孝元天皇陵 [奈良県]
2016/09/05
奈良県橿原市にある孝元天皇陵(こうげんてんのうりょう)です。
橿原神宮前駅の東の剣池沿いに位置する前方後円墳であり、第8代 孝元天皇の御陵に治定されています。
概要
孝元天皇陵(こうげんてんのうりょう)は、第8代 孝元天皇の御陵である劒池嶋上陵(つるぎのいけのしまのえのみささぎ)に治定されている前方後円墳であり、考古学名は中山塚1-3号墳とされています。
橿原神宮前駅の近くに位置しており、『日本書紀』では「劔池嶋上陵」、『古事記』には「剣池の中崗上に所在する」と記されています。
石川池(剣池)
剣池(つるぎいけ)は、『記紀』にも登場する古い池であり、"第15代 応神天皇の時代に造られた(拡張された)"という記事が記されています。
また、舒明天皇7年には"池内に連理の枝の蓮が見つかった"という記事があり、皇極天皇3年の夏には"池内の蓮の中で1本の茎から2つの花が咲いているものを見つけた豊浦大臣(蘇我蝦夷)は「これは蘇我臣が栄える兆しだ」と言って、すぐに金泥で蓮の絵を描いて、大法興寺(飛鳥寺)の仏の前に献上した"と記されています。
また、明治期に農業用水を確保するために拡張工事が行われたことから、新しく拡張された部分は地名から"石川池(いしかわいけ)"と名付けられ、現在では石川池の名でも知られています。
なお、池の前の案内板には以下のように記されています。
剣池
『日本書紀』応神天皇11年の条に この池を作ったことが見えますが、第8代 孝元天皇の陵は剣池嶋上陵ですから、この記事は修築か拡張であろうとする記があります。いずれにしても灌漑用水として利用されたことは確かです。
『万葉集』には次のようにあります。
この池については、皇極天皇の御代の夏、池中の一本の蓮の茎から二つの花が咲いており、これが蘇我氏の繁栄を予告するものと尊されたことが伝えられています。その蘇我氏が翌年に滅んでいるのは皮肉というほかありません。
『日本書紀』応神天皇11年の条に この池を作ったことが見えますが、第8代 孝元天皇の陵は剣池嶋上陵ですから、この記事は修築か拡張であろうとする記があります。いずれにしても灌漑用水として利用されたことは確かです。
『万葉集』には次のようにあります。
みはかしを 剣の池の 蓬莱に たまれる水の行方なみ 我がする時に 逢ふべしと
逢ひたる君を な寝そと 母聞こせども 我が心
清隅の池の 池の底我は忘れじ ただに逢ふまでに
逢ひたる君を な寝そと 母聞こせども 我が心
清隅の池の 池の底我は忘れじ ただに逢ふまでに
この池については、皇極天皇の御代の夏、池中の一本の蓮の茎から二つの花が咲いており、これが蘇我氏の繁栄を予告するものと尊されたことが伝えられています。その蘇我氏が翌年に滅んでいるのは皮肉というほかありません。
孝元天皇とは?
孝元天皇(こうげんてんのう)とは日本の第8代天皇であり、『日本書紀』によれば「境原宮」で即位したとされています。
しかし、『記紀』の両方でも情報の少ない、いわゆる「欠史八代」の1人に数えられている天皇です。
なお、没年齢は『古事記』では57歳、『日本書紀』では116歳とされています。
また、橿原市にある牟佐坐神社は孝元天皇が即位した宮地と伝えられており、祭神としても祀られています。
ちなみに『ホツマツタヱ』という文献には、近江の水尾にてカセフの祭(田の祓いの儀式)を為したという記録があります。
参考リンク:孝元天皇(ウィキペディア)、ホツマツタヱ32文 ふしとあわ海 みつの文
料金: 無料
住所: 奈良県橿原市石川町(マップ)
営業: 終日開放
交通: 橿原神宮前駅(徒歩16分)
公式サイト: http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/008/
住所: 奈良県橿原市石川町(マップ)
営業: 終日開放
交通: 橿原神宮前駅(徒歩16分)
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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