは沢山の神々を集めて このように問うた
・「私は葦原中国の邪神を追い払って平定したいと思うが、誰を派遣すれば良いだろうか?」
・「なお、諸神たちは知っていることを隠さずに知らせてくれ」
・すると、神々は「アメノホヒが優れているので、これで試すのが良いでしょう」と言った
・これを以って、タカミムスビはアメノホヒに葦原中国の平定を命じて派遣した
・しかし、アメノホヒはオオナムチの機嫌を取るばかりで、三年経っても報告をしなかった
・そこで、アメノホヒの子のオオソビノミクマノウシ(タケミクマノウシ)を派遣したが、父に従って報告しなかった
・タカミムスビは更に多くの神々を集めて、派遣すべき神について話し合った
・すると、神々は「アマツクニタマの子のアメノワカヒコは立派な神なので、これで試すのが良いでしょう」と言った
・そこで、タカミムスビはアメノワカヒコにアメノカゴユミ(弓)とアメノハハヤ(矢)を授けて葦原中国に派遣した
・しかし、アメノワカヒコは忠誠を尽くさない神であった
・そのため、天降った後すぐにオオナムチの娘のシタテルヒメ(タカヒメ・ワカクニタマ)と結婚した
・そして、そこに住みつくようになり、遂には「私が葦原中国を治めてみたいものである」と言って報告を止めた
・タカミムスビはアメノワカヒコから報告が来ないことを怪しんで、名無しのキジに調べてくるように命じた
・そのキジは、アメノワカヒコの居社まで飛んで行き、門の前のユツカツラの梢に止まった
・すると、アメノサグメがキジを見つけて、アメノワカヒコに奇妙な鳥がユツカツラの木に止まっていると報告した
・そこで、アメノワカヒコはタカミムスビから授かった弓矢を持ち、そのキジを射殺してしまった
・アメノワカヒコが射った矢は、キジの胸を貫通しても更に飛び続け、果てはタカミムスビの処まで飛んで行った
・そこで、タカミムスビは その矢を見つけて このように言った
・「この矢は かつて私がアメノワカヒコに授けた矢である」
・「だが、この矢が血に染まっている、これは国津神との戦いで付いたものであろうか」
・そして、タカミムスビは その矢を取って地に投げ返した
・すると、寝ていたアメノワカヒコの胸に刺さり、そのまま死んでしまった
・これが世に言う「返し矢 恐るべし」の由縁である
アヂスキタカヒコネ
本文
・アメノワカヒコが亡くなると、妻のシタテルヒメの泣き悲しむ声が天に届いた
・それ故に、アメノワカヒコの父のアマツクニタマに子の死が伝わり、すぐに疾風を派遣して遺体を天に運ばせた
・そして、喪屋を作り、モガリ(葬儀)を行った
・この際、カワカリ(川雁)をキサリモチとし、またハハキモチとし、スズメをツキメとした
・そして、八日八夜の間 嘆き悲しんで歌った
・なお、一説には このように言われている
・まず、カワカリをキサリモチ、ハハキモチ(箒で穢れを祓う役)とした
・次に、ソビをモノマサ(死者に代わって挨拶する役)とした
・次に、スズメをツキメ(食事を作る役)とした
・次に、カササギをナキメ(葬儀の際に泣く女)とした
・次に、トビをワタツクリ(死者の衣装を作る役)とした
・次に、カラスをシシヒト(死者の食物を運ぶ役)とした
・このように全ての鳥に仕事を分けて、八日八夜の間 嘆き悲しんで歌ったという
・アメノワカヒコは生前 オオナムチの子のアヂスキタカヒコネと親しくしていた
・故に、アヂスキタカヒコネはアメノワカヒコの死を弔うために天に昇って行った
・なお、アヂスキタカヒコネはアメノワカヒコと姿形がとても似ていた
・よって、アヂスキタカヒコネが喪屋を訪れた際、アメノワカヒコの親族や妻子が生き返ったと喜んで縋り付いてきた
・すると、アヂスキタカヒコネは激怒して このように言った
・「私は友人を弔うべきだと思い、死の穢れを受けるのを覚悟して遥々やって来たのだ」
・「それなのに、どうして私を穢れた死者と間違えるのか」
・そして、帯びていたオオハガリノツルギ(カムトノツルギ)を抜いて、喪屋を斬り捨ててしまった
・すると、喪屋が地に落ちて山となった
・これが、美濃国の藍見川の河上にあるモヤマ(喪山)である
・また、これが世間の人が生者と死者を間違えることを嫌う由縁である
大国主の国譲り
本文
・その後、タカミムスビは再び神々を集め、葦原中国を平定するのに相応しい神を問うた
・すると、諸神は「イワサクネサクの子のイワツツノオとイワツツノメの生んだ、フツヌシが良いでしょう」と言った
・また、天岩窟にはイツオバシリの子のミカハヤヒ、その子のヒノハヤヒ、その子のタケミカヅチが住んでいた
・そこで、タケミカヅチが勇んで「なぜフツヌシだけが丈夫(マスラオ)で、私は丈夫ではないのだ」と申し出た
・そこ言葉がとても勇ましかったため、フツヌシにタケミカヅチを副えて葦原中国に派遣することにした
・フツヌシとタケミカヅチは、天から出雲のイサタノオハマに降りた
・そこで、トツカノツルギ(十握剣)を地に逆さまに突き立てて、その切っ先に胡坐をかいてオオナムチに問いかけた
・「タカミムスビは皇孫を天から降ろして、葦原中国を統治しようと考えている」
・「そのため、我ら二柱の神が刃向う者を追い払い、平定するために遣わされたのだ」
・「汝はどう考えている?此処をすぐに去るつもりはあるか?」
・すると、オオナムチは このように答えた
・「ならば、我が子と相談してから答えることにしましょう」
・このとき、オオナムチの子のコトシロヌシは、出雲のミホノサキで釣りをして楽しんでいた
・そこで、二神は使者のイナセノハギをクマノノモロタノフネ(アマノハトフネ)に乗せて派遣した
・そして、使者がコトシロヌシに元に着くと、そこでタカミムスビの国譲りの命令を伝え、その返答を求めた
・すると、コトシロヌシは このように答えた
・「今、天津神の勅命が下ったのならば、父(オオナムチ)は すぐに国を奉じて去るべきでしょう」
・「そして、私もそれに従います」
・コトシロヌシは答えた後に海中にヤエアオフシカキを作り、船の端を踏んで姿を消してしまった
・そして、使者は帰って二神とオオナムチに報告した
・オオナムチは子のコトシロヌシの言葉を受けて、二神に このように言った
・「私が頼りにしているコトシロヌシが去ると決めた以上、私も共に去りましょう」
・「もし、私が抵抗したならば、国内の神々も同様に抵抗したでしょう」
・「ですが、今 私が去れば、誰も刃向う者は居ないのです」
・また、オオナムチは国を平定する際に用いたヒロホコ(廣矛)を二神に授けて こう言った
・「私は この矛を以って国を治めました」
・「故に 天孫が この矛を以って国を治めれば、必ず平安が訪れるでしょう」
・「では、今から私はモモタラズヤソクマデに隠居することにします」
・そして、オオナムチは姿を消してしまった
・この後、二神は刃向う鬼神らを追い払い、天に帰って報告した
・一説によれば、二神は邪神や草木・岩の類を平定したが、唯一 ホシノカガセオだけが従わなかった
・故にシトリガミのタケハヅチを派遣して服従させ、この後に二神は天に昇ったと云われている
天孫降臨
本文
・葦原中国の平定が終わると、タカミムスビはマトコオフスマを皇孫のニニギに着せて天降らせた
・ニニギはアマノイワクラ(天盤座)を後にすると、アメノヤエクモを押し分けて、幾多の分かれ道を抜けて進んで行った
・そして、遂に日向のソノタカチホノタケに降り立った
・その後、ニニギはクシヒノフタガミのアメノウキハシから、ウキジマリタヒラニタタシに降り立った
・そして、ソシシノムナクニの丘から良い国を探し、遂に吾田の長屋のカササノミサキ(笠狭の岬)に到った
・すると、その地に一人の人間が居り、その名をコトカツクニカツナガサと言った
・そこで、ニニギはコトカツクニカツナガサに この地の国の有無を尋ねた
・すると、コトカツクニカツナガサは「国は有りますが、お好きなようになさってください」と言った
・そのため、ニニギは この地に留まることを決めて、そのまま定住することにした
・ある日、ニニギは この国で美しい娘と出会った
・その名をカシツヒメ(カムアタツヒメ・コノハナサクヤヒメ)という
・そこで、ニニギは美しい娘に素性を尋ねた
・すると、その美しい娘は「私は天神がオオヤマツミを娶って産んだ子です」と答えた
・そして、ニニギはすぐに美女と一夜を共にすると、美女は一晩で孕んでしまったという
・それを聞いたニニギは、その妊娠が信じられず このように言った
・「私が天神だからといって、一夜で孕むなど考えられない」
・「故に 孕んだという子は我が子では無いだろう」
・すると、カシツヒメはニニギを恨み、出入口の無い小屋に入って このように誓約をした
・「私が身籠った子が天孫の子で無ければ、私は必ず焼け死ぬでしょう」
・「しかし、この子が天孫の子であれば、どんな火も私を傷付けることはできないでしょう」
・そのように唱えると、小屋に火を放って出産に臨んだ
・最初の煙が立ち上る頃の産まれた子を、ホノスソリという(隼人の祖である)
・次に火の熱を避けて小屋の端で産んだ子を、ヒコホホデミという
・次に産まれた子を、ホノアカリという(尾張連の祖である)
・その後、長い年月を経てニニギは崩御した
・そして、筑紫の日向のエノヤマの御陵に埋葬された
異伝
・一書(一):「葦原中国平定」から「天孫降臨」までの異伝の一つが記され、サルタヒコの特徴が記されるなどの違いがある
・一書(二):「葦原中国平定」から「天孫降臨」までの異伝の一つが記され、二神がアマツミカボシを討伐するなどの違いがある
・一書(三):「コノハナサクヤヒメ」の一部が記され、ホアカリ、ホノススミ、ホノオリヒコホホデミを生んだとされる
・一書(四):「天孫降臨」の一部が記され、ニニギは天降る際に武装した御供に導かれて笠狭の御崎に到ったとされる
・一書(五):「コノハナサクヤヒメ」の説話の一つが記され、ホノアカリ、ホノススミ、ホノオリ、ヒコホホデミを生んだとされる
・一書(六):「葦原中国平定」から「天孫降臨」までの異伝の一つが記され、ニニギの兄にアメノホアカリが居るなどの違いがある
・一書(七):天津神の系譜にて、本文と異なる内容の系譜がいくつか記される
・一書(八):オシホミミとタクハタチチヒメはアマテルクニテルヒコホノアカリを生み、この神がコノハナサクヤヒメを娶ったと記される
第十段
海幸彦と山幸彦
一書(一)※本文としてまとめることにする
・(ニニギの子のホノスソリとヒコホホデミの兄弟には このような特徴があった)
・兄のホノスソリには、海で魚を捕る"海の幸"を持っていた
・弟のヒコホホデミには、山で鳥獣を獲る"山の幸"を持っていた
・ある日、兄弟二人は話し合い、互いの持つ"幸"を交換してみることにした
・しかし、互いに"幸"を上手く扱うことができなかった
・兄は後悔して弟から借りた弓を返し、自分の鉤(釣針)を返すように要求した
・しかし、弟は兄の鉤を既に失っており、探しようも無い有様であった
・そのため、弟は新しい鉤を造って兄に渡した
・だが、兄は新しい鉤を受け取らず、"私の鉤"を返せと迫った
・それ故、弟は困ってしまい、遂に刀を壊して沢山の新しい鉤を造り、それを笊一杯に盛って渡してみた
・すると、兄は怒って「私が欲しいのは"私の鉤"である、たとえ多くても受け取らない」と言った
・とうとう弟は為す術が無くなってしまい、憂鬱な気持ちで浜辺を彷徨っていた
・そんなとき、そこでシオツチノオジと出会った
・シオツチノオジが悩む様子の弟に理由を聞くと、弟は今までの事情を話して聞かせた
・すると、シオツチノオジは「私が良い案を授けましょう」と言た
・そして、マナシカタマ(目の細かい籠)を作り、弟を籠に入れて海に沈めた
・その後、弟(ヒコホホデミ)の乗った籠はウマシオハマに流れ着いた
・そこでヒコホホデミは乗ってきた籠を捨て、辺りを遊行していると やがて海神(ワダツミ)の宮に到った
・その宮はタカガキヒメガキが整っており、タカドノが照り輝いていた
・また門前には井戸があり、井戸の上には よく繁ったユツカツラの樹が有った
・そのとき、ヒコホホデミはユツカツラの樹の下を彷徨っていた
・すると、一人の美しい娘(トヨタマヒメ)が宮の扉の向こうから現れて、玉椀に水を汲もうとしていた
・そこで、その美しい娘がヒコホホデミを見つけると驚いて宮に帰って行き、父母に このように告げた
・「珍しくも、門前の樹の下に客人が来ております」
・それを聞いた海神(トヨタマヒメの父)は八重の敷物を敷き、ヒコホホデミを宮の中に招き入れた
・そして、ヒコホホデミを席に着かせると、此処に来た理由を尋ねた
・それ故に、ヒコホホデミは今までの経緯を全て話して聞かせた
・すると、海神はすぐに大小の諸魚を集め、"失くした鉤"について問うた
・その場の魚たちは皆 知らないと言った
・だた、アカメ(赤鯛)は口に病気があるため、その場には来ていなかった
・よって、アカメを呼び寄せて口を探ると、"失くした鉤"が見つかった
・その後、ヒコホホデミは海神の娘のトヨタマヒメを娶り、海神の宮に住むようになって三年が経った
・ヒコホホデミは、その生活が安らかで楽しいと思って居たものの、故郷に思う気持ちもあった
・そのため、時折 大きな溜息を漏らすようになり、それを見ていたトヨタマヒメは 心配して父に このように告げた
・「近頃の天孫(ヒコホホデミ)は困った様子で しばしば嘆いております」
・「まるで郷土を懐かしんでいるようです」
・これを聞いた海神は、すぐにヒコホホデミを招いて このように言った
・「天孫よ、もし故郷に帰りたいのであれば送って差し上げましょう」
・また、アカメの口から取り出した"失くした鉤"を授けると、このように教えた
・「この鉤を兄に返す時、密かに鉤を"貧鉤(マヂチ)"と呼んでから兄に返しなさい」
・また、シオミツタマとシオヒノタマを授けて、このように教えた
・「このシオミツタマを海水に浸ければ、潮が忽ち満ちていきますので、これで兄を溺れさせなさい」
・「もし、兄が悔い改めて救いを乞えば、このシオヒノタマを海水に浸けて潮を引かせて救いなさい」
・「そのように兄を攻めて悩ませれば、きっと兄を従わせることができるでしょう」
・また、ヒコホホデミが地上に変える際、トヨタマヒメは このように言った
・「私は子を孕んでおり、近々産まれることになるでしょう」
・「波風の荒い日に私は必ず海辺に到りますので、その日のために産屋を建てて待っていてください」
・その後、ヒコホホデミは地上の宮に帰り、海神から教えられたとおりに事を為した
・すると、兄のホノスソリは すっかり困り果て、自分の罪を認めて このように言った
・「今後、私は汝の俳優(ワザオギ)の民となりましょう」
・「それ故に、どうか恩を以って活かしてください」
・兄が このように言うため、ヒコホホデミは その通りに許した
・なお、兄のホノスソリは吾田君の小橋らの祖である
・その後、トヨタマヒメは妹のタマヨリヒメと共に、以前の約束通りに波風の荒い日に海辺にやって来た
・そして、出産を前にしてヒコホホデミに このように言った
・「私が出産するところを決して見ないでください」
・それを聞いたヒコホホデミは怪しく思い、とうとう我慢できずに こっそりと覗いてしまった
・すると、トヨタマヒメは龍の姿で出産に臨んでいた
・そして、覗かれていたことに気付くと恥ずかしく思い、このように言った
・「もし、私を辱しめなかったのであれば、海と陸との隔たりを永久に無くそうと思っていました」
・「しかし、このように辱しめられてしまった以上、どうして睦まじくできましょう」
・すると、トヨタマヒメは子を草で包んで海辺に捨て、海への道を閉ざして去って行った
・なお、その子の名前は、ヒコナギサタケ ウガヤフキアエズという
・その後、長い年月を経てヒコホホデミは崩御した
・そして、日向の高屋山の上の御陵に埋葬された
・(ニニギの子のホノスソリとヒコホホデミの兄弟には このような特徴があった)
・兄のホノスソリには、海で魚を捕る"海の幸"を持っていた
・弟のヒコホホデミには、山で鳥獣を獲る"山の幸"を持っていた
・ある日、兄弟二人は話し合い、互いの持つ"幸"を交換してみることにした
・しかし、互いに"幸"を上手く扱うことができなかった
・兄は後悔して弟から借りた弓を返し、自分の鉤(釣針)を返すように要求した
・しかし、弟は兄の鉤を既に失っており、探しようも無い有様であった
・そのため、弟は新しい鉤を造って兄に渡した
・だが、兄は新しい鉤を受け取らず、"私の鉤"を返せと迫った
・それ故、弟は困ってしまい、遂に刀を壊して沢山の新しい鉤を造り、それを笊一杯に盛って渡してみた
・すると、兄は怒って「私が欲しいのは"私の鉤"である、たとえ多くても受け取らない」と言った
・とうとう弟は為す術が無くなってしまい、憂鬱な気持ちで浜辺を彷徨っていた
・そんなとき、そこでシオツチノオジと出会った
・シオツチノオジが悩む様子の弟に理由を聞くと、弟は今までの事情を話して聞かせた
・すると、シオツチノオジは「私が良い案を授けましょう」と言た
・そして、マナシカタマ(目の細かい籠)を作り、弟を籠に入れて海に沈めた
・その後、弟(ヒコホホデミ)の乗った籠はウマシオハマに流れ着いた
・そこでヒコホホデミは乗ってきた籠を捨て、辺りを遊行していると やがて海神(ワダツミ)の宮に到った
・その宮はタカガキヒメガキが整っており、タカドノが照り輝いていた
・また門前には井戸があり、井戸の上には よく繁ったユツカツラの樹が有った
・そのとき、ヒコホホデミはユツカツラの樹の下を彷徨っていた
・すると、一人の美しい娘(トヨタマヒメ)が宮の扉の向こうから現れて、玉椀に水を汲もうとしていた
・そこで、その美しい娘がヒコホホデミを見つけると驚いて宮に帰って行き、父母に このように告げた
・「珍しくも、門前の樹の下に客人が来ております」
・それを聞いた海神(トヨタマヒメの父)は八重の敷物を敷き、ヒコホホデミを宮の中に招き入れた
・そして、ヒコホホデミを席に着かせると、此処に来た理由を尋ねた
・それ故に、ヒコホホデミは今までの経緯を全て話して聞かせた
・すると、海神はすぐに大小の諸魚を集め、"失くした鉤"について問うた
・その場の魚たちは皆 知らないと言った
・だた、アカメ(赤鯛)は口に病気があるため、その場には来ていなかった
・よって、アカメを呼び寄せて口を探ると、"失くした鉤"が見つかった
・その後、ヒコホホデミは海神の娘のトヨタマヒメを娶り、海神の宮に住むようになって三年が経った
・ヒコホホデミは、その生活が安らかで楽しいと思って居たものの、故郷に思う気持ちもあった
・そのため、時折 大きな溜息を漏らすようになり、それを見ていたトヨタマヒメは 心配して父に このように告げた
・「近頃の天孫(ヒコホホデミ)は困った様子で しばしば嘆いております」
・「まるで郷土を懐かしんでいるようです」
・これを聞いた海神は、すぐにヒコホホデミを招いて このように言った
・「天孫よ、もし故郷に帰りたいのであれば送って差し上げましょう」
・また、アカメの口から取り出した"失くした鉤"を授けると、このように教えた
・「この鉤を兄に返す時、密かに鉤を"貧鉤(マヂチ)"と呼んでから兄に返しなさい」
・また、シオミツタマとシオヒノタマを授けて、このように教えた
・「このシオミツタマを海水に浸ければ、潮が忽ち満ちていきますので、これで兄を溺れさせなさい」
・「もし、兄が悔い改めて救いを乞えば、このシオヒノタマを海水に浸けて潮を引かせて救いなさい」
・「そのように兄を攻めて悩ませれば、きっと兄を従わせることができるでしょう」
・また、ヒコホホデミが地上に変える際、トヨタマヒメは このように言った
・「私は子を孕んでおり、近々産まれることになるでしょう」
・「波風の荒い日に私は必ず海辺に到りますので、その日のために産屋を建てて待っていてください」
・その後、ヒコホホデミは地上の宮に帰り、海神から教えられたとおりに事を為した
・すると、兄のホノスソリは すっかり困り果て、自分の罪を認めて このように言った
・「今後、私は汝の俳優(ワザオギ)の民となりましょう」
・「それ故に、どうか恩を以って活かしてください」
・兄が このように言うため、ヒコホホデミは その通りに許した
・なお、兄のホノスソリは吾田君の小橋らの祖である
・その後、トヨタマヒメは妹のタマヨリヒメと共に、以前の約束通りに波風の荒い日に海辺にやって来た
・そして、出産を前にしてヒコホホデミに このように言った
・「私が出産するところを決して見ないでください」
・それを聞いたヒコホホデミは怪しく思い、とうとう我慢できずに こっそりと覗いてしまった
・すると、トヨタマヒメは龍の姿で出産に臨んでいた
・そして、覗かれていたことに気付くと恥ずかしく思い、このように言った
・「もし、私を辱しめなかったのであれば、海と陸との隔たりを永久に無くそうと思っていました」
・「しかし、このように辱しめられてしまった以上、どうして睦まじくできましょう」
・すると、トヨタマヒメは子を草で包んで海辺に捨て、海への道を閉ざして去って行った
・なお、その子の名前は、ヒコナギサタケ ウガヤフキアエズという
・その後、長い年月を経てヒコホホデミは崩御した
・そして、日向の高屋山の上の御陵に埋葬された
異伝
・一書(二):「海幸山幸」の説話の一つが記され、鉤を獲ったのがクチメ(ボラ)だったため、天皇はボラを食べないなどの違いがある
・一書(三):「海幸山幸」の説話の一つが記され、『古事記』の内容に近いが、兄が弟にサチの交換を持ちかけるなどの違いがある
・一書(四):「海幸山幸」の説話の一つが記され、『古事記』の内容に近いが、全体的な構成や世界観が異なる
第十一段
ウガヤフキアエズ
本文
・ヒコナギサタケ ウガヤフキアエズは、叔母のタマヨリヒメを后として御子を儲けた
・まず、ヒコイツセが生まれた
・次に、イナイイが生まれた
・次に、ミケイリノが生まれた
・次に、カムヤマトイワレヒコが生まれた
・ウガヤフキアエズの子は全て男子であった
・しばらくするとヒコナギサタケ ウガヤフキアエズは、ニシノシマノミヤで崩御した
・そして、日向のアヒラノヤマの山野の上の御陵に埋葬された
異伝
・一書(一):ウガヤフキアエズは、ヒコイツセ、イナイイ、サノ(カムヤマトイワレヒコ)の三人を儲けたとする
・一書(二):ウガヤフキアエズは、イツセ、ミケイリノ、イナイイ、イワレヒコの四人を儲けたとする
・一書(三):ウガヤフキアエズは、ヒコイツセ、イナイイ、カムヤマトイワレヒコ、ワカミケノの四人を儲けたとする
・一書(二):ウガヤフキアエズは、ヒコイツセ、イワレヒコホホデミ、ヒコイナイイ、ミケイリノの四人を儲けたとする
※この後は「神武東征」に続く
後書
参考文献
・日本書紀(ウィキペディア)
・日本神話・神社まとめ
関連記事
・日本神話のススメ(記紀神話の解説とまとめ)
・『古事記』による日本神話
・『古語拾遺』による日本神話
・『旧事紀』による日本神話
・神武東征
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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