人文研究見聞録:八幡神社(比都佐神社八幡宮) [滋賀県]

滋賀県近江八幡市にある八幡神社(はちまんじんじゃ)です。

飛鳥時代に創建されたと伝わる古社であり、祭神に応神天皇・神功皇后・姫大神を祀っています。

なお、延喜式内社であり、比都佐神社八幡宮(ひつさじんじゃはちまんぐう)という社名であったとも云われています。


神社概要

由緒

社記によれば、当社は第35代舒明天皇の御代に宇佐神宮より勧請された八幡宮であり、勅命によって舒明天皇8年に創建され、当初は中央に応神天皇、左相殿に神功皇后、右相殿に姫大神を祀っていたとされます。

その後は、天平感宝元年(749年)に四天王を祀り、大同3年(808年)に神託によって大和国の三笠山より春日四神を勧請し、小祠を造って武甕槌神(タケミカヅチ)・経津主命(フツヌシ)・天児屋根命(アメノコヤネ)・姫大神(ヒメ)を祀っていたそうです。

平安時代になると延喜年間(901~923年)に延喜式内社に定められ、社名が比都佐神社八幡宮となったとされ、中世の織田政権の時代には織田信長によって神社を悉く当社に移され、慶長7年(1602年)に神社を悉く当地に遷座し、同時に八幡宮も春日社に移されたとされ、これが今の本社であるとされています。

現在は、本社の左に春日社、右に稲荷社が鎮座しており、稲荷社の祭神である倉稲魂命(ウカノミタマ)は古来より当地に祀られていた地主神なんだそうです。

なお、社記による解説は以下の通りです。

社記

豊浦の里に御鎮座せる比都佐神社八幡宮の起源をくわしくあんずるに、人皇35代舒明天皇3年辛卯3月5日、筑紫菟狭島より影向の大御神なり。

時に武内の神来現奉仕同月勅使を遣わされ、彼地に大宮所を定めさせ給う、すなわち一宇の祠を造り、鎮座し奉る。同年8年丙申2月18日、大宮桂太敷立て、中は應神天皇、左相殿は神功皇后、右相殿は姫大神を斎き奉る。

45代聖武天皇の天平感宝元年5月29日、勅定により四方の境を封し、四天王を斎き奉り、51代平城天皇の大同3年戌子2月9日、春日四所の大明神を大和国の三笠山より影向し給う。時に神託ありて小祠を造りて斎き奉る。祭所の神 四座は武甕槌神、経津主命、天児屋根命、姫大神 これなり。

61代延喜帝の御宇に式内神社に定め給う、すなわち比都佐神社八幡宮と崇め奉る。その後、織田信長公は神社を悉く比都佐の社地に移し奉る。108代後陽成帝の御宇戌子16年5月3日、神社を悉く本地に遷座し、同時に八幡宮も春日社に鎮座し奉る。今の本宮これなり。

本宮の左方に春日社、右に稲荷社あり。鎮座年紀不詳、祭神は倉稲魂命なり、古来よりの地主神なるべし。

祭神

八幡神社の祭神は以下の通りです。

【主祭神】

・応神天皇(おうじんてんのう):第15代天皇であり、八幡神として全国の八幡宮などで祀られる

【左相殿】

神功皇后(じんぐうこうごう)第14代仲哀天皇の皇后であり、応神天皇の母に当たる(八幡神の一柱とされる)

【右相殿】

・姫大神(ヒメオオカミ):八幡三神の一柱(女神とされるが、その正体については諸説ある)

境内社

人文研究見聞録:八幡神社(比都佐神社八幡宮) [滋賀県]
人文研究見聞録:八幡神社(比都佐神社八幡宮) [滋賀県]

八幡神社の境内社は以下の通りです。

・春日社:武甕槌神・経津主命・天児屋根命・姫大神を祀る(本社の左)
・稲荷社:倉稲魂命(稲荷神)を祀る(本社の右)

境内の見どころ

鳥居

人文研究見聞録:八幡神社(比都佐神社八幡宮) [滋賀県]

八幡神社の鳥居です。

拝殿

人文研究見聞録:八幡神社(比都佐神社八幡宮) [滋賀県]

八幡神社の拝殿です。

本殿

人文研究見聞録:八幡神社(比都佐神社八幡宮) [滋賀県]

八幡神社の本殿です。

料金: 無料
住所: 滋賀県近江八幡市安土町上豊浦(マップ
営業: 終日開放
交通: 安土駅(徒歩6分)
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。