防府天満宮 [山口県]
2017/11/01
山口県防府市にある防府天満宮(ほうふてんまんぐう)です。
日本最初の天満宮とされており、北野天満宮・太宰府天満宮と並んで日本三天神の一つに数えられています。
また、生牛が当たる 牛替神事 や、ケガ人の多数出る 裸坊祭 が行われる神社としても有名です。
神社概要
由緒
由緒書などによれば、朝廷で右大臣として活躍していた菅原道真公は、昌泰4年(901年)に政敵であった左大臣・藤原時平の讒言によって謀反の罪を得て大宰府に左遷されることになり、大宰府へ向かう途中に周防国の国司である土師氏(道真公と同族)を頼って当地に立ち寄ったとされます。
道真公は本州最後の寄港地である防府の勝間の浦にて「此の地未だ帝土を離れず願わくは居をこの所に占めん(願わくば、京と地続の当地に居を構え、無実の知らせを待ちたい)」と願って九州に旅立ち、延喜3年(903年)2月25日に大宰府にて薨去したとされ、ちょうどこの日に勝間の浦に神光が現れ、酒垂山(現・天神山)に瑞雲が棚引いて人々を驚かせたそうです。
国司をはじめ里人たちは「道真公の御霊魂が光となり雲となって此地に帰って来たのだ」と悟り、翌年の延喜4年(904年)に道真公の願いの通りに御霊魂を松崎の地に建立して「松崎の社」と号したとされ、この宮の創建をもって「扶桑菅廟最初」として日本で最初に創建された天満宮と称されています。
その後は「松崎天満宮」「宮市天満宮」または単に「天満宮」と称され、明治6年(1873年)に近代社格制度において県社に列格し「松崎神社」と改称され、戦後の昭和28年(1953年)に「防府天満宮」と改称されて現在に至るとされており、京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮と並んで「日本三大天神」と言われています。
なお、由緒書による説明は以下の通りです。
【防府天満宮 由緒(その一)】
学問の神様として受験生を始め、多くの参拝客で賑わう天神様。ご祭神は平安時代に高い学識を持って右大臣の位にありながら、延喜元年(901年)藤原氏によって太宰権帥に左遷された菅原道真公。
太宰府へ下る途中に滞在した防府を愛でられた菅公を偲んで死後の翌年、延喜4年(904年)に建立。菅公をお祀りした お社は日本全国約12000社あるが、当社の創建を日本最初とし、北野(京都)、太宰府(福岡)と共に日本三天神と称されている。
学問の神様として受験生を始め、多くの参拝客で賑わう天神様。ご祭神は平安時代に高い学識を持って右大臣の位にありながら、延喜元年(901年)藤原氏によって太宰権帥に左遷された菅原道真公。
太宰府へ下る途中に滞在した防府を愛でられた菅公を偲んで死後の翌年、延喜4年(904年)に建立。菅公をお祀りした お社は日本全国約12000社あるが、当社の創建を日本最初とし、北野(京都)、太宰府(福岡)と共に日本三天神と称されている。
【防府天満宮 由緒(その二)】
防府天満宮は、日本で最初に創建された天神様です。菅原道真公は右大臣であった昌泰4年(901年)1月25日、左大臣 藤原時平の讒言により、太宰権帥にさせんさせられました。
その西下の途中、時の周防国司で同族の土師氏を頼り、本州最後の寄港地として当地 勝間の浦に御着船され、「此の地未だ帝土を離れず願わくは居をこの所に占めん(願わくば、京と地続の当地に居を構え、無実の知らせを待ちたい)」と願われました。
薨去された延喜3年(903年)2月25日、勝間の浦に神光が現れ、酒垂山(現・天神山)に瑞雲が棚引き人々を驚かせました。国司を始め、里人たちは道真公の御霊魂が光となり、雲となって此の地に帰って来られたと悟り、翌 延喜4年(904年)国司は公の願われた通り、この所 松崎の地に御霊魂の居を建立して松崎の社と号しました。
これを以って当宮は「扶桑菅廟最初」日本で最初の天満宮と称されます。
防府天満宮は、日本で最初に創建された天神様です。菅原道真公は右大臣であった昌泰4年(901年)1月25日、左大臣 藤原時平の讒言により、太宰権帥にさせんさせられました。
その西下の途中、時の周防国司で同族の土師氏を頼り、本州最後の寄港地として当地 勝間の浦に御着船され、「此の地未だ帝土を離れず願わくは居をこの所に占めん(願わくば、京と地続の当地に居を構え、無実の知らせを待ちたい)」と願われました。
薨去された延喜3年(903年)2月25日、勝間の浦に神光が現れ、酒垂山(現・天神山)に瑞雲が棚引き人々を驚かせました。国司を始め、里人たちは道真公の御霊魂が光となり、雲となって此の地に帰って来られたと悟り、翌 延喜4年(904年)国司は公の願われた通り、この所 松崎の地に御霊魂の居を建立して松崎の社と号しました。
これを以って当宮は「扶桑菅廟最初」日本で最初の天満宮と称されます。
祭神
防府天満宮の祭神は以下の通りです。
【主祭神】
・菅原道真公(すがわらのみちざね):平安中期の政治家(死後、天満天神として信仰される)
→ 太宰府に向かう途中に同族の土師氏を頼って、当地を訪れたと云われている
【相殿神】
・天穂日命(アメノホヒ):天照大神の御子神であり、出雲大社の祭主(出雲国造家)の始祖に当たる
→ 出雲国造の祖神とされる(道真公の先祖神)
・武夷鳥命(タケヒナトリ):天穂日命の御子神
・野見宿禰命(のみのすくね):垂仁朝に活躍した人物で、第13代出雲国造であり、土師氏の祖とされる
→ 出雲国造・土師氏の先祖神とされる(道真公の先祖神)
・菅原道真公(すがわらのみちざね):平安中期の政治家(死後、天満天神として信仰される)
→ 太宰府に向かう途中に同族の土師氏を頼って、当地を訪れたと云われている
【相殿神】
・天穂日命(アメノホヒ):天照大神の御子神であり、出雲大社の祭主(出雲国造家)の始祖に当たる
→ 出雲国造の祖神とされる(道真公の先祖神)
・武夷鳥命(タケヒナトリ):天穂日命の御子神
・野見宿禰命(のみのすくね):垂仁朝に活躍した人物で、第13代出雲国造であり、土師氏の祖とされる
→ 出雲国造・土師氏の先祖神とされる(道真公の先祖神)
境内社
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防府天満宮の境内社は以下の通りです。
・愛宕社:軻遇突智命・他九柱を祀る
・老松社・若松社:祭神不詳(一説に島田忠臣)
・須賀社:素盞鳴尊・他十柱を祀る
・幸神
・その他(奇岩が祀られている)
・老松社・若松社:祭神不詳(一説に島田忠臣)
・須賀社:素盞鳴尊・他十柱を祀る
・幸神
・その他(奇岩が祀られている)
関連知識
天満宮と牛
菅原道真公は遺言として「遺骸を牛舎に乗せて人に引かせず、牛の赴くところに留めよ」と言ったとされ、その通りに牛が止まった場所に葬られたとされています。この他にも道真公には牛にまつわる逸話が多数あり、具体的には以下の様なものがあります。
・承和12年(845年)乙牛6月25日(丑年)に道真公は生誕した
・貞観元年(859年)己卯月2月乙丑、元服の夜に白牛が角を挫いて死ぬ夢を見た道真公は牛を画き、酒を供えて尊拝した
・寛平5年(893年)癸丑9月、茸狩りの宴の際に道真公の前に敬う様子の小牛が現れたので、喜んで館に連れ帰った
・道真公が太宰府に向かう途中で時平の刺客に襲われた際、都で育てた牛が飛び出て刺客の腹を突き刺して助けたという
・道真公の神号「天満大自在天神」における「大自在天神」は、仏教において白牛に乗るとされている
・道真公の神号「日本太政威徳天」は密教の大威徳明王に由来し、牛に騎乗する姿で表現されている
・天満宮でおなじみの臥牛像に諸病平癒の力があると考えられたのは、道真公が牛車を引く牛を可愛がったことに由来する
・貞観元年(859年)己卯月2月乙丑、元服の夜に白牛が角を挫いて死ぬ夢を見た道真公は牛を画き、酒を供えて尊拝した
・寛平5年(893年)癸丑9月、茸狩りの宴の際に道真公の前に敬う様子の小牛が現れたので、喜んで館に連れ帰った
・道真公が太宰府に向かう途中で時平の刺客に襲われた際、都で育てた牛が飛び出て刺客の腹を突き刺して助けたという
・道真公の神号「天満大自在天神」における「大自在天神」は、仏教において白牛に乗るとされている
・道真公の神号「日本太政威徳天」は密教の大威徳明王に由来し、牛に騎乗する姿で表現されている
・天満宮でおなじみの臥牛像に諸病平癒の力があると考えられたのは、道真公が牛車を引く牛を可愛がったことに由来する
牛替神事(生きた牛が当選するクジ)
防府天満宮では、毎年の2月2・3日に節分祭(牛替神事)が行われます。
牛替神事(うしかえしんじ)とは 天神様が乗る牛車を引く牛を取り替える神事であり、行事の中で秋の御神幸祭に供奉する神牛役をクジで選ぶ「神くじ」が行われることで知られています。この神くじでは、生きた黒毛和牛の牡牛・牝牛のほか、金・銀・銅製の牛の置物、協賛に寄せられた数千点の豪華景品(自動車もある)が授けられるそうです。
なお、抽選権は「牛替券」という券を牛替神事に協賛している商店で購入し、これを防府天満宮の特設交換所で「番号券」と引き換えることで権利を得ることができ、抽選は2月3日の18:00から行われ 当選番号は防府天満宮のHPなどから確認することができるとされています。
御神幸祭(裸坊祭)
防府天満宮では、毎年の11月第四土曜日に御神幸祭が行われます。
御神幸祭(ごしんこうさい)とは、防府に留まった菅原道真公の御霊に「無実の知らせ」を伝えて慰めることを目的に、防府天満宮から勝間の浦まで渡御する壮大な祭とされています。
この御神幸祭は別名 裸坊祭(はだかぼうまつり)とも呼ばれ、約5000人の参加者が「裸坊」と呼ばれる潔白の証である白装束(白い袴を履き、上半身に白いサラシを巻いたもの)の姿になり、重さ500㎏の御網代輿(おあじろこし)を引っ張って約2.5㎞離れた勝間浦の御旅所を目指すものとなっています。
なお、この渡御の行き帰りでは、危険を伴う表参道の大階段の上り下りが行われるため、毎年怪我人が絶えないそうです。
境内の見どころ
石大鳥居
防府天満宮の石大鳥居です。
寛永6年(1629年)に造られた鳥居で、在銘の石鳥居としては県下最大・最古のものとされています。
表参道
防府天満宮の表参道です。
傍らには土産屋や飲食店があります。
うめてらす
防府天満宮の境内にあるうめてらすです。
土産屋や飲食店が入っています。
青銅鳥居
防府天満宮の青銅鳥居です。
大階段
防府天満宮の大階段です。
注連柱
防府天満宮の注連柱です。
手水舎
防府天満宮の手水舎です。
天神水
防府天満宮の天神水です。
天神山から引かれた水が絶えることなく注がれており、天神水と呼ばれているとされます。
扶桑菅廟最初の碑
防府天満宮の扶桑菅廟最初の碑です。
「扶桑」とは「日本」、「菅廟」とは「道真公を祀る御社」を指し、「日本最初の天満宮」を意味するとされます。
神馬
防府天満宮の神馬です。
神牛
防府天満宮の神牛です。
擦ると体の痛みが取れると言われており、境内には他にいくつかの臥牛像が見られます。
楼門
防府天満宮の楼門です。
拝殿
防府天満宮の拝殿です。
狛犬
防府天満宮の狛犬です。
江戸時代に寄進された青銅製の狛犬となっています。
おみくじ
防府天満宮のおみくじです。
50円と比較的安価で引けるようになっています。
歴史館(宝物館)
防府天満宮の歴史館(宝物館)です。
国・県・市の指定を受けた文化財が400点ほど展示されているそうです(有料)。
春風楼
防府天満宮の春風楼です。
江戸時代に建設が中断された五重塔の上に建てられた建物で、床下の形は珍しいとされています。
また、堂内には板絵や彫刻が施されており、中からは防府市街を眺めることも出来ます。
客殿(祈願受付所)
防府天満宮の客殿(祈願受付所)です。
天満宮灯籠
防府天満宮の天満宮灯籠です。
江戸時代に建てられた灯籠で、かつては天神様の依代として崇められたとされています。
観音堂
防府天満宮の観音堂です。
観世音菩薩・不動尊・毘沙門天尊が祀られており、古くは当宮の奥の院とされていたそうです。
紫雲石
防府天満宮の紫雲石(しうんせき)です。
願い事をすると必ず叶うと伝えられる不思議な霊石とされています。
梅林
防府天満宮の梅林です。
2月頃にはきれいな梅の花が咲き乱れるとされています。
参集殿(社務所)
防府天満宮の参集殿(社務所)です。
裏手には、防府天満宮の大きな駐車場があります。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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