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2016年9月15日木曜日

飛鳥水落遺跡 [奈良県]

人文研究見聞録:飛鳥水落遺跡 [奈良県]

奈良県の明日香村にある飛鳥水落遺跡(あすかみずおちいせき)です。

『日本書紀』に登場する日本初の漏刻(水時計)の跡とされる遺跡であり、国の史跡に指定されています。


概要

人文研究見聞録:飛鳥水落遺跡 [奈良県]

飛鳥水落遺跡とは『日本書紀』の天智天皇条に記された"天智天皇が設置した漏刻跡"とされる遺跡です。

なお、遺跡にある案内板では以下のように説明されています。

史跡 飛鳥水落遺跡

斉明天皇6年(660年)5月「皇太子・中大兄皇子(後の天智天皇)は、日本で初めて水時計を作って人々に時刻を知らせた」と『日本書紀』に書かれています。『日本書紀』は その場所について何も語っていません。1981年、その水時計の遺跡が ここ飛鳥水落遺跡で掘り出されたのです。

ここでは、精密・堅固に築いた水時計建物と、建物内の中央で黒漆塗りの木製水槽を使った水時計装置が見つかりました。水時計施設を中心にして、水を利用した様々な施設があることも分かりました。

当時の日本は、中国の先進文明を積極的に取り入れて、律令制に基づく中央集権的な国家体制を急速に整えつつありました。中大兄皇子は、中国に倣って政治や人々の社会生活を明確な時刻制によって秩序づけようとしたのです。

時計装置の製作と運用は、当時の最新かつ最高の科学技術を結集した国家的な大事業であったことでしょう。その意味において、飛鳥水落遺跡は律令国家への記念碑と言えるでしょう。

『日本書紀』の記述

『日本書紀』にある漏刻(水時計)の記述は以下の通りです。

斉明天皇条の漏刻

斉明天皇6年5月、皇太子(中大兄皇子)が初めて漏刻(ろうこく)を造り、民に時を知らせた。

天智天皇条の漏刻

天智天皇10年 夏4月25日、漏剋(ろうこく)を新しい台に置いたことから、初めて候時(トキ)を打ち、鍾鼓(カネツヅミ)を轟かせた。初めて用いられた漏剋は、天智天皇が皇太子になった時、自ら初めて製作したものである。云々。

遺跡の様子

人文研究見聞録:飛鳥水落遺跡 [奈良県]
人文研究見聞録:飛鳥水落遺跡 [奈良県]

飛鳥水落遺跡は、飛鳥寺の北西に位置しており、その遺構は楼状建物跡・水利用の施設・掘立柱建物跡・掘立柱塀跡などからなる遺跡とされます。

なお、楼状建物は基壇上に建つ 4間(約11m)四方の正方形平面であり、中央部を除いて合計24本の柱が立つ、総柱様建物であるとされています。

料金: 無料
住所: 奈良県高市郡明日香村飛鳥(マップ
営業: 終日開放
交通: 橿原神宮前駅(徒歩34分)

公式サイト: http://www.asukamura.jp/kids/midokoro_iseki.html

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