氣比神宮(気比神宮) [福井県]
2018/02/16
福井県敦賀市にある氣比神宮(けひじんぐう)です。
『古事記』『日本書紀』にも登場する神社であり、古くから越前国一宮として崇敬を集めているとされています。
また、表参道に建つ大鳥居は「日本三大鳥居」の一つとして知られています。
神社概要
由緒
社伝などによれば、主祭神の伊奢沙別命(イザサワケ)は上古に天筒山に霊跡を垂れ、境内の聖地(現在の土公)に降臨したと伝えられており、仲哀天皇の御代に神功皇后が三韓征伐の戦勝祈願すると神託によって満珠・干珠が得られたことから、仲哀天皇8年に神功皇后と武内宿禰が安曇連に命じて気比神を祀らせたことに始まるとされます。
なお、伊奢沙別命(イザサワケ)は 気比大神/笥飯大神(けひのおおかみ)・御食津大神(みけつおおかみ)とも呼ばれる衣食住・海上安全・農漁業・交通安全の神であるとされ、『古事記』では「武内宿禰に連れられた太子(応神天皇)と名前を交換した」という説話が記されています。
由緒書によれば、大宝2年(702年)に勅命によって社殿の修繕が行われ、仲哀天皇・神功皇后を合祀して「本宮」とし、後に日本武尊・応神天皇・玉姫命・武内宿禰命を祀って「四社之宮」と称したとされます。
また、平安時代の『延喜式神名帳』には「越前國敦賀郡氣比神社七座並名神大社」、『類聚三代格』には「神階正一位勲一等」と記されており、中古より越前國一ノ宮として皇室や庶民からの崇敬を集めていたそうです。
近代には、明治4年(1871年)に近代社格制度において国幣大社に列格し、明治28年(1895年)に官幣大社に昇格するとともに神宮号宣下によって「氣比神宮」と改称したとされます。その後、昭和20年(1945年)の敦賀空襲によって社殿の多くを焼失し、昭和25年(1950年)に社殿の再建・修復が行われて現在に至るとされています。
祭神
氣比神宮の祭神は以下の通りです。
【本宮】
・伊奢沙別命(イザサワケ):当社の主祭神であり、衣食住・海上安全・農漁業・交通安全の神とされる
→ 気比大神・御食津大神とも称される
・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう):第14代天皇であり、八幡宮で祀られることが多い(后・神功皇后、子・応神天皇)
・神功皇后(じんぐうこうごう):仲哀天皇の皇后であり、応神天皇の母に当たる
【四社の宮】
・[東殿宮]日本武尊(ヤマトタケル):第12代景行天皇の皇子であり、九州の熊襲と東北の蝦夷を征伐したとされる
・[総社宮]応神天皇(おうじんてんのう):第15代天皇であり、八幡神として全国の八幡宮などで祀られる
・[平殿宮]玉姫命(タマヒメ):『気比宮社記』では神功皇后の妹の虚空津比売命とされる(玉妃命とも)
・[西殿宮]武内宿禰命(たけのうちのすくね):景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代天皇に仕えた日本最初の大臣
・伊奢沙別命(イザサワケ):当社の主祭神であり、衣食住・海上安全・農漁業・交通安全の神とされる
→ 気比大神・御食津大神とも称される
・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう):第14代天皇であり、八幡宮で祀られることが多い(后・神功皇后、子・応神天皇)
・神功皇后(じんぐうこうごう):仲哀天皇の皇后であり、応神天皇の母に当たる
【四社の宮】
・[東殿宮]日本武尊(ヤマトタケル):第12代景行天皇の皇子であり、九州の熊襲と東北の蝦夷を征伐したとされる
・[総社宮]応神天皇(おうじんてんのう):第15代天皇であり、八幡神として全国の八幡宮などで祀られる
・[平殿宮]玉姫命(タマヒメ):『気比宮社記』では神功皇后の妹の虚空津比売命とされる(玉妃命とも)
・[西殿宮]武内宿禰命(たけのうちのすくね):景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代天皇に仕えた日本最初の大臣
境内社
摂社
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氣比神宮の摂社は以下の通りです。
・伊佐々別神社:御食津大神荒魂を祀る
・天伊弉奈彦神社:天伊弉奈彦大神を祀る
・天伊弉奈姫神社:天比女若御子大神を祀る
・天利劔神社:天利劔大神を祀る
・角鹿神社:都怒我阿羅斯等命を祀り、松尾大神を合祀する
・天伊弉奈彦神社:天伊弉奈彦大神を祀る
・天伊弉奈姫神社:天比女若御子大神を祀る
・天利劔神社:天利劔大神を祀る
・角鹿神社:都怒我阿羅斯等命を祀り、松尾大神を合祀する
末社
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氣比神宮の末社は以下の通りです。
・猿田彦神社:猿田彦大神を祀る
・擬領神社:建功狭日命を祀る
・鏡神社:神功皇后奉献の宝鏡の神霊を祀る
・林神社:林山姫神を祀る
・金神社:素盞嗚尊を祀る
・劔神社:姫大神尊を祀る
・神明両宮:天照皇大神(内宮)・豊受大神(外宮)を祀る
・兒宮(児宮):伊弉冊尊を祀る
・大神下前神社:大己貴命を祀り、稲荷神・金刀比羅神を合祀する
・擬領神社:建功狭日命を祀る
・鏡神社:神功皇后奉献の宝鏡の神霊を祀る
・林神社:林山姫神を祀る
・金神社:素盞嗚尊を祀る
・劔神社:姫大神尊を祀る
・神明両宮:天照皇大神(内宮)・豊受大神(外宮)を祀る
・兒宮(児宮):伊弉冊尊を祀る
・大神下前神社:大己貴命を祀り、稲荷神・金刀比羅神を合祀する
関連知識
伊奢沙別命が、御食津大神と呼ばれるようになった由来
武内宿禰と応神天皇 |
『古事記』には「伊奢沙別命が武内宿禰に連れられた太子(応神天皇)と名前を交換した」という説話があり、その中には伊奢沙別命が御食津大神(みけつおおかみ)と呼ばれるようになった由来が記されています。
その内容は以下の通りです。
武内宿禰が太子(応神天皇)を連れて禊をしようと近江や若狹を経た時、越前の角鹿に仮宮を造って そこに住んでいた。その時、その土地に鎮まるイザサワケの大神が夢に現れて「我の名を御子の名と取りかえたいと思う」と言ったので、武内宿禰は「それは恐れ多いことです、仰せの通りお替え致しましょう」と返答した。すると、神は「明日の朝、浜に来るがよい。名を替えたシルシを与えよう」と言った。
よって、翌朝 浜に向かってみると、鼻のやぶれたイルカが浦に集まっていた。そこで御子(応神天皇)は「私は神より御食膳の魚を賜った」と言った。このため、この神を御食(みけ)つ大神と称すことになった。今では氣比大神という。また、そのイルカの鼻の血が臭かったので、その浦を血浦(ちうら)と呼ぶようになった。今では敦賀(つるが)という。
よって、翌朝 浜に向かってみると、鼻のやぶれたイルカが浦に集まっていた。そこで御子(応神天皇)は「私は神より御食膳の魚を賜った」と言った。このため、この神を御食(みけ)つ大神と称すことになった。今では氣比大神という。また、そのイルカの鼻の血が臭かったので、その浦を血浦(ちうら)と呼ぶようになった。今では敦賀(つるが)という。
角鹿神社とツヌガアラシト
氣比神宮の裏参道付近に鎮座する摂社「角鹿神社」には、都怒我阿羅斯等命(ツヌガアラシト)が祀られています。
この人物は『日本書紀』に登場する古代朝鮮の意富加羅国の王子であり、崇神天皇の御代に天皇を慕って渡来し、3年間 垂仁天皇に仕えた後に自国に帰ったと伝えられています。また、ツヌガアラシトは"額に角があった"とされ、笥飯浦(けひのうら)に到着したことから、当地が角鹿(つぬが)と呼ばれるようになったとも記されています。
角鹿神社は、古文書では「政所神」とも表記され、案内板によれば ツヌガアラシトは天皇に氣比神宮の司祭と当国の統治を任されたと伝えられており、角鹿神社はその政所跡にツヌガアラシトが祀られたことに始まり、「角鹿」という地名も角鹿神社から起こったと説明されています(地名「敦賀」の発祥の地とされる)。
その一方で、角鹿神社の祭神は角鹿国造祖の建功狭日命(タケイサヒ)であるという説もあるようです。ウィキペディアによれば「建功狭日命は『先代旧事本紀』に角鹿国造として見える人物で、江戸末期まで角鹿神社の社家であった島家が角鹿氏後裔を称したことからも、建功狭日命説が有力視されている」と説明されています。
ツヌガアラシトについてはこちらの記事を参照:【ツヌガアラシトとは?】
境内の見どころ
大鳥居
氣比神宮の大鳥居です。
正保2年(1645年)に建立された高さ約11mの巨大な鳥居であり、国の重要文化財に指定されています。
また、奈良の春日大社・広島の厳島神社の大鳥居とともに「日本三大鳥居」の一つとしても知られています。
長命水
氣比神宮の長命水です。
大宝2年(702年)の社殿修繕時に忽然と湧き出したと伝えられ、無病息災・延命長寿の神水と云われています。
現在では氣比神宮のパワースポットとして、境内の名所の一つとなっているそうです。
中鳥居
氣比神宮の中鳥居です。
回廊
氣比神宮の回廊です。
拝殿
氣比神宮の拝殿です。
外から見えるものは外拝殿で、その先に内拝殿・本殿という形で連なっています。
大鳥居の扁額
氣比神宮の扁額です。
訪問時に大鳥居の改修が行われていたので、拝殿内に飾られていました。
さすがに大鳥居の扁額というだけあって、人一人分ほどある巨大なものとなっています。
旗掲松
氣比神宮の旗掲松です。
南北朝時代の戦乱の時に、大宮司・氣比氏治が南朝の後醍醐天皇を奉じる神旗を掲げたと伝えられています。
天然記念物ユーカリ
氣比神宮のユーカリの木です。
寒冷地に育つことは珍しいとされ、敦賀市の天然記念物に指定されています。
亀の池
氣比神宮の亀の池です。
池の中には亀や鯉が棲んでいます。
土公
氣比神宮の土公です。
主祭神の伊奢沙別命が降臨したと伝えられる場所で、今でも神籬磐境の形式を留めています。
なお、土公とは陰陽道において土を司る土公神のことで、春夏秋冬において座す場所が変わると云われています。
土公神の座す場所での工事は忌まれますが、この土公の砂を撒けば悪神の祟りを避けられると信じられていたそうです。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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