人文研究見聞録:廣田神社 [兵庫県]

兵庫県西宮市にある廣田神社(ひろたじんじゃ)です。

『日本書紀』にも創建記録のある古社であり、"兵庫県における第一の古大社"であると言われています。

また、神代文字で記された古文書『ホツマツタヱ』の内容との一致点が多いことが非常に興味深い神社です。


神社概要

由緒

由緒書によれば、神功皇后摂政元年(201年)に神功皇后が三韓征伐を終えて凱旋する際、海上で船が廻って進めなくなってしまったため、これを廣田大御神(天照大神)に問うと「我が荒魂は皇后の近くではなく、広田国に鎮めるべし」との神託を受けたことから、葉山媛を斎宮として当地に奉祀させたことに始まるとされています。

なお、由緒書では以下のように説明されています。

廣田神社由緒

御祭神 天照大神荒魂は、『日本書紀』第九に神功皇后摂政元年(西暦201年)、皇后が新羅より凱旋の帰途、海路難波に向かわんとして務古の水門(西宮)に至り給うたとき船海上で廻り進ます、御神慮を問われ給い「我が荒魂は皇后に近づく可からす、当に御心廣田の國に居らしむべし」との天照大神の御神誨により、葉山媛を斎宮として この地の國土の鎮め、外難の護りとして奉祀せられた。

御創祀

神功皇后摂政元年(201年)、国難打破の道を示し、八幡大神(後の応神天皇)の御懐妊を告げ、安産を守護し、軍船を導き、建国初の海外遠征(三韓征伐)に勝利を授けた。

廣田大御神の御神誨(おつげ)により、御凱旋の帰途、御心・廣田の國に国土安泰・外難の守護として御創祀されたことが、我が国最古の国史書『日本書紀』に記されています。

御沿革

・大同元年(806年):封土41戸
・貞観10年(868年):十一位昇叙
・延喜年間(901~923年):官弊名神大社・相嘗祈雨の奉幣に列す
・正暦2年(991年):二十二社(朝廷から特別の奉幣を受けた神社)に先立つ19社の一社となる
・明治4年(1871年):社格制度復興の折に県内で唯一の官弊大社に列格する
・明治7年(1874年):境内地を分割譲与し、末社の西宮神社を独立させる

祭神

廣田神社の祭神は以下の通りです。

主祭神

・天照坐皇大御神の荒魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま):伊勢内宮の荒祭宮の祭神と同神とされる
 → 「伊勢神宮で祀られる天照坐皇大御神の勇猛果敢で活動的・進取的な霊験あらたかな御魂」と説明される
 → 別名撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと)とされる
 → 『ホツマツタヱ』におけるセオリツヒメ(瀬織津姫)と同神という説がある

脇殿神

・住吉三前大神(すみよしのみさきのおおかみ):住吉三神を指す
・八幡三所大神(やはたのみどころのおおかみ):應神天皇、神功皇后、仲姫命を指す
・諏訪健御名方富大神 (すわたけみなかたのおおかみ):大国様の御子神(諏訪大社の主祭神)
・高皇産霊大神 (たかみむすびのおおかみ):宮中八神殿の主神

『日本書紀』の記述

人文研究見聞録:廣田神社 [兵庫県]

当社の創祀については国史である『日本書紀』にも記録があります。その内容は以下の通りです。

神功皇后が三韓征伐に出発する際に天照大神から「和魂が皇后の身を守り、荒魂が先鋒として船を導くだろう」との神託があり、これによって皇后は新羅を攻め、次いで高麗・百済も降伏させた。しかし、皇后の留守の間に忍熊王が神功皇后と懐妊中の皇子(後の応神天皇)を亡きものにしようと明石で待ち伏せていた。

凱旋の帰途、忍熊王の謀反を知った皇后は、紀淡海峡に迂回して難波の港を目指した。だが、難波の港の前で船が海中をぐるぐる回って進めなくなってしまった。そこで務古水門に帰って占うと、天照大神より「荒魂を皇居の近くに置くのは良くない。広田国に置くのが良いだろう」という神託を得た。

そこで皇后は、山背根子の娘の葉山媛に天照大神の荒魂を祀らせた(これが廣田神社の創建とされる)。このとき、稚日女尊(生田神社)、事代主尊(長田神社)、住吉三神(住吉大社)からも神託を得て、それぞれの神の奉祀が行われた。すると、船は軽やかに動き出し、忍熊王を退治することができた。

神功皇后の伝説についてはこちらの記事を参照:【神功皇后の伝説】

『ホツマツタヱ』の記述

人文研究見聞録:廣田神社 [兵庫県]

ヲシテという神代文字で記された文献である『ホツマツタヱ』には、以下のような廣田に関する興味深い記述があります。

アマテル(天照大御神)が神になる(地上における最期を迎える)時、ヤモカミ(各国の国守)を集めて「私は世を離れ、隠れることにする」と詔し、サルタ(猿田彦大神)に穴を掘らせた。

この際、アマテルは数々のカミに最期の詔をする中、セオリツヒメ(瀬織津姫)を召して「セオリツヒメよ、ヒロタに行ってワカヒメ(稚日女尊)と共にヰココロ(女心)を守るべし、私はトヨケ(豊受大神)と共に背(男心)を守る、これがイセノミチである」と詔した。

この文中に登場するセオリツヒメ(瀬織津姫)とは、『ホツマツタヱ』におけるアマテル(男神の天照大御神)の内宮(正妻)であるとされる神であり、別名をアマサカルヒニ ムカツヒメというとされます。

これは、廣田神社の主祭神である天照大神荒魂の別名・撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)と一致し、かつて当社の摂社であった西宮神社の主祭神であるヒルコ(蛭子神、西宮大神)が当文献においてワカヒメ(稚日女尊)の別名であるということから、廣田神社の起源を探る上で非常に興味深い内容であると言えると思います。

参考リンク:ホツマツタヱ・ミカサフミ 現代語訳「ホツマツタヱ28文 君臣 遺し法の文:アマテル最期の詔【9】」

大阪市の廣田神社について

人文研究見聞録:廣田神社 [兵庫県]

大阪市浪速区にも当社と同名の廣田神社があります。

こちらの廣田神社でも祭神および由緒は当社と同じであり、かつ、付近に鎮座する今宮戎神社との関係が深いとされることから、当社と西宮神社の関係と一致します。

『日本書紀』の記録において どちらが正当とされるのかは不明ですが、大阪市の廣田神社では"廣田神社の本家"を主張しているそうです。

詳しくはこちらの記事を参照:【廣田神社(大阪市)】

西宮と廣田神社について

廣田神社の資料によれば、「西宮」という語は"古代より廣田神社の別称として広く使われていたとされ、14世紀頃には現在の西宮市域を遥かに超える広い地域を指示した"とされます。

なお、『ホツマツタヱ』によれば、「ヒロタ」とは"イサナギ・イサナミの最初の子であるヒルコが流された際、カナサキ(金折命)に拾われて育てられたヒロタノミヤを指す"と捉えられ、「ニシノミヤ(ニシトノ)」という語と同義であるとされています。

関連社

廣田神社の関連社は以下の通りです。

摂社

人文研究見聞録:廣田神社 [兵庫県]
齋殿神社
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伊和志豆神社

【境内】

・齋殿神社(ときどのじんじゃ):葉山媛命(はやまひめのみこと)を祀る
 → 元は境外(廣田神社の東北・御手洗川の畔)にあったが、享保12年に境内に遷座した
・伊和志豆神社(いわしずじんじゃ):伊和志豆之大神(いわしずのおおかみ)を祀る
 → 祭神については開化天皇の皇子・彦坐命(ヒコイマス)であるという説がある
 → 式内大社論社(宝塚市伊孑志にも論社伊和志津神社がある)

【境外】

・名次神社:水分大神を祀る(西宮市名次町5)
・岡田神社:天御中主命を祀る(西宮市岡田山4-1)
 → 式内社「岡太神社」の論社(西宮市小松南町にも論社岡太神社がある)
・南宮:豊玉姫神、市杵島姫神、大山咋神、葉山姫神を祀る(西宮神社境内)
・若宮神社:若宮大神を祀る(西宮市高座町)

末社

人文研究見聞録:廣田神社 [兵庫県]
五末社
人文研究見聞録:廣田神社 [兵庫県]
松尾神社

【境内】

・五末社:以下の五社を合祀
 → 八坂神社:須佐之男命を祀る
 → 子安神社:磐長姫命を祀る
 → 春日神社:天兒屋根命、武甕槌命を祀る
 → 地神社:大土御祖神を祀る
 → 稲荷神社:宇賀御魂命を祀る
・松尾神社:大山咋大神、酒彌豆男神、酒彌豆女神を祀る

【境外】

・六甲山神社(石の宝殿):菊理媛神を祀る(六甲山の山頂付近)
・塞神社:塞大神を祀る(西宮市奥畑)
・稲荷神社:宇賀御魂大神を祀る
・児社:兒大神を祀る
・須佐之男神社:須佐之男命を祀る
・愛宕神社:迦具土神を祀る
・武甕槌神社:武甕槌神を祀る
・風神社:志那都比古神、志那都比賣神を祀る
※西宮神社(西宮戎)蛭子神を祀る(浜南宮と呼ばれ、元は当社の境外摂社であった)

境内の見どころ

木造鳥居

人文研究見聞録:廣田神社 [兵庫県]

廣田神社の木造鳥居です。

石鳥居

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廣田神社の石鳥居です。

注連柱

人文研究見聞録:廣田神社 [兵庫県]

廣田神社の注連柱です。

手水舎

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廣田神社の手水舎です。

拝殿

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廣田神社の拝殿です。

御神水

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廣田神社の御神水です。

柄杓で掬って飲むことができます。

タイガースの絵馬

人文研究見聞録:廣田神社 [兵庫県]

廣田神社にはタイガースデザインの絵馬があります。

料金: 無料
住所: 兵庫県西宮市大社町7 兵庫県西宮市大社町7-7(マップ
営業: 終日開放(授与所は6時~18時)
交通: 西宮北口駅(徒歩19分)

公式サイト:http://www.hirotahonsya.or.jp/
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。