濱田護國神社(浜田城跡) [島根県]
2017/11/23
島根県浜田市にある濱田護國神社(はまだごこくじんじゃ)です。
浜田城跡に創建された戦没者の英霊を祀る護国神社であり、石見出身者の英霊が祀られています。
また、当地は歌人・柿本人麻呂の終焉地の一つにも比定されています。
神社概要
由緒
公式サイトによれば、当社は昭和期に創建された戦没者慰霊のための招魂社であるとされています。
浜田には明治31年(1898年)7月に広島より歩兵第21連隊が移駐し、それ以来 招魂祭が斎行されてきたとされ、大正末期より招魂社建立の声が上がり、昭和11年(1936年)6月に県招魂社建立奉賛会によって造営工事が開始され、浜田城址に昭和13年(1938年)に竣工となり、同年11月12日に鎮座祭が行われて浜田招魂社の創建に至ったそうです。
その後、昭和14年(1939年)に濱田護國神社となり、明治以来の国事・事変・戦争で戦没した石見地方出身の23000柱の英霊の御霊を祀っているとされます。なお、戦後に一時的に亀山神社と社名を改称したとされますが、昭和28年(1953年)12月9日に濱田護國神社と復称して現在に至っているとされています。
祭神
濱田護國神社の祭神は以下の通りです。
・石見出身者の英霊(23000柱):明治以降の国事・事変・戦争で戦没した石見地方出身の英霊
関連知識
浜田城跡
浜田護国神社の境内付近には、県指定史跡である浜田城跡があります。
浜田城は江戸時代に建てられた城で、当地・浜田には城下町が築かれていたそうです。
なお、案内板による説明は以下の通りです。
【島根県指定史跡 浜田城跡】
浜田城跡は別名 亀山城(かめやまじょう)とも呼ばれ、北の松原湾と南から西にかけて流れる浜田川によって囲まれた標高68メートルの独立丘陵上に築かれた平山城です。
元和5年(1619年)に伊勢松坂から古田重治が54000余石の藩主として この地に移り、元和6年(1620年)2月に築城工事に着手、同年11年には地普請が終り、元和9年(1623年)5月には城および城下町が整ったようです。
本丸の北西隅には高さ14メートルの三重櫓の天守があり、二ノ丸には焔硝蔵、本丸常番所、時打番所などが配置され、中ノ門外の三ノ丸には御殿、諸役所、御用米蔵などがありました。
城下町は、城の周囲に武家屋敷を、浜田川以南に町家を設けています。
浜田城主は、古田家(2代・30年)から、松平周防守家(5代・111年)、本多家(3代・11年)、再び松平周防守家(4代・68年)、そして松平右近将監家(4代・31年)と変わり、慶応2年(1866年)7月に第二次長州征伐で自焼退城となり、その役割を終えました。
浜田城跡は別名 亀山城(かめやまじょう)とも呼ばれ、北の松原湾と南から西にかけて流れる浜田川によって囲まれた標高68メートルの独立丘陵上に築かれた平山城です。
元和5年(1619年)に伊勢松坂から古田重治が54000余石の藩主として この地に移り、元和6年(1620年)2月に築城工事に着手、同年11年には地普請が終り、元和9年(1623年)5月には城および城下町が整ったようです。
本丸の北西隅には高さ14メートルの三重櫓の天守があり、二ノ丸には焔硝蔵、本丸常番所、時打番所などが配置され、中ノ門外の三ノ丸には御殿、諸役所、御用米蔵などがありました。
城下町は、城の周囲に武家屋敷を、浜田川以南に町家を設けています。
浜田城主は、古田家(2代・30年)から、松平周防守家(5代・111年)、本多家(3代・11年)、再び松平周防守家(4代・68年)、そして松平右近将監家(4代・31年)と変わり、慶応2年(1866年)7月に第二次長州征伐で自焼退城となり、その役割を終えました。
柿本人麻呂終焉地
謎の多い歌人・柿本人麻呂は石見国(島根県)ゆかりの人物とされ、人麻呂の終焉地として島根県にはは益田市・浜田市・江津市・邑南町・美郷町と約5つの説があるとされています。
その内の一つである浜田説の根拠は「浜田城のあった亀山は元々"鴨山"と呼ばれ、周囲を流れる浜田川は"石川"と呼ばれていたとされ、これが人麻呂の辞世の和歌に詠まれていること」「浜田城の建設地に"人麻呂の祠"と伝えられている"雁木大明神の祠"が鎮座していたこと」が上げられているそうです。
なお、案内板による解説は以下の通りです。
【浜田城と柿本人麻呂】
浜田城は元和5年(1619年)に伊勢国(三重県)松坂から国替えとなった古田重治(初代浜田藩主)によって、元和6年(1620年)から築城されました。この築城に当たって、城地にあった幾つかの寺院が移転したようですが、神社は そのまま祀られ、幕末には稲荷社・厳島社・雁木社・讃樹社・三柱神社・姫栖社が城内に鎮座していました。
これらの神社の中で、柿本人麻呂と関連するのが雁木社(かりきしゃ)です。「御家譜附録(松井家・1786年)」によれば、太鼓堂の下に雁木大明神という祠があり、人丸の祠とも山伏の塚とも伝えられていると記述されています。また、「石州浜田城(1760年代の様子を描いた絵図)」には「大コ(太鼓堂)」に接して「人丸」と記載されており、古くから雁木社に人丸(柿本人麻呂)が祀られていると考えられていたようです。現在 この神社は秋葉神社(付近に鎮座)に合祀されています。
浜田城山は別名「亀山」とも呼ばれていますが、元々は「鴨山」と呼ばれていたのを、亀の縁起にちなんで築城時に改めたと言われています。また、浜田城山の周囲を流れる浜田川も「石見軍記(1594年)」には「石川」と記述されています。
そのため、柿本朝臣人麻呂 石見国に在りて臨死(みまか)らむとする時 自ら痛みて作る歌一首「鴨山の 岩根し枕ける われをかも 知らにと妹が 待ちつつあらむ」、柿本朝臣人麻呂の死(みまか)りし時 妻・依羅娘子の作る歌二首「今日今日と わが待つ君は 石川の 貝に交りて ありといはずやも」「直の逢ひは 逢ひかつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲はむ」の歌に詠まれる「鴨山」と「石川」に比定され、浜田城山が柿本人麻呂終焉の地であるとの説が古くから唱えられています。
浜田城は元和5年(1619年)に伊勢国(三重県)松坂から国替えとなった古田重治(初代浜田藩主)によって、元和6年(1620年)から築城されました。この築城に当たって、城地にあった幾つかの寺院が移転したようですが、神社は そのまま祀られ、幕末には稲荷社・厳島社・雁木社・讃樹社・三柱神社・姫栖社が城内に鎮座していました。
これらの神社の中で、柿本人麻呂と関連するのが雁木社(かりきしゃ)です。「御家譜附録(松井家・1786年)」によれば、太鼓堂の下に雁木大明神という祠があり、人丸の祠とも山伏の塚とも伝えられていると記述されています。また、「石州浜田城(1760年代の様子を描いた絵図)」には「大コ(太鼓堂)」に接して「人丸」と記載されており、古くから雁木社に人丸(柿本人麻呂)が祀られていると考えられていたようです。現在 この神社は秋葉神社(付近に鎮座)に合祀されています。
浜田城山は別名「亀山」とも呼ばれていますが、元々は「鴨山」と呼ばれていたのを、亀の縁起にちなんで築城時に改めたと言われています。また、浜田城山の周囲を流れる浜田川も「石見軍記(1594年)」には「石川」と記述されています。
そのため、柿本朝臣人麻呂 石見国に在りて臨死(みまか)らむとする時 自ら痛みて作る歌一首「鴨山の 岩根し枕ける われをかも 知らにと妹が 待ちつつあらむ」、柿本朝臣人麻呂の死(みまか)りし時 妻・依羅娘子の作る歌二首「今日今日と わが待つ君は 石川の 貝に交りて ありといはずやも」「直の逢ひは 逢ひかつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲はむ」の歌に詠まれる「鴨山」と「石川」に比定され、浜田城山が柿本人麻呂終焉の地であるとの説が古くから唱えられています。
【浜田城 伝・柿本人麻呂の終焉地(鴨山)】
柿本人麻呂終焉の地は、歌群にある「鴨山」や「石川」を その地として、大和説(奈良県)や石見説(島根県西部)など諸説が論じられきています。石見説では益田市・江津市・邑南町・美郷町にも それぞれ説があり、この浜田城も その一つとして広く知られています。
浜田城は別名「亀山城」と呼ばれていますが、元々は「鴨山」「神山」と呼ばれていた山を、元和6年(1620年)の築城に際して、亀の縁起にちなみ、改めたと伝えられています。また、浜田城の周囲を流れる浜田川も文禄3年(1594年)の年代が記された『石見軍記』に「石川」と記述されていることが、その根拠になっています。
そして もう一つの根拠が「人丸神社」の存在です。1760年の様子を描いた『石州浜田城』には、「大コ(太鼓堂)」下に「人丸」と記載されているほか、天明6年(1786年)の『御家譜附録』には、太鼓堂の下に雁木大明神という祠があり、人丸の祠とも山伏の塚とも伝えられていると記述されています。雁木大明神の祠は雁木社として、現在、城山に鎮座する秋葉神社に合祀されています。
柿本人麻呂終焉の地は、歌群にある「鴨山」や「石川」を その地として、大和説(奈良県)や石見説(島根県西部)など諸説が論じられきています。石見説では益田市・江津市・邑南町・美郷町にも それぞれ説があり、この浜田城も その一つとして広く知られています。
浜田城は別名「亀山城」と呼ばれていますが、元々は「鴨山」「神山」と呼ばれていた山を、元和6年(1620年)の築城に際して、亀の縁起にちなみ、改めたと伝えられています。また、浜田城の周囲を流れる浜田川も文禄3年(1594年)の年代が記された『石見軍記』に「石川」と記述されていることが、その根拠になっています。
そして もう一つの根拠が「人丸神社」の存在です。1760年の様子を描いた『石州浜田城』には、「大コ(太鼓堂)」下に「人丸」と記載されているほか、天明6年(1786年)の『御家譜附録』には、太鼓堂の下に雁木大明神という祠があり、人丸の祠とも山伏の塚とも伝えられていると記述されています。雁木大明神の祠は雁木社として、現在、城山に鎮座する秋葉神社に合祀されています。
境内の見どころ
境内
濱田護國神社の境内の様子です。
慰霊碑
濱田護國神社にある慰霊碑です。
境内には、この他にも多数の石碑があります。
銅像群
濱田護國神社の銅像群です。
木口小平之像と母の像などがあります。
翼殿
濱田護國神社の翼殿です。
本殿の左右にあります。
本殿
濱田護國神社の本殿です。
浜田城跡
濱田護國神社の境内奥には県指定史跡・浜田城跡があります。
料金: 無料
住所: 島根県浜田市殿町123-10(マップ)
営業: 8:00~16:00(時期によっては17:00)
交通: 浜田駅(徒歩21分)
公式サイト: http://hamada-gokoku.jp/
住所: 島根県浜田市殿町123-10(マップ)
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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